4-8


「2631年12月。僕のゆめは親切という形でおきかえてきたけれど、もうむりです……」


8になった時点ですべてをあきらめたほうがよかったのに僕はあなたたちの期待にいつまでもこたえようとして、身をていしていろいろな8を助けてきました。


でも、そんなことをしても自分の心が折れていくだけです。ここにはみんなが生き抜こうとするために、うらぎりがあります。助けた人におんをかえしてほしいわけじゃないけれど、助けた人が平然と僕をだましたとわかったときは、とても悲しくなります。


僕はなぜか食べ物やお金の件で時々だまされます。ここ2日ほどなにも食べていません。


僕をだます人に限らず、8のなかでもずうずうしい人は生きていけます。でもそうじゃない人はどんどん死んでいきます。一般人からは暴力を受け、8からはだまされる。8からも弱いものへの暴力があります。人間というものがよくわかります。


ここは人の欲や、よくない感情の吹きだまりになっていて、空気がとても悪いです。


こんなことが毎日続いていると、僕もだれかにひどいことをしたり、殺したりしてもいいのかなと考えるようになります。それはいけないことなのだと僕の中のなにかが必死に止めているけれど、していいこととわるいことの区別がよくわからなくなっていきます。僕も、自分より弱い子を叩いたり殺したりしていいの? 


だましたりうらぎったりしていいの? 


でもあなたたちからもらった温かさや期待をふと思い出して、それが僕を止めてしまう。そんな温かさはここでは役に立たない。スープの温かさが欲しい。日のあたたかさが欲しい。

  


2632年2月。ねえお母さん。聞いて。お父さんも。


今日は学校からの帰り道、いきなり集団でホログラムに囲まれました。青いのとピンクのがまざっていました。全部で6人くらいの大人のかおをしたやつで、マーケットから抜け出してきたみたいです。


囲まれてもすり抜けられるけど、足がすくみました。どれもみんな似たような顔なのに、いやな顔つきにみえるのです。そしてよくないことをたくさん言われました。


「下とう生物」だとか「人間のかおをしたサル」だとか「死にぞこない」だとか「早くとうたされろ」だとか。あきらかに悪意があった言葉なので、さいしょから8をののしる目的で起こした行動なのだと思います。ホログラムが居住地区に来てひどいことを言って帰る、という現象は最近起きています。


でも個人的に酷いことを言われたのは初めて。きっと僕なんかよりホログラムのほうがだん然いい生きかたをしているんだ。そしてホログラムの存在は一般人からも認められている。



2632年4月。僕はなぜ生まれてきたんだろう。



2632年6月。朝、学校へ行くため歩いていると、子供を連れた家族がいました。


幸せそうで、殴りたくなりました。殴らなかったけれど。毎日毎日黒々とした気持ちが僕を支配しています。この黒々とした気持ちは体のぼうりょくや言葉のぼうりょくを向けられておせんされたあくまの気持ちです。


僕はきっと、あなたたちの期待したような子供にもなれません。ごめんなさい。ごめんさい。ごめんなさい。あれ、ぼうりょくってどんな漢字だっけ。最近覚えた漢字をどんどん忘れている。



2632年8月。暑くてまいっています。臭いがひどいし、ねていてもからだのあちこちがかゆい。変な虫はいっぱいいるし、お風呂に入れてもかゆいのがとまらない。だれも助けてくれない。自分で自分を救えないし、誰も救ってなんかくれない。なのに僕は期待している。だれかが助けてくれるかもしれないと。期待するだけむだなのに。どうして希望を持っちゃうのかなぁ。



2632年9月。是枝市のほうから通っている他クラスの8のツテで、大人の8と知り合い、その人からげきやくをわけてもらいました。


ちえをあれこれしぼってどこかから手に入れてきたものらしいです。これでいつでも楽になれるよ、とその人は言って目の前で死んでみせてくれました。


それを手にした時、それを目にした時、少し心が楽になって黒々としたあくまの気持ちはかるくなりました。小びんをもらった時、これでいつでも楽になれるんだと思いました。 


死ぬ前、その人は言いました。


「君も私も、人間として生まれたんだ。周囲がなんと言おうと、それだけはわすれてはいけないよ。人間としてのそんげんは死ぬまでもっていなさい」。


その人はやさしく僕を抱きしめてくれました。いっしゅん、おとうさんにだかれて歩いていたピンク色のけしきが見えた気がしました。


僕は泣きました。人のぬくもりに全身がほぐれて泣きました。こんなに泣いたのは久しぶりです。そうだ、僕は人間だったんだ。だれかを殴らなないままでよかった。これをやってしまったら、もうあなたたちと同じところへは行けない。あやうくそんげんがなくなってしまうところだった。



2632年11月。最近記憶にないのにワールド・ワイドへ行った夢を見ます。夢の中のけしきはいつも春です。ワールド・ワイドがどんなところかよく知らないのに。夢の中で空気はいつもうすいピンク色です。僕はうすいピンクを見ると幸せな気持ちになれます。ホログラムの色はどぎつくて少しきらいだけど。


お母さん、ソフトクリームをおとしても、だいじょうぶ。僕は泣かないから。一緒にいられたらそれでいいんだ。ワールド・ワイド、行ってみたいな。そうしたら、今度はミスター・キングと写真をとって一生おぼえておくんだ。花見も紅葉狩りもまたしたいね。僕が死んだらまたどこかの世界でいっぱい思い出作ろうね。



2633年2月。僕の住んでいるところでは、8が9《ナイン》をむりやり作ります。

僕は9になりたくないと夜は怯えながら、でもおもてむき9にならないために強くあろうとしています。まけない気持ちで8からぼうりょくを受けそうになればしゅうねんぶかく対抗しています。


やられてもやられても、くらいついていきます。痛いのはがまんです。時々痛みが長びいて、治らない時もあるけれど。これは僕が生きるためです。だれかを裏切るでもなく、だれかをだますのでもなく、だれかに一方的にぼうりょくをするわけでもなく、人間としてのそんげんを捨てないために、ましょうめんからぶつかっていきます。なめられたらそこでおしまい。


そうすることで、同じ地区にいるみんなの見る目もわかってきました。あくまの気持ちはまだあるけれど、ぎりぎりのせいしんで自分からだれになにかをすることをしないようにしています。そうしなければ、死んだあとの世界であなたたちに会ったとき、僕はほこりをもって話せなくなる。死んだあとで「ねえ聞いて」って言ったら、またあの時みたいに聞いてくれる?


死後の世界ってどんなかな。楽しみだな。きっと、ねむったあとゆめで見るような、とてもすてきな世界がまっているんだろうね。


今がつらいから、生きている間のことはなにもかも全て捨てることにして、死んだあとのすてきを待ってる。とおい空のむこうから、あなた達は僕を見ているの? どんなところか、いっぱい教えてほしいな。きっとたくさんの楽しいことがあるんだろうって信じている。そうだ、ソフトクリームってどんな味? お店で買おうとしたら、コインを投げ返されちゃった。



2633年4月。最近施設から出てきた子が10人ほどいます。僕がそうだったように、みんなねる場所がなくて困っているようです。さっそく8の古参の中でぼうりょくをふるっているのがいます。


何人かはすぐ死にました。ひとりの女の子が僕の家の前でずっとねていて、時々おそわれていました。家の前でしくしくと泣いていて僕は閉めたドアのすきまからずっとその様子を眺めていましたが気持ちが移ってしまいました。今日その子は大人に9にされそうになっていたので、とっしんしていって助けました。僕の家でくらしてもいいよと言いました。


彼女は彼岸と名乗っています。本当はさくらという名前だったのだそうです。こころはとざしています。うすいピンクが似合いそうな女の子です。2人だと心強いです。僕はこの子をかばって日々を過ごそうと決めました。


かばう対象があると強くなれるし、人間でいられるような気もします。ピンク色の空気の記憶がうっすらとあるのは、ピンクの似合う、さくらに出会うためだったのかもしれないね。この子のために、僕は死ぬと決めました。同じ死ぬならせめてだれかをかばって死にたい。それが人間としてゆいいつ僕にできること。

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