4-7
「遥君へ。学校の入学式が終わって、遥君は8になりました……」
由香利は心をこめて手紙を読む。
声には潤いがあった。泣くのをこらえた調子がまた、抑揚を素晴らしいものにする。
遥は応えるように、すぐに読み始めた。
「お父さん、お母さん。施設を出て初めての夜です。漢字は難しいものも学校でこっそり覚えました。僕は12歳。手紙を書くことにしました。
施設にいるとき、他の子も親に向けて手紙を書いたり日記をつけたりしている子がいましたが、すぐに没収されてしまいます。
でも、施設の子は一般人の子よりものごとをよく考えているように思います。生について。死について。運について。ものすごくたくさん、深く考えています。
僕は6年間、施設の人の目を誤魔化してはこの手紙を何度も読み、そして没収されないように必死に隠しとおしてきました。そして1年、また1年と過ぎて行くたびに、手紙の内容をじゅうぶんに理解できるようになりました。
施設は寝る場所があって友達もできて、食べるものも保障されていたけれど、自由はありませんでした。施設を出てからは8居住地区へ行くことになったのですが、最初の数日は寝床がなくて困っていました。
居住地区で死人が出たので、僕はその死んだ人の家を使わせてもらうことにしました。
薄い金属を組み合わせた家とも呼べない家で寝床を得ることになりました。外からの圧力はありますが、ここにいる限り主にみんなが寝静まった夜は自由があります」
お父さんとお母さんが僕のために書いてくれた手紙に、誰の視線もなくやっと返事をすることができます。僕の声が、あなたたちに届くことはないのでしょう。
でも風を感じる時にあなたたちを思い出します。公園のきれいに植えられたかだんを見た時に、あざやかな思い出がよみがえります。
あざやかなものをあざやかなまま目に映すことはできるけれど、もうあなた達の顔を覚えていません。
そしてワールド・ワイドへ行ったことも記憶にはありません。でも、常にそばにいてよりそってくれた誰かがいてくれたことは覚えています。それはとても温かなものでした。
3歳の時のお花見はなんとなく覚えています。力強い手が僕を支え、ピンク色の空気のなかにみをゆだねていました。あれはお父さんの手だったのでしょう。なんの心配もなかった。
ただ安心して、ばくぜんとあの時は言葉にすることさえできなかったけれど、こういう日々がずっと続いていくものだと思っていました。目に映る世界のすべてがかがやいていました。でも僕を生んで、あなたたちは本当に幸せですか。僕の悪い運があなた達の運命を変えてしまった。
だからあなたたちが幸せでなくなったのは僕のせいなのかもしれません。
4歳の紅葉狩りはよく覚えています。神奈川県の山があるところへ行きました。お父さんとお母さんのえがおをみたくて、いっしょうけんめい紅葉をかき集めたら笑ってくれると思っていっぱいあなたたちにあげました。
今から思うとただのゴミになってしまうのでいらなかったのかなと思うけれど、あなた達は僕にえがおを向けてくれました。顔を覚えていないのにそう思うのは、僕がこうあったらいいと思って僕が作りだした記憶なのかもしれません。
5歳。色々な同じ年くらいの子と出会っていた時期です。子供が集まる施設に時々預けられていました。ちゃんと授業みたいなものがあって、お茶やおかしももらえていました。お母さんにその日けいけんしたできごとをたくさん話しました。
8になるカウントダウンがすでに始まっていたことなんかまるで知らずに、のうてんきに「聞いて聞いて」と甘えて、ご飯を食べながら話をしていました。あなたが僕の話を聞いてくれた時、どんな顔をしていたっけ。笑っていたと思えるのはやはり僕の作った記憶なのかな。
僕の将来のゆめは、医者になることでした。たまたま5歳の時いっしょに遊んでいた施設の子の体が弱いと聞いて、じゃあ将来治してあげるよと約束をしたからです。単純に人を治すことのできるひとはすばらしい人たちなのだと思ったからです。
でもぼくはそんなすばらしいひとたちにはなれません。そんなゆめは、8になったら捨てるしかないじゃないですか。ここでは話を聞いてくれる人も、傷や病気を治してくれる人もいません。医術書を読むこともできない。ちしきもことばも学ぶことはできません。
あなたたちの期待は、身近な人に親切にすることで応えています。でも、親切でいられない時もあります。それは自分が生きるため。
僕が生まれてごめんなさい。僕が生まれなかったら、僕じゃない運のよいちがう子供が生まれていたら、あなた達も幸せになれたのかもしれません。
だけど僕を生んで、わずかな時間でも一緒に過ごしてくれてありがとう。手紙を残してくれてありがとう。
僕はお父さんとお母さんが大好きです。
大好き以上の大好きは、なんて言うの。
遥はここまで淀みなく話し、口を閉ざした。少し休みたいのだろう。
5分ほど休憩をとることにする。
この文章はノートの、初めの数ページに書かれているもので、絶対に読んで欲しいところだった。遥の両親への手紙は、びっしりと続いている。その全てをホログラムに読ませることもできるけれど、読んでもらった全文をネットワークに流すには無理がある。編集することを考えると時間が足りなくなるし、長蛇になって視聴者もおそらく飽きる。
何箇所かポイントを抑えて読んでもらい、全文は文字媒体で打ち込んだものを流すほうがいいと3人で話し合った。
もしこの計画が成功して興味を持ってくれる人が出てきたら、全文を読みたいと思う人も現れるかもしれない。
5分が経過する。
「続けられそうですか。無理なら無理と言ってください」
悠斗は静かに声を出す。
「大丈夫です」
遥は答える。医者になりたかったのに、最後は治療してくれる人もいなかった。
悠斗はノートパラパラとめくり、読んで欲しい個所を広げる。
「では、この日付の個所を読んで下さい」
遥は落ち着いた態度で頷きカメラよりもやや目線をさげる。
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