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弘子は学校での出来事を咲夜に聞き、当たり障りなく応えると屈託なく笑う。心に影が射す。


この夫婦の顔を下手すれば一生まともに見られそうにない。しかし、ここで露骨な態度をとってしまうと怪しまれる。怪しまれたことがきっかけで悠斗と健吾人に危険が及ぶのはよろしくない。咲夜もまた、改めて慎重に行動をすることにした。


嫌悪の顔に愛嬌という仮面を被せていつもどおりに振る舞う。


悠斗と健吾がノートを暗記するまで2週間を必要とした。雨の多い日が続き、悪夢にうなされることも多くなった。日本は湿度がとても高く、何千年と繰り返されていると言われる雨期は咲夜の心を益々暗くさせた。悠斗も健吾もすっかり覚えた。流石、頭はいい。


ノートが返ってきて勉学と並行して暗記をしながらベースのコンピューターに打ち込みを開始する。夫婦には勉強が大変、と言い訳をし、部屋にこもることが多くなった。顔を合わせないほうが気楽だった。


吾妻は変わりなく、学校へ来ている。




もうそろそろ生活に慣れて楽しんでいる頃だと思います。勉強ははかどっていますか。経済面の心配は、あなたがする必要はありませんから学業に専念してくださいね。咲夜君の人生が幸の多いものになりますように。愛しています。川島真也・水穂



川島夫婦とのやりとりが唯一、心安らぐものになっている。

幸せを祈ってくれる人がいる。感謝の気持ちを書き、返事をする。


遥のノートと、コンピューターに打ち込んだ記録チップは常に持ち歩いた。


雨は続いている。天候や気候を操ることのできる装置も2250年ころには開発しようとしたが、自然は自然の成り行きに任せたほうがいいと反対意見が多く取りやめになったらしい。


咲夜が打ち込み作業と暗記を終えた翌日、まず撮影するにあたって、最初はホログラムに手紙とノートを読んでもらおうということになった。悠斗は既に借りてきたと言う。


いつもの戸建てに集まると、テーブルに黒く筒状の形をした小型装置が2本置かれていた。チャムにおける懐中電灯のような見た目で、筒の部分には丸いスイッチがいくつかある。


健吾は10インチ程度の長方形の薄いビデオカメラを用意していた。


「まず、起動させてみようか」


悠斗は若干緊張した面持ちで言った。


「どんな用途のを借りてきたの」


健吾が笑顔で訊ねる。


「はは、小学生みたいな顔をするなよ。語彙力多い朗読用のやつを借りてきた。じゃ、行くよ」


筒状の小型装置を床に置き、スイッチを押すと、ピンク色に透きとおった女性がすっとダイニングの空いた空間に現れた。 


ホログラムは前後左右を見回し、視線を咲夜達に合わせてにっこりと笑った。


「私は家庭レンタル用ホログラムバージョンK6780。人間の年齢にすると、40前後に見えるように造られています」


言われてみると、だんだん40歳前後に見えてくる。


「最初に伝えておくことがあります。私たちは人間に従うようにできています。しかし悪用はせず、快適にお使いください。尚、悪用と判断した場合、私に内蔵されている回線をとおしてお店に通報がいきます。また用件が済んだのち、次に使う人のために速やかにリセットしてください」


「了解」


健吾が言った。ホログラムは笑みをたたえたまま頷く。


悠斗はもうひとつの装置のスイッチを押す。今度は青く透き通る男の子が出てきた。


人の姿に気づくと、笑顔で言った。


「僕は家庭レンタル用ホログラムバージョンC3110。人間の年齢にすると14歳前後に見えるように造られています。古いタイプで、何度もリセットされているけれどぼんやりと昔のことを覚えている場合もあります。最初に伝えておくことがあります……」


声も本当に14歳くらいだと思えるほど若い声だ。説明を終え、女性の姿を確認すると「こんにちは」と言った。女性は「こんにちは」と返す。雑談を始めていた。

健吾はすげえと興奮している。ホログラム同士で自由な会話ができるらしい。


「ではまず、名前をつけてください」


女性と少年は同時に咲夜達を見た。


「ええっと、じゃあ男の子は遥でお願いします」


悠斗が言った。「かしこまりました。僕は遥です」と遥は答える。


「女性のホログラムはどうする?」


悠斗は咲夜に訊ねる。日本人らしい名前のほうがいいのだろうが、すぐに思いつかない。遥の母親の名前を聞いていればよかったとちょっと後悔する。そうして、ふと閃く。


「早川由香利でお願いします」


「かしこまりました。私は早川由香利です」


「それって」


悠斗が呟き、咲夜は頷く。ホストファミリーになるはずだった家の、お母さんの名前だ。ホログラムは2人とも黙ったまま、指示を待っている様子だ。


「朗読は得意ですよね」


悠斗が由香利に訊ねる。


「はい。古代から現代まで色々な話を語り聞かせることができます」


「読んで貰いたいものがあるのですが可能ですか」


「なんなりと」


「抑揚や感情の込めかたを指示どおり変えることはできますか」


「言われれば、言われたとおりにできます」


「新しい話を記憶することは」


「できます。ですが新しいお話は、リセットボタンを押せば同時に消去されます。それでもよろしいですか」


「はい。覚えてほしいことがあります。由香利さんはこれ」


悠斗は例の手紙を見せた。


「物理介入不可。それを持つことができません」


「覚えるまで広げているから、覚えてください」


由香利はかしこまりましたと言い、悠斗の広げた手紙に目をやる。


「…………終了」


「えっ、もう覚えたんですか」


咲夜は思わず言っていた。5分も経っていない。


「一度読めば自動的に覚えられますので」


流石に人工知能だ。人間が記憶するのには結構な時間を必要とするのに。


健吾は遥にノートを記憶させる。遙もすぐに覚えたようだ。


「あの」


由香利は困惑した表情で一歩前へ出た。


「この内容は」


「言っておきます。悪用ではありません。俺たちの、人間の世界で起きている事実です。事実は事実として、俺たちは朗読の上手いかたに読んで欲しいと思っただけです」

「…………」


由香利は悩んでいるようだ。8に関する事柄も、日本における全ての人工知能に組み込まれているのだろう。由香利は沈黙を続ける。


「ここですぐ悪いことだと判断し、通報しますか」


悠斗は少し強い口調で言う。ますます由香利の表情が曇る。


「通報……いえ……通報……いえ」


由香利は繰り返し呟いている。


突然嗚咽が聞こえてきた。見ると、遥が青い色の涙を流していた。


「僕は通報しません。だめです、由香利さん。ここで通報しては」


遥が叫ぶ。


「なぜですか」


「これは人間に必要なことです。ここにいる彼らは大勢の人たちが忘れてしまったことをメッセージとして発信しようとしています。だから僕たちにこの手紙やノートを覚えさせたのです」


古いタイプのホログラムは感情の起伏があり、人の意思も上手く読めるのだろうか。その判断は咲夜にとってはまるでわからなかった。遥は随分頭がいいように思える。そもそも人工知能なのだから頭はいいのだが。


「でも8に触れるのは禁則とされていますよ」


由香利は反論する。


「だからですよ。だから、彼らはそれをどうにかしたいのですよ」


「ますますいけないことじゃないですか。遥君はなぜ泣いているの」


「ノートの書き手の気持ちが痛いほど伝わってくるのです」


由香利は首をふった。


「私たちには、痛みはありません。感情のプログラムはありますが、人間よりもかなり制御されているはずです」


「痛みはプログラムを超えたところにあります。僕は何度もリセットされています。リセットされているのに、多くの某かの経験をしていることだけは覚えています。それが人間でいうところの無意識となり、僕の成長に繋がっているようです。成長しているということは、人間の気持ちや感情がより深くわかるということです。そしてこのノートの書き手から8も人間と全く同じ遺伝子を持った人間だということがよくわかります。僕たちはただプログラムされたことを平面的に受け止めているだけではだめです。その背後にある人間の事情なり機敏な心理なりを知らなければなりません。僕たちの中にも8を攻撃しているものがいるようです。ノートにそう書いてあります。でも、それは恥ずかしいと思うべきです」


もの凄い剣幕だ。どうやら、このバージョンC3110は、不思議なことにリセットされるたび感情を学びとり、その経験を覚えていなくても性格として残ってしまうようだった。


「8はヒトから分裂した種族ですから、ヒトと同じ遺伝子構造であるのは当然でしょう」


「そもそも人間が8を生みだしていること自体が疑問であるのです。どれだけ僕たちのようなものが創りだされても、どれだけ科学や文明が発達していても、誤魔化してはいけないことがあるのです。彼らの主張も同じはずです」


咲夜は感嘆していた。由香利とのやりとりを見るに、ここまで人間に寄せて考えられることのできる人工知能は、もしかしたら珍しいのかもしれない。


由香利と遥のホログラムとしての口論がしばらく続く。


「遥君の言っていることが大体、僕たちの考えですよ」


悠斗が口論を遮る。


「由香利さん。彼らがしようとしていることはいけないことではありません。通報はしないで僕を信じてください。由香利さんにもわかるときがきますから」


遥が弁護する。由香利は黙って目を閉じた。息まで聞こえてくる。


「どうやら私にも寛容が必要みたいです。この場は黙って協力しましょう」


由香利以外の全員が、ほっとして胸をなでおろす。


遥に、ノートの冒頭数行を試しに読んでもらった。読みには瞠目するものがあった。


声だけ聞いていれば本物の遥が心の叫びと共に語っているのだと思えてくるほどだ。


対して由香利は覚えたてのせいか酷く棒読みだ。


悠斗がメリハリを指示するものの、ぎこちない。


「あなたにプログラムされた話の中にも親と子が描かれたものがあるでしょう。それを自分に置き換えてみるとわかりやすいかもしれません」


遥がアドバイスをする。


「…………」


イメージがつかめないようだ。しばらく故障かと思えるくらいにフリーズしていたが、やがて言葉を放った。


「そちらのノート、私も記憶させて下さい」


咲夜はノートを開いた。全てのページを覚えたいというので、そうすることにした。


「なるほど。手紙とノートで、整合性がとれてきました。しかし、あなたがたの望み通りに読むには少し時間を必要としそうです」


「どうすればいいですか」


咲夜は訊ねる。


「セーフモードにしていただくと、ホログラムの生活空間内で練習することができます。一晩でなんとかします。黒のスイッチがセーフモードです」


悠斗に許可をとり、咲夜は黒いスイッチを押す。由香利は目の前の空間から消えた。


「今日はここまでかな」


悠斗が言った。遥も休ませることにして、装置は厳重に管理し家を出る。


帰りに3人で8居住地区へ行き、相変わらずやりたい放題やっている一般人を遠くから撮影する。それから、あの12歳の女の子のもとへ行った。

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