4-2
気を落ち着けるために、ごく近くの公園へ行き、ベンチに座ってしばらく景色を眺めていた。
瀬賀夫婦は。湯治はきっといつもいつでも圧倒的に強い立場でいられた人間なのだろう。それを当然のように受け止めている。そうして転んだことがないために、弱い立場の人間の心理をわかろうともしない。
市民権や居住権を得られるまでは我慢しよう。一応、住まわせてもらっている身だ。それ以降はもうかかわらない。
南風が吹きつけてくる。空を見上げ、雲の流れをぼんやりと見つめる。そうすることで、心の平穏を取り戻すことができたので、学校へ向かう。
先に登校していたクラスメイト達が廊下から教室の中を遠巻きに覗いている。
「なんでみんな中に入らないの」
近くにいた古門に訊ねた。
「教室狭いからとばっちりがこっちに来てさあ……君のせいだよ」
「僕のせいってどういうこと」
中から騒ぎ声が聞こえる。生徒の群れを掻き分け教室を覗くと、心臓が脈打った。下着姿の吾妻が横たわっている。前川たちが取り囲み暴れているのだ。
「だっせえ下着だな。汚れているし」
強制的に脱がされたのだろう。床には血が滴っている。
吾妻を逐一気味の悪い表情で舐め回すように見つめながら、横山が不気味な手つきで下半身の下着の中を覗く。
「8って燃えるのかぁ?」
「燃やしてみ? どういうふうに苦しむかな」
前川が言った。横山がライターを取り出す。
咲夜は教室の中へ入り、咄嗟に横山の手を蹴飛ばした。ライターは教室の隅へと飛んでいく。
「いってえな。なにしやがる」
「学校は勉強をする場所だ」
「ほら、王子様のご登場ですよ。ベースに連れ去ってもらえよ」
前川が吾妻に向かって言った。吾妻は泣くこともなく、無表情で淡々とした目を彼らに向けている。咲夜の背後がどよめく。
咲夜は前川の前に立つと、胸倉を掴んだ。
「僕を見て僕と話をしろ」
「王子様さぁ、8に変な情をかけるのはやめてくれよ」
前川はうすら笑いを浮かべて言う。
「情なんてかけていない」
「餌づけしてたじゃないか」
黒田が横から言った。
「あげたいからあげただけだよ。悪い?」
「王子様のその行為のほうが迷惑なんだよ。聖になにか吹き込まれたんだろ、どうせ」
横山が手をさすり、言う。彼らは咲夜には手をあげるそぶりを見せない。
「別になにも吹き込まれてなんかいないよ。で、一体僕のなにが迷惑だっていうの」
「8に情をかけると、クラス全員が連帯責任で罰則を受けるの。すると進路にも影響してくる。だから迷惑なんだよ。情をかければかけるほど8は攻撃されて、8も迷惑するって話さ」
ゾッとする。咲夜の代わりに、吾妻が攻撃対象になっている。
「攻撃したいなら僕を狙え。卑怯だろ。子供じゃないんだから」
前川がにやつく。
「ほら、庇う。子供じゃないから俺たちは聖に言われて、クラスの8にはこれまでなにもしてこなかった。でも餌付けを繰り返せば大変なんだよ。なあ、8に親切にしていることが迷惑だと思ったやつはどれくらいいる」
前川がクラスメイト達に叫ぶ。窓が割れんばかりの拍手が鳴り響く。
異様な雰囲気に呑まれそうになるが、すぐ冷静になる。
もう誰かの顔色をうかがう笑顔はやめよう。こんなことが起きていていいはずがないのだ。
「わかった。じゃあ、君たちに迷惑はかけないように、クラスの8にこれからはなにもしない」
「そうか。わかっ――」
咲夜は前川を渾身の力で殴った。
前川は転倒し、なにが起きたかわからないといった顔で咲夜を呆然と見つめる。
これは。咲夜は内心で呆れ、横山と黒田も殴った。3人とも殴られたことに驚きを隠せない様子だ。
「殴ったことはあるのに、殴られたことはないのかなあ」
ちょっとねちっこく、だが飄々とした顔で言ってみた。前川に殴りかかって来られそうなところを避ける。
ベースの底辺を生きていた人間と、日本で何もかも与えられて過ごしてきた人間とでは基盤が異なる。咲夜の目からすれば、前川の動きはかなり甘い。
「一般人に手をあげたな。法がお前を裁くぞ」
ことごとく咲夜に避けられ、前川は恨みのこもった目を向ける。
「僕はまだベースの人間なんだ、残念なことに。ベース人用の、緩い法律の加護にいるわけ」
3人とも悔しそうな目をする。咲夜は言った。
「痛みを知らない奴は痛みを知れ」
静かになった。健吾が登校してくる。
なにが起きたんだという顔をしているが、説明する前に鹿江がやってきた。
「なんですかこれは」
教室を見渡し、大体の事態を即座に呑みこんだようだ。
「誰が教室をこんな風にしたのですか」
「川島君です」
前川たちはそう言う。クソが。咲夜は内心で悪態をつく。
鹿江は吾妻を一瞥し、咲夜を見て前川に言う。
「前川君、殺したいなら早く殺しなさい。そうじゃないならさっさと机と椅子を戻して」
鹿江は見抜いたらしい。3人はあーあと言いながら机と椅子を戻し始めた。
吾妻は起き上がり服を着ていた。怪我はあるものの、昨日の遥のように致命傷はなさそうだ。
悠斗が寝坊したと言いながら慌てたように登校してきた。周囲からあからさまな舌打ちが聞こえる。
「どうしたの。この状況・・・・・・」
教室の異様な雰囲気に悠斗が目を向ける。健吾も疑問の目で見つめてくる。
あとで話す、という仕草をした。
吾妻が座り、そっと言う。
「もう、かかわらないで。お昼も無視してくれたほうがいい」
鹿江が点呼を取り始めると、吾妻はすっと気配を消していく。
彼女の名前は呼ばれない。
昼食は、バラバラにとることになった。
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