3-4

一瞬の隙が文字通り命取りになってしまったという無力感が全身を覆っている。そして命を助けたところで彼らは救われない。


地下には他の一般人も来ており、何人かの死体が出ていた。


青い光が地下から鉄板を貫き、天に伸びるかの如く放たれている。


回収車が止まり、中から出てきた人とすれ違った。毛布を持ったひとりの男性が咲夜を振り返る。この前の人と顔も雰囲気も全く違うので、回収する人は何人もいるのだろう。


「君、8からなにも貰ってないよね?」


鋭い。鞄にしまってあるノートを、敢えて気にしないようにした。


「特になにも。ストレスの発散をしに来て、帰るところです」


「そう? それにしてはすっきりした表情をしていないね」


「そうですか? 僕、あまり顔に出ないほうなので」


回収車の男たちは納得していないような表情で地下へと下っていく。


冷汗が噴き出た。危なかった。ノートをしまったのはほんの10秒ほど前だったのだ。


空は群青色になっており、帰ると弘子に笑顔で迎えられた。すでに夕飯もできあがっていた。湯治も帰っている。


「遅かったね」


「ええ。することがたくさんあって」


温かいスープを前に、罪悪感が湧く。自分は逆境を跳ね返せるだけの運に救われてきた。

が、8たちにはそれすらない。自分が今、こんな贅沢をしていていいのだろうか。


「ああ。咲夜君。8のことだが。今朝の続きだ」


湯治が言った。落ち着いてはい、と返事をする。


「一般人には8税というのが課せられるんだよ」


「昼間法律関係の本を見て知りました」


正直に答える。


「ほほう。よく勉強しているね。彼らは我々の税金で生きている」


「はい」


湯治は美味しそうにスープをスプーンで飲み言った。


「一般人の労働の金銭は、毎月彼らに行き渡る。彼らは働かなくてもそうして生きている。他人の金で生きているんだ。卑しい生物だと思わないか」


なにを言っているのか。


「8はなりたくてなるわけじゃないでしょう」


「運も才のうちよ」


弘子が口添えをする。湯治は頷く。


「税金は国が決めていることだからな……。まあ、でも確かに彼らは5才、6歳までは人間だった。それは認める。だが、運の悪い人間は、悪循環しか引き起こさない。どんな時代の、どこに生きているものでもな。そんな連中は淘汰されるのが世の常なんだよ。会社にいる8。彼らは働かず、ぼんやりと椅子に座っているだけの存在だ。見ていてたいそういらつくものだよ」


「社会システムがわざとそうしているのでしょう」


「そうしていても、目の前にいられるとちょっとな」


「だって仕事を与えないのでしょう。そうして、人々の鬱憤のはけ口にしているのでしょう」


「8は税金で生きているのだから仕事は必要ない。与えれば与えたで、運の悪さから経済の足を引っ張る可能性もある。どのみちはけ口の道具にしかならないんだ」 

南本を。吾妻を。今日会ってきた幼い子供2人を思い出し、咲夜の心の中で怒りの小さな芽が湧く。瀬賀夫婦は自分や自分の息子が8にならなかったから、一般人という座に胡坐をかいて8の存在を道具と切り捨てているのだ。


「あなたがたにもあったはずでしょう。いわゆる運命の日が」


「あったが8にならなかった」


「自分と8を置き換えて考えたことはないのですか」


「どうしてそれを考える必要がある」


黙った。この人たちにはおそらく、なにを言っても届かない。こういう思考の人たちに、なにかを求めても期待しても無駄だ。そしてこれ以上のことを言えば口論になりそうな気がした。


自分は運の良さと愛嬌で誤魔化してきた身だ。そうしてこれからもそうし続けるのかもしれないと漠然と考える。現に今しようとしている。


「わかりました。深く考える必要はないんですね」


「そうだ。理解できたかね」


「ええ、少しは」


瀬賀夫妻に対する感情を全て塞ぎ、笑って演技をする。こんな嫌悪感を抱えて笑顔をふりまくのも初めてだ。


「では、湯治さんは会社にいる8にどんなことをしているのですか」


「コーヒーを浴びせたり、物を投げつけたり、な」


弘子は噴き出していた。


「あらまあ、普段会社でそんなことをなさっているの」


「まあ、いくら好きな仕事に就いたとはいえ、嫌なことだってたくさんあるからね」


言って、湯治は咲夜を見つめる。


「理解できたならもういいだろう。教えられることは教えた。そして、法律書を読んだのならどういう行動をすればいいのかわかるね」


「……はい」 


「じゃ、この話はこれでおしまい」  


湯治は言った。咲夜は自ら話を切り替え、憤りをどこへぶつけていいかわからないまま明るく学校での授業のことなどを話した。


話をしている間中、今日見てきたことが頭から離れなかった。

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