2-3
空を見上げる。曇天で酷く蒸している。
整備された道路も、家並みも、ハイテクなデザインである車たちも、デジタル機器もぱっと見カッコいいけれど、そうした利便性と引き換えに地球人はより無機質に近い形になってしまっているのだろうか。だから愛という言葉さえなくなってしまった。
それとも瀬賀夫婦だけが例外なのか。
釈然としない気持ちで教室に入ると、南本がいた席には例の女の子が座っていた。
昨晩はあの地区にいたのだろうか。それともどこか別の場所に住んでいるのだろうか。なにより無事だったことに安堵し、この子は南本の代わりなのだろうと考えると苦しくなる。
「おはよう」
悠斗が席にやって来る。今日は悠斗の顔色が悪い。
「おはよう。具合悪いの」
「昨日の疲れがちょっと、な。なあ、今日は放課後空いている」
クラスは私語に満ちている。健吾もやってきて、咲夜の机の前に立った。
「今日は図書館で調べものをしようかと」
「なにを調べるの」
健吾が訊ねた。
「この国のシステムについていろいろ……」
8について詳しい文献があれば調べようと思っているのだ。
すると見とおしたかのように悠斗が言った。
「多分、咲夜の知りたいことは図書館にはないと思う」
健吾も頷く。
「知りたいことは、焚書の中にしかないぜ」
「焚書? この国は民主主義だろう」
悠斗と健吾を見比べる。
「民主主義でも完全な自由主義、というわけじゃない。矛盾は時々感じるけどね。時代によってはそういうことも起こり得るんだ。その焚書も今はもう残されていない」
「わかった。なら今日の放課後は付き合うよ」
悠斗も健吾も、なにか自分に言っておきたいことがあるのだろうと考えられた。
二人は昨日のあの状況で、8には決してなにもしようとはぜず、むしろ苦痛な表情さえ浮かべていた。
とすれば、この2人はまっとうな思考の持ち主で、信頼に足る人物なのだろう。
それとも自分の常識は、この国の常識ではないのか。
鹿江が教室に入ってきて、普通に点呼をとる。
そうして気づく。8は、担任から名前さえ呼ばれていない。
朝の報告が終わり担任が出ていったあとで、誰も見ていないうちにすぐに隣の女の子に小さく声をかけた。
「君、名前は。名前だけ教えて。お願い」
女の子は淡々と、素直に名乗る。
「あ、吾妻あく・・・・・・」
「あく?」
「悪魔の悪・・・・・・」
「君も、18歳だよね」
ゆっくりと頷く。名前が南本の時といいどうも変だ。親がそんな名前をつけるか。親はどうしているのだろう。聞きたいことが次々と出てくるが、本人に直接訊ねるのも気が引ける。
1時限目を担当する教師が入ってきた。必死に授業を理解し、大量に課題を出された。
数学A 物理A 化学Ⅰ 宇宙論Ⅱ 時間論Ⅱ
週5日、大抵こういうスケジュールだ。かなり頭を使う。数学の教師によると、旧時代の大学生が勉強していた内容を、今の高校生に教えていると言った。
目に入るのも、聞くのも数字と公式ばかりだ。国語と語学の授業は週に4時間しかない。
教師の説明の合間に、集中力がぷっつりと途切れる。
8になにをしてもいいのなら、仲良く昼食をとってもいいのではないのか。
みんながそうしているからといってなにもネガティブな事柄を馬鹿みたいにぶつける必要だってない。
昼休みになり、吾妻を誘ってみることにした。
「一緒に食べようよ」
クラスの子たちが一斉に注目し、遠巻きに眺めている。吾妻は困惑の表情を浮かべる。
「でも、私は」
「お願いするよ。一緒に食べてよ」
「じゃあ、俺からもお願いしてみようか」
悠斗が笑って弁当を持ってくる。健吾も「混ぜろよ」とパネルに備え付けの蓋をして机をあわせる。ひそひそと話し声やら陰口やら変な声が聞こえてくる。気にしない。
そういったものを跳ね返すたくましさはあると自負している。
吾妻は目を瞬かせながら、恐る恐るといった様子で鞄からおにぎりを取り出す。
「おにぎりはチャムでもわりと主流。それ、自分で作ったの」
吾妻はなにも言わずに頷いた。
「具はなにが入っているの」
健吾が訊ねる。吾妻は黙って首をふった。
「なにも入っていないの。素ニギリ?」
「素ニギリってなんだよ」
悠斗が訊ね返している。
「具がないおにぎりを素ニギリという。俺が勝手につけた名称。具があるなら具ニギリ。酢飯で作った具のないおにぎりは酢素ニギリ」
「酢飯でおにぎりって美味くなさそう」
悠斗が言って3人で笑った。吾妻も笑いをこらえているのか俯いている。深く追わずに見守りつつ、悠斗は弁当箱の蓋に野菜を置き、吾妻の前に差し出す。
「おにぎりだけでしょ、食べるもの。それだけじゃ栄養足りないよ」
「……いい」
吾妻は小さな声で言った。
「なんで」
「8にあげたなんて言ったら、あなたが怒られる」
「怒られたっていいよ、別に」
予想外の返答だったのか、吾妻は悠斗を見遣った。
「俺たちは君と弁当を食べたいから食べた。弁当を分けたかったから、自主的に分けた。ただそれだけ」
「俺のも食え。食え」
健吾は言って卵焼きを弁当箱の蓋に乗せる。
「じゃ、僕のも」
咲夜も弘子の手作りハンバーグを蓋に乗せた。
「流石にこんな贅沢なものは貰えない……」
吾妻が身を引く。
「遠慮しないで食べなよ」
どうも自分の弁当は他の子たちよりも豪華に思える。弘子がなにかと気を遣ってくれているのだろう。
「ありがとう。でもこれだけは本当に貰えない」
ハンバーグは返された。なぜかと問おうとしたが、吾妻の目が若干潤んでいてなにも言えなくなった。こういう優しさを身近に感じたことはあまりないのだろう。
他愛ない話をして、休憩が終わる頃に吾妻は少しだけ微笑みを浮かべていた。
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