2-2


学校での生活には慣れましたか。環境はどうですか。日本での今の時期は比較的温暖だと聞いています。油断して風邪などひかないように注意してくださいね。愛しています。

川島水穂・真也



朝、川島夫婦からの通信が届いていて泣きそうになった。


昨晩の地獄が頭から離れない。集合時間になり帰る頃には死者が多く出ており、バスは大型の回収車とすれ違った。暴力に加担していた子達はずっと興奮が醒めないといった様子で喋り続けていた。古門はバスの中で平然と菓子を食べていた。


悠斗と健吾はずっと沈黙を続け、あれからろくに会話ができていない。


弘子に呼ばれて着替え、夫婦と共に朝食を食べる。


「昨日はどうだった。お弁当ちゃんと食べてくれて嬉しかったわ。お土産もありがとう」

「お弁当、美味しかったです」


そう言って笑い、スープを口にする。法律で禁止されているのならば、この夫婦の前でも8(エイト)について会話をするのはいけないことなのだろうか。


「どうかしたのか」


湯治がちらりと見る。スプーンを動かす手を止める。


「あら。お口に合わなかった」

「いえ、そういうわけでは」

「なにか言いたそうに見えるな」

「日本は幸せな国だと聞いていました……ずっと。ですが、本当に幸せなのでしょうか」


湯治は笑ってコーヒーを口にする。


「なんだ。ホームシックか」

「いえ、そうではなく、その。8(エイト)のことなんですが……」


思い切って言うことにした。


なにも知らされていなかったから、知識がまるでなくびっくりしたということを伝えた。


「ああ、8居住地区への見学があったらしいわね、昨日」


見学などという生易しいものではなかった。


「説明しよう。8にはなにをしてもいいんだよ。別段気にする必要もない。会社にも学校にもいる」


湯治は顔色一つ変えない。


「どうしてなにをしてもいいのですか。殺しまで」

「そう決められているから」

「同じ人間でしょう」

「人間ではないよ。あれらは人間として認められていない」


いや、人間だ。内心で反発する。


「石を投げられたら嫌だと思う感情はどんな生き物にだってあるでしょう。それでも投げつけていいのですか」


湯治はカップの中の液体を見つめている。表情がまるで濁らない。


「はは、そこまでいちいち考える必要はないんだよ。8は8として存在しているだけだ」


なにかの圧力によって虐げられている人がいる。それを黙って見過ごしているのはどうにも気分が悪い。


「地球に来る前は、日本は誰もが平等に生活ができる国だと思っていました。国民はしっかりとした教育を受けられ、ちゃんと愛情を与えられて子供たちは育っているものだと」


湯治は「はん?」と言った。ブレスレットのスイッチを押し、トップページを空間に映し出すと、語彙を調べている。


「アイジョウとはなにかね」


検索結果、0件。咲夜は内心で驚く。声が震える。


「子供が与えられて一番喜ぶものですよ。お金でもなく、物でもない。湯治さんも、息子さんがいらっしゃるのなら愛情をかけて育てていたのではないのですか。だから立派に独立していったのでしょう」


湯治は唸り、少し考えるように天井を見上げた。


「アイ。弘子は知っているか」


弘子に目をやる。首を傾げる。


「さあ。なんの単語でしょう……」


嘘だろ、と思った。この国に愛という言葉は存在していない。


「あなたがたは愛情があって息子さんを育てていたはずですよ」

「生んだ以上は育てるのが親の義務だろう」

「義務だけで育ててきたのですか。本当に義務だけ?」

「子供を育てるってそういうものだ。必要なものを与え教育を与え、餓死させないように食べさせる。ふむ。そのアイ、というのは科学的根拠と裏付けをもって説明できるものなのかね」


絶句する。ベースにあるものは地球にも必ずあると思っていた。


それは物理的なものだけではなく、目に見えないものも含めてだ。


「一人前に育っている子は愛の証では……」


声が消えそうになる。


「そんな非科学的なものに、生産性はないだろう。より生物的に優秀に育てることが、親の義務だよ。DNA鑑定で、どのような子供ができるかを事前に調査し、そこから遺伝子操作で子供は親の望みどおりに誕生してくる。全てが望むまま、とはいかないが、誤差は予想範囲内だ」


なにも答えることができない。


「そろそろ会社に行かないと。話の続きは夜にでもしようか」


湯治は立ち上がり出かけていった。胸のうちでよくわからない黒い渦がくすぶっている。


「さ、咲夜君も。学校の時間じゃないの」


弘子がもうこの話はしたくない、といった調子でせかす。8はどのように決められるのか。それを聞きたかったが、とても聞ける雰囲気ではない。しかし愛が存在しないのならば、2人はどうやって夫婦関係を築いているのだろう。


「あの、湯治さんとはどうやって知り合ってご結婚を」

「ネットワークで条件にあった人を探して、そこで」

「じゃあ好きで結婚したわけじゃないんですか」


弘子は笑った。


「やだ、それは旧時代の発想よ。今はよりよい子孫を残すための条件を照合するシステムがあって……」


結婚は優秀な子孫を残すための義務。そこに愛はない。


「失礼なことをお訊ねしてすみませんでした」


時代が進みすぎると、失われるものがある。それは進化か後退か。


逃げるように、学校へ行くことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る