2-1

「ヒャッハアアアアア!」


前川達が突然走りだして、鉄板を繋ぎ合せた家だと思える場所へ入っていく。


中から誰かの悲鳴が聞こえ、1人の男の子が引きずり出される。前川たちは石を投げつけ、木の枝で男の子の足を刺している。同様に、他の生徒たちも動きを見せる。


学校の生徒の大多数が待っていましたと言わんばかりに楽しそうに駆け出し、一斉に破壊行為や暴力行為を始めた。ある生徒は近くにいた子供を蹴りあげ、ある子は服を脱ぎ捨て裸になり逃げている少女に乱暴を始める。


「ほらほらほら、バットを持って来たぜえ」


他のクラスの誰かが叫んでバットを振り回していた。あらゆるところから、テーマパークの時に聞いた悲鳴とは完全に真逆の叫びが聞こえてくる。


古門が菓子を食べながらみんなの行動を見て、面白おかしそうに笑いだした。しかし自分からなにかをしようとはしない。鹿江もみんなのしていることを、恍惚とした瞳で見ている。


地下空間は恐怖と狂気に完全に支配され、咲夜は混乱した。暴力を受けている人々の顔には皆「8」という字がある。なんだ。なんだ、これ。好きにして構わない? なんで。


思考が停止し、頭の中がひとつの同じ疑問で埋め尽くされる。そうして疑問のループから抜け出し我に返って再び惨状を目撃した時、喉から小さな声が出ていた。


「やめろ……」


泣き叫ぶ声、悲痛な声。地の底から聞こえる絶叫の連鎖。悲鳴に次ぐ悲鳴。


笑い声。笑い声。


近くで暴力の末、女性が転んで仰向けに倒れた。学校の誰かがその人に馬乗りになり頭部を楽しそうに殴りつけている。


「やめろ。やめ――」


呟きが叫びに変わろうとした瞬間、健吾が咲夜の口を塞いだ。


「だめだ。今は静かにしているんだ」


咲夜は健吾を振り払った。


「どうして。こんなのおかしいだろ。なんで人を襲っているんだ。なんでこんな」


健吾は静かに首をふる。


テーマパークであれほど高いテンションを見せていた健吾の目は冷静で、暗い色を浮かべている。悠斗と、少しばかりのクラスメイトはその場を動こうとはしない。


動かない子はおかしそうに傍観している生徒と、沈鬱な表情で様子を眺めている生徒に別れていた。


視線の先に目に入るシルエットさえかなり悲惨な状況に陥っている。


体が震えていた。


湧いてくる感情はひとつではないために、どうして震えているのか咲夜自身わからずにいた。


必死に頭を働かせる。南本の右腕に刻まれていた8という数字。ここはそういう刻印のある人たちが住んでいる場所で、8の刻印がない人々は刻印がある人々になにをしても構わない。 


そういうことか?


南本が紙と鉛筆しか与えられていなかったのも、授業を受けようとしなかったことも、誰とも言葉を交わしていなかったことも、この状況と照らし合わせれば納得がいく。納得だけは。


南本は8だから、誰かがどんな残酷なことをしてもよかった。だから殺された。


クラスでそうした気配がなかったのは、クラスでの、なにか良心的な気遣いがあったからかもしれない。そうして今はまた、南本の席に新しい女の子が座っている。


その子もまた。


自然と悠斗を見遣った。なぜ。なぜそんなことをする。


「8(エイト)の存在の是非、倫理について一般人が問うことは、法律で禁止されている……」


悠斗は淡々と、だが痛々しげな表情で言う。


「一般人ってなんだよ」


言って都知事の言葉を思い出した。『一般人ならなんでもできる』。それって、刻印が刻まれていない人たちのことなのか。つまりこうした光景を見てもなにも言うな、なにも問題を起こすなという含みも混ざっていたのだ。


なにも知らずに頷いた自分は浅はかだった。


だが、なぜこんなことが容認されているのだろう。ベースにいた時に得た日本の情報にも、8のことはなにも記されていなかった。


震えが止まらない。血圧があがっているのか頬が熱くなっていく。


きっと耳まで赤くなっているだろうということが自分でもわかった。怒りの感情だけは明確に捉えられた。背後で悠斗と健吾の視線を感じる。もう、一寸先は地獄絵図だ。


スラム街にさえママナのおかげで規律があったのに。


物乞いはしても金品目当てで盗むな、命を奪うことはするなという絶対的な決まりがあった。それをやったら人ではなくなると言われていた。だからなにも食べられない日は我慢をしていた。


ここには人ではない人々がいる。


その行為を咲夜の中で許容できない。このままずっと傍観し続けていたら、死体が転がっている日々が普通であったように、自分もなんとも思わなくなる日が来るのだろうか。


環境に溶け込み、8のいる日常が当たり前と思ってしまったら、理性の、常識の箍が緩み前川と同じようになるのかもしれない。


今だ。地球に来たばかりの今だからこそ、この衝撃を覚えておかなければならない。


だが、時間になるまでなにもすることはできずに立ち尽くしていた。

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