1-8


人が花壇脇で血を流して倒れている。青い光は、その花壇近くの地中から発せられている。


恐る恐る歩み寄る。うつ伏せに倒れ、背中がざっくりと大きく切りつけられている。首は横に向けて瞳孔は既に開いていた。右目の下に小さなやけどの跡がある。


頬にも8の刻印。


南本だ。風で微かに物音がした。振り返る。


鼓動がさらに速まる。


鞄が近くにあり、紙のノートや筆記用具が飛び出ている。風に煽られページがめくられている。そこには見覚えのある数字があった。


0+0=8 0×0=8 1+1=8 1×1=8 0+0=∞


チャムの貧民街、およびスラム街で死体はよく見かけていた。飢えや寒さで亡くなってすぐの死体というのは意外に綺麗なのだ。だが、目の前にあるこの顔は苦痛に歪められている。


「南本。ねえ、南本だよな」


教室で確かに見た呼吸を、もうしていない。どうすればいい。誰かを呼ばなければ。


周囲に電話かそれに準ずる機械がないかと探る。不意に1台の車が入口の前で止まった。


白く、縦に長い楕円形の形をしている。深緑色の服を着た男性が2人出てくると、1人は速やかに血で汚れた部分の掃除をはじめ、1人は南本の死亡確認をとる仕草をする。車の屋根には、回転灯が青く光っている。


最後にまた誰かが運転席から毛布を持って出てきた。南本の身体を包むと、車の後ろ側を開け、空いたスペースに乱暴に放り込む。そうして運転席へまた戻る。


事の成り行きをしばらく唖然と見つめていた。これは殺人事件ではないのか。法治国家なのだから治安を維持する警察などの機関が動いて近くにいた人になにか訊ねたり、検証したりするものではないのか。


消毒の臭いが漂い始める。事体が飲みこめず、この3人はなにをやっているのだろうかと思い、逆に緑色の服を着た人に質問をすることになった。


「ちょっと待って下さい。これは一体なんですか」


運転席にいた人は不思議そうな顔をする。


「見たことないの? 回収車だよ」


死体を回収する車のことか? 自分が知らなかっただけで、日本にも死体はよく人の目のつくところにあるのだろうか。


「警察は?」

「呼ぶ必要ないよ」

「どうして・・・・・・まさか窃盗目的で呼ばないとか」

「バカ言わないでよ。俺たちは国家機関直々の命令で働いているの」


運転手は、地面から発せられている青い光を指差す。地中にセンサーが様々に埋め込まれ、屋根の回転灯がナビの役割を果たすのだと言った。


「なら、南本は。彼女は誰に殺されたのですか」

「さあ。自殺じゃないの」

「どう考えても違うでしょう。血を流してうつ伏せに倒れていた。背中には切られたあともあります。誰かに襲われたとしか考えられませんよ」


清掃完了! 遺品はどうしますか。そういう声が聞こえる。


「持っていくよ」

「了解!」


掃除をしていた人が散らばっていたノートや鉛筆を鞄に入れ、車に乗る。


「じゃ、行くからね」


車はあっという間に走り去っていった。


児童公園の中には誰もいない。


土から青い光は発せられなくなり、花壇には色彩豊かな花が風に揺れていた。

 



「遅かったわね」


目当てのものがなかなか手に入らなかったことを弘子に話した。


公園で見たことはすぐには言わないほうがいい。弘子の気を悪くさせるわけにはいかない。


「わざわざ遠くまで買いに行ってくれたの。ありがとう。あら、なんだか顔色が悪いわ」


鼻に焼きついている血の臭いと消毒の臭い。吐き気がしている。


「なんでもありません。ちょっと疲れただけです」


部屋へ行くことにした。


課題を解く気さえ起きずベッドに横になる。日本は犯罪率も低いのではなかったのか。


それともたまたま稀に起こる犯罪を目撃したのだろうか。そして被害者が偶然南本?

デジタルネットで日ノ本町で起きた事件を検索する。しかしそのような事件が起きたという情報はまるでなかった。


地球へやってきて長時間車で移動している間、死体を見つけることはなかったが、それは浮かれて目に入っていなかっただけだろうか。たった数日のことなのに既に記憶は曖昧だ。


人が死んでいるのに、動きが見られたのがその回収車だけというのは妙だ。その人たちもすごく適当な返事をして去っていった。


誰かに襲われたというのは一目瞭然だった。


南本は誰に、なぜ殺されたのか。なぜ。誰に言えばいい? 地球に来てまだ日は浅い。


しかし本能は警告を鳴らす。


日本で生きていくにはなにか避けてとおれない問題がある。日本に来てから既に違和感をいくつも覚えた。南本の件はこのままでいいのか。日本人は噂とは違ってものすごく冷たいのだろうか。


それに、文明がベースより発展しているとはいえ、聞いていたよりも後退しているような雰囲気も感じる。聞いていた文明や技術度に対し、町の様子にちぐはぐ感があるのだ。


枕を持つ手に力を入れ、頭に被せる。まだ状況がなにも見えてこない。

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