1-3
疲れを癒すことを体が欲し、ぐっすりと眠った。
朝になり、スーツを着る。白いワイシャツに濃紺の上下。涼しげな色のネクタイ。川
島夫婦が正装用にと用意してくれたものだ。弘子は正装をした咲夜を見て溜息をついた。
「素敵。あなたが選んだの」
いえ。言って、ちょっと言葉を選んだ。
「その、両親が……」
「ご両親は見る目が確かなのね。それ、かなりいいものよ」
「ありがたいことです」
どのくらいいいものか実はよくわかっていない。ネクタイの締め方を知ったのも最近なのだ。
「さ、行きましょう。都知事に会うのは儀式的なものだから、すぐに終わると思うわ」
湯治は仕事へ行ったので、弘子が車を走らせる。東京の中心部、新宿の東京都庁舎へ行くのだ。市町村の名前は変わっても、各都道府県の名前は変わっていない。新宿という地名は由緒があるために、今まで変更はなかったと言われている。
新宿はやはり高い建物が密集していた。
車が止まる。降りて弘子と一緒に受付へ行き、用件を話すとしばらくして制服を着た
男性係員がやってくる。
「こちらへ」
案内されエレベーターに乗る。
着いたのは50階建ての最上階だった。絨毯の敷き詰められた眺望のよい部屋に通される。空のほうが近く見え、視線をずらすと地上が遠くに見えるので足がすくむ。
「あら。宇宙船には乗れたのに、怖いの」
「ここまで高い建物はチャムにはないんですよ。乗り物なら平気なんですが、こう地に足がついているところで高い場所にいると、いつ倒れるか不安になってきて……」
「倒れないように設計されていますから大丈夫ですよ」
係員は笑顔で言った。高さは進化の象徴なのだろうか。
促され、重厚な黒いソファーに腰をかける。別の係員がノックをした。
いらしたわ、と広子に背中を叩かれ、立ち上がる。緊張が走り身を硬くした。
係員がドアを開け、男性が2人入ってきた。「どうも」と気さくな笑顔を向ける。
係員によりドアは閉められる。4人になった。
「ようこそ日本へ」
60代くらいの細身で白髪混じりの男性が言い、木之下晴一と名乗って手を差し出した。この人が都知事で、握手を求めているのだろう。咲夜は笑って手を握り返し、名乗った。
「私は日霧市長、小野村智之です」
こちらは40代くらいだろうか。少しひるんだ。目の奥にはなにか計り知れない不気味さがある。なにを見てきたのだろう。体もがっちりとしており、身長も180以上はあると思われるので、少し怖い印象がある。
察したのか、小野村は言った。
「よく言われます。立っているだけで『怖い』と。もともとこういう顔相なので」
「すみません……」
名乗り握手をする。都知事が豪快に笑った。
「君の日本での活躍を祈るよ。日本ではなにを勉強する予定なの」
「歴史と、知らない言葉もあるので日本語は1年でよりしっかりと身につけたいです。それから、将来的にはベースと地球の相互関係をよりよいものにするための仕事に就きたいです」
ほう、と都知事は若干含みのある声で言った。
なにを言おうとしている? 考えたが、裏を読み取れない。
「一般人ならなんでもできる国だよ。高度な専門知識が必要な分野の職業は別だけれどね。やっていけそう?」
一般人? なにか引っかかった。でもその正体が分からない。
「はい。でもここに来たばかりで、右も左もわかっていなくて」
そりゃそうだな。まず文化に馴染まないと。また豪快に笑う。
「生活する上で困ったことがあったら、私にお申しつけください」
小野村が言った。濃紺のスーツの襟部分になにかが金色に光っているので魅入っていると、小野村は気づいたのか説明をする。
「これは市役所の人間なら誰でもつけているバッジです。菊の形をしています」
「へえ、そうなんですね」
「日本の国花は、菊と桜なのですよ」
「知らなかったです。チャムには代表花みたいなものはないので」
「そうなの。チャム大陸には行ったことがあるけど、そういえば花は見たことがない。代わりに不思議な情緒や景観があった。どんな国家として成り立っているの」
都知事に訊ねられ、慎重に答える。
「文明を発達させることに必死だったので兵器を使うような戦争はなかったと聞いています。あと行政や司法はあります。大統領制ですが」
「ふむ。司法か。遵守されている」
大罪以外なら、わりと誰もが細かい法は無視して気ままに生活をしている気がする。
川島夫妻さえも。わりとルーズなのだ。だがそんなことは言えない。
「まあ、一応」
「この国は法治国家としての歴史が長い。君のいたところとは異なるだろうし、戸惑ったり窮屈に感じられたりすることもあるかもしれないけど、そこは大丈夫。法は遵守できそう」
「はい」
「まだベースの人間だからね。君には日本で日本人としての法は適用できないけれど、変なことはしちゃだめよ」
法は、市民権が得られるまで日本のベース人枠での適用となる。
最初の1年はベース人は日本人と同じ権利を与えられない。そのため、ベース人用に作られた法律がある。びっくりするくらい緩い法律だ。恐らくベースとの揉め事を避けたいのだろう。
「慣れれば快適だと思うよ。旧時代の過酷な労働体制や、年功序列は排除して、息苦しい社会にしないように、長い年月を費やして国が環境を整えてきたんだ。昔は酷かったと聞く」
「あの、旧時代っていうのはどのくらい前のことを指すのですか」
都知事は天井を見上げる。
「大体、2100年前後までかな。そこからもう500年は経過しているが……旧時代は、今とよく比べられるんだよ。文化文明が進化して滅びかけて一巡して、今は2010年代や20年代と似たような文化になっている」
「今、文化、歴史的背景は500年前とあまり変わっていないということですか」
「ネット文明なんかは変わっていないね。一度大きく変わって問題が発生して、先ほども言ったとおり2010年代、20年代の再現がなされている。紙幣の価値も一度変わって、また同じようになっている。政治体制も大きく変えたが上手くいかず、また昔と似たように戻した。比較的豊かだった時代の模倣をしてるんだよ。ま。こういう話は日本で暮らしながら調べていくといい」
都知事は言って、時計を見ると立ち上がる。
「話はここまでにしよう。楽しんでね」
「あ、すみません質問で時間を取らせてしまい……」
「いいのいいの。若いうちはどんどん質問するといい」
「では私もこれで失礼します」
小野村も言い、2人は去っていった。
係員に再び案内され東京都庁舎を出る。それから弘子の車で日霧市まで戻り、通うことになる高校へ行く。学校は日霧市の中心部でやはりビルの密集した中にあった。
10階建てビルの中の、1階から4階までが高校。各階には緑の芝生を施したグラウンドやテラスがある。そこから上は、様々な企業が入っているようだ。
受付に警備員がおり、校長と教頭、肩までの黒髪の女性が出迎え挨拶をする。女性は鹿江圭子と名乗り、担任になるようだ。4クラスの主任であるという。
ビル内で使う通行証を発行し、身体検査を受けて1日を終える。学校へ着ていくものは私服でいいと言われた。
帰りは道を覚えるために地図を貰い、弘子と別れてひとりで帰路についた。
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