第2話 青山朱莉の幼馴染
私―――――青山朱莉には、幼馴染がいる。
社内の成績は私と一位、二位を争い、高身長、高学歴、高収入の上に、女子の理想を全て集めたような顔とスタイルを持っていると『言われている』、天宮蒼という幼馴染が。
だから入社初日、私はどこにいってもモテる蒼と
絶対に名前で呼び合わないこと。
そのルールがあるのなら、物心ついたときからずっと一緒だった私と蒼の関係だって、自然と疎遠になるはず……………だったのだけれど。
「……………え?」
目の前にある荷物が二人分―――――つまり、自分の以外にもう一人分の荷物があることに気づき、私は思わず間抜けな声を上げる。
その拍子に、母と話していたスマホが鈍い音を立てて落ち、その通話機器の中から聞きなれた母の声がした。
『朱莉? もうそっちついたのよね?なら、もう会ったでしょう?』
「いや、会ったって…………誰と? それに、私そんなこと聞いてないんだけど!」
『あら、言ってなかった? あなたの同棲相手は、』
母が電話越しでもわかるほどにひどく上機嫌な声を拾おうとスマホを握る。
その瞬間、本来そこに住む人しか開けられない鍵が開く音が聞こえた。
「――――――あれ、朱莉?」
先程入社式で聞いた―――――違う、
拾ったばかりのスマホが二人分の荷物を見た時よりも多くの汗をかいた手によって再び傷一つない綺麗な床へと落ちて行き、母の声が遠ざかっていった。
「………………蒼」
長い沈黙の末に絞り出した声は、掠れて声になったかも怪しいほど。
重すぎる空気の中私たちは同時にため息をつき、ずるずると床にしゃがみ込む。
――――――どうやら、私たちの腐れ縁は途切れることはないらしい。
◇◇◇◇◇
「……………はぁ」
今日も今日とて面倒な上司から押し付けられた仕事をこなしながら、私は誰もいないのを言いことに大きなため息をつく。
先週の夕飯はカレーだったから今日はシチューがいいな、と考えながらキーボードを無心で鳴らしていると、少しだけ寂しい気持ちになってきた。
「てかこれ、絶対あのクソ上司の仕事でしょ!」
明らかに二十代組にやらせる仕事じゃない内容を見て、私は思わず資料をべしりとたたく。
わざと大きな声を出した分その声は大きく響き、私は思わず肩をすくめた。
「早く終わらせよ」
明るい家。温かいご飯。実家で飼っている犬に、優しい家族。
他の社員が帰ったせいでほのかに暗いオフィスは、どこか薄気味悪い。
気分を変えるために無理やり自分にとって嬉しいものを思い浮かべるけれど、何か足りない。
当たり前のようにそこにあって、なくてはならない存在。
「…………って、そんなのあるわけ―――――」
「朱莉」
「ひゃあっ」
ガラガラガラ…………と椅子が遠くへと行ってしまった音が聞こえる。
息を吹きかけられた耳を抑えながら振り向けば、缶コーヒーを持った蒼が背後で無邪気に笑っていた。
「…………何やってんの?」
「ごめんって」
謝りながらも笑っている蒼は、昔からやっていることが変わらないように思える。
そう考えながら椅子を引き戻して座った瞬間、蒼が持っている二人分の缶コーヒーが目に入った。
「蒼。コーヒー飲むのはいいと思うけど、流石にそれは飲みすぎだと思う」
「違うわバカ。…………ん」
私の頭を叩いた後、二つのうち一つを差し出してくる蒼に、私は首を傾げる。
朱莉の、とさらりと告げた蒼に対し、多分こういうところがモテるのだろうな、と冷静な頭で考えた。
ありがたくそれを頂戴し、私はそれをずず、とすすりながら仕事を再開する。
―――――私は幼稚園からずっと蒼と一緒にいるけれど、彼を嫌う人は見たことがない。
顔は抜群に整っているうえに、勉強だってスポーツだってなんでもできる。
そんな風に全てをそつなくこなす蒼は、昔からみんなの中心だった。
もちろんそれだけでなく、いつも誰にでも優しくて明るい奴だったから、というのもあるけれど。
当たり前のように仕事を半分持っていく蒼の顔が、パソコンのライトに照らされて仄かに光っていた。
最初のうちは「天宮なんて」と言っていた人も、蒼と関わればたちまち彼のことが好きになる。
私としては幼馴染が他の人に褒められるのは嬉しかったし、今だってその気持ちは変わっていない。
――――――でも、きっと遠くないその日に。
「終わった」
「こっちも終わった。…………じゃ、帰るか」
蒼の言葉に頷き会社を出て、いつも立っている警備員さんに会釈をする。
そうして歩きながらスマホの画面を開くと、ふと『お知らせ』の文字が出てきた。
それをスクロールして開いた瞬間、純白のウエディングドレスとスーツを着た一組の男女が現れる。
「わ。高校が同じだった子、もう結婚してる」
「ほんとだ。まあ、俺らもいつかはするんだろうなあ」
――――――そう、「いつか」。
いつか蒼も、自分の『大切な人』を見つけるのだろうか、と。
そんなことを考えながら開いていたスマホの電源を切ると、画面が真っ暗になる。
何も映ってないその画面には、なんとも言えない顔をしている私がいた。
「……………ねえ蒼、今日はシチュー食べたい。クリームから手作りね」
「なんでお前は自分が料理できないくせにそう難しい奴を頼むんだ」
◇◇◇◇◇
————女子の理想を全て集めていると『言われている』幼馴染の実体は、とても煩いお母さん2号と言ったところである。
そんなことを考えながら、私は目の前に置かれたシチューに目を輝かせた。
「いただきまーす」
市販のルーではない、蒼お手製のクリームシチュー――――ちなみに私は市販よりも蒼が作った方が好きだ―――――は、おいしそうな匂いと共にほかほかと湯気を立てる。
軽く手を合わせてそれを口に入れた瞬間、まろやかな甘みが味覚を刺激した。
「おいしー。私がニンジン切った甲斐はあったよね!」
「三本切るのに二時間格闘している奴が何言ってんだか…………」
「美味しいからいいでしょ」
美味しくしたのは俺だけどな、と呟いた蒼の言葉をスルーして、私はもう一度シチューを口に入れる。
蒼の方もシチューに口を付けたのを見ながら、私はそういえばと口を開いた。
「週末病院行ってたけど、どうだった?」
「それが、お医者さんに『 四百四病の外です』って言われた。何だろ?」
「薬は?」
「メッセージもらった。「頑張れ」って」
「精神病の一種とかじゃない? ちゃんと休み取らないから」
蒼は「それもそうか」と頷きシチューを食べるのを再開し、他愛無い会話を二人で続ける。
そろそろ食べ終わると思った頃、そうだ、と正面にいる彼は声を上げた。
「今日の人参、上手く向けてたな」
まあ、前のジャガイモよりは上手かった。
そう言ってくしゃりと笑った蒼の顔を見て、私は思わず動きを止める。
いきなり固まった私を不審に思ったのか、顔の前で手を振り始めた蒼に、私は小さく首を傾げた。
「蒼。もしかしたら、私も不整脈かもしれない」
「朱莉もか? 揃いも揃って不謹慎だな」
俺の場合は違ったけど、と言った蒼の顔をもう一度見て、私は胸に手を当てる。
―――――心臓が、少しだけ痛い。
ドクドクと高鳴るそれを私たちにだけ与えられているのなら、心臓が痛い原因は会社を狙ったテロかもしれない。
そして、二人そろって首を傾げたあと何事もなくご飯を食べ終わったけれど、やっぱり心臓が落ち着く気配はなくて。
また、ふとしたことでドキドキと波打つ心臓に手を当てる。
何となく、自分の『大切な人』が、わかりそうな気がする。
それは、当たり前のように
――――――この気持ちがわかるまで、きっと、あともう少し。
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