会社では完璧な幼馴染が、家では料理できないっ子で可愛すぎる件。
沙月雨
第1話 天宮蒼の幼馴染
俺————天宮蒼には、幼馴染がいる。
容姿端麗、社内の成績は優秀、まさに「完璧」という文字をそのまま人で表していると『言われている』、青山朱莉という幼馴染が。
「青山さん。これ、9時までに終わらせてくれる?」
「わかりました」
そんな声が聞こえて、俺はふと顔を上げる。
そこには長い髪の同期————青山朱莉がいて、そいつは相変わらず多くの書類を渡されていた。
それをじっと見ていると、ふと目があったそいつは俺を睨みつける。
その眼力の強さに、俺は入社式の後のことを思い出した。
『会社で私のことは苗字で呼んで。私も蒼のこと苗字で呼ぶから』
『は? なんで?』
『そういうことだから』
そう言って去っていった幼馴染の後ろ姿が思い浮かぶ。
それからその宣言通り苗字で呼び合っている俺たちは、少しずつ疎遠—————にはなっていないのだけれど。
昼休憩になったことを確認し、俺は椅子から勢いをつけて立ち上がる。
その瞬間、俺の後ろを通りがかった部下が、俺の椅子にもたれかかった。
「天宮さん、これから昼ですか? よかったら俺と一緒にいきません?」
「あ、私も一緒に行ってもいいですか?」
「わたしも!」
「俺もー」
じゃあみんなで行くか、と笑えば、最初に声をかけてきた部下の橋本を中心に、周りは段々と賑やかになる。
十人ほど集まったところで移動しようとすると、軽く誰かにぶつかった。
「あ、ごめ————」
「…………天宮、どいて」
謝るよりも先に低く唸る声に、橋本がびくりと肩を震わせる。
「すまん」と謝ると、ぶつかった相手———朱莉は、先ほどと同じく俺を睨むと、書類を抱えて去っていった。
「頑張れよー」
「…………天宮さん、よく青山さんと話せますね」
手を振って見送ると、どこか怯えたような橋本に声をかけられる。
そそそ、と寄ってきたそいつは、内緒話をするように俺の耳に顔を近づけた。
「青山さんって、本当に『鉄の女』って感じですよね。仕事は優秀、容姿端麗、それでいて異性とは絡む気配無しですよ」
「………鉄の女、ねえ」
「そうですよ。まあ、天宮さんの場合も、人との関わり方以外青山さんとそう変わらないんですけど。天宮さんたちって、同期ですよね?」
橋本がそう聞き、「ああ、そうだな」と軽く頷く。
ここで幼馴染ということを言ったとしたら朱莉に殴られる故。
触らぬ神に祟り無し、である。
すると、橋本はうわあと顔を顰めて俺を見た。
「俺、絶対この二人と同期になりたくないですよ。こんな人達と同期なら、どんな人でも凹みます」
天宮さんも青山さんも優秀すぎるんだ! と叫んだ橋本に、俺は思わず笑ってしまう。
「そんなこと言うなよ、橋本も十分すごいからさ」
「俺、一生天宮さんについて行きます!」
俺がそう言って励ますと叫んだ橋本の声に、同僚たちが爆笑して同意した声が響いた。
◇◇◇◇◇
「よ、朱莉」
「天宮。
「別にいいだろ、誰もいないし」
そういう問題じゃない、と返した朱莉の言葉を無視して、俺は朱莉の隣にある自分のデスクに座る。
ギシ、と小さく音を立てた椅子を回すと、俺は朱莉のデスクに積み重なっている、山のような書類の半分ほどを自分のデスクへと移した。
「じゃ、ちゃっちゃと終わらせるか」
「は?」
怪訝そうに見てくる幼馴染を横目にパソコンを開き、俺は時間を確認する。
8時10分とある時刻を見て、俺はうんと頷いた。
「まだ間に合うな」
「余計なお世話」
「俺は昔から世話焼きなタチなんだ」
「飼育当番ほっぽり出してたやつが何言ってんの?」
「それはそれ、これはこれ」
「全部同じよバカ」
毒を吐きながらもパソコンを叩いている朱莉は、俺が手伝う前よりもスピードアップしているように見える。
これ、俺不要なやつ? と呟くと、当たり前でしょと返された。
それでも俺は手伝うことをやめず、キーボードを叩く音だけが静かな空間に響く。
しばらくして俺の分は終わった、と思い横を向くと、どうやら同じタイミングで終わったらしい朱莉と目があった。
「…………ありがと」
そう小さく呟いた幼馴染の髪を撫で、俺は鞄を持ってオフィスを出る。
今日の夕飯は何かなー、とわざとらしく叫んだ俺を見て、朱莉は大きなため息をついた。
—————はず、なのだけれども。
目の前にある結構悲惨な景色を見て、俺は思わず大きなため息をつく。
ため息をつく立場が正反対になっているという事実には気づかないふりをした。
俺と朱莉は、いわゆる同居という奴をしている。
決して同棲ではない。幼馴染は家族に入るのだ。もう一度言う、決して同棲ではない。
主にコストの削減という利益の合致から始まったそれは、入社したときから続いているのだが…………まあそんなことはどうでもいい。
問題なのは、
「…………朱莉。あーかーりー。あかりさーん」
「うっさいわよ、蒼! 今いいところなんだから待ってて!」
「えぇ」
ピーラーをもってジャガイモと格闘している状況―――――幼馴染に言わせれば「いいところ」らしいそれを見て、俺は本日二度目のため息をついた。
朱莉はなぜか恨めし気に俺を一瞥してから、もう一度ジャガイモと向き合う。
その姿はさながら敵と対峙する武将だ。
「…………朱莉。もうそれ、絶対俺がやった方が早いから」
「蒼はルーでも煮込んどいて!」
「ルーはそもそもジャガイモを入れてからなんだよなあ…………」
会話でお察しの通り、今晩のメニューはカレーである。
キングオブ定番の
『野菜が切れない』というカレーのルーに役割をあたえないその問題には、ルーを作っている会社もびっくりであろう。
とりあえずジャガイモとの格闘が長引きそうなので、隣にあったニンジンを乱切りで切っていく。
皮は大事だよな、と呟きながらリズムよく切っていると、朱莉がジト目で俺を睨んだ。
「蒼、ドーピングしてるでしょ」
「こんなしょうもないことでするかよ」
「今この瞬間、全国の料理が苦手な人を敵に回したからね」
そういってしばらくした後、「よし、できたあ!」と喜んでいる朱莉を見て、俺は包丁を置いてポケットからスマホを出す。
パシャリ、と音を立てたそれに、朱莉はこてりと首を傾げた。
「何撮ったの?」
「写真」
「喧嘩売ってる?」
「売ってない売ってない」
ほら、ジャガイモあと二つ残ってるぞ、と言うと、朱莉はとたんにピーラーをもってジャガイモと真剣に向き合う。
一秒も満たないうちにずるりと手が滑っている幼馴染を尻目に、俺は先ほど撮った写真を確認した。
「あれ、私じゃん」
「やーい『鉄の女』」
「早くカレー作ろう?」
「誰のせいだ」
その言葉にハッとしてジャガイモを持つ彼女と同じ顔が、俺のスマホに入っている。
けれど
『鉄の女』はこんなもんかと吹き出し、ちょうど昼にその話をしていた奴らに見せてやりたいな、と思ったけれど、その話を蒸し返すと朱莉が拗ねるので我慢する。
そんなことを考えている間に、朱莉はどうやらジャガイモを向き終わったらしい。少々…………結構、いや、かなり不格好な形をしているジャガイモを一口大にカットし、そのまま火にかける。
「カレーまだー?」と聞いてきた幼馴染の頬のジャガイモの泥を手で拭うと、彼女は何をされたかもわかっていないような顔をして目を瞬いた。
——————三十分後、我ながら
辛いものが苦手な朱莉のために中辛と甘口を混ぜたそれは仄かな湯気を立てていて、朱莉はさっそく手を合わすとスプーンをもって食べ始めた。
「おいしー」
にこにこと笑いながら、また一口とカレーを運ぶ朱莉を見て、俺は心臓の上に手を当てる。
どうしたの?と首を傾げた朱莉に対し、俺は首を傾げながら口を開いた。
「なんか、心臓が痛い」
「不整脈じゃない? 蒼やばいじゃん」
「そうかも。今度病院行ってくる」
朱莉の言葉にそう返し、スマホで病院の予約を取る。
その拍子に間違って写真のアプリを開いたとき、先程撮った朱莉の写真が現れた。
それを見て、うーん、と俺は少しだけ考える。
さっきは皆にこの朱里を見せてやりたい、と思ったけれど。
「……………まだ、あと少しだけ」
あと少しだけは、と思ってしまう自分は、きっと卑怯だ。
そしてそのまま視線を落とし、口いっぱいにカレーを詰め込んだ幼馴染を見る。
会社では不器用で、俺がいるとくつろいでいる朱莉は、少し変わっている。
けれど―――――カレーを食べて頬を抑えている幼馴染に対しドキドキしている俺の心臓の方が、きっと、よっぽどおかしい。
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