ひとつ分からないことがあり、わが新潟県では「渡船」が被差別部落だった話を聞きました
長岡藩は、家老が福沢諭吉先生と仲がよく「四民平等」思想が早く入り、被差別部落撤廃に早くから動いたので、長岡藩影響下には痕跡がほとんどなくなっていて、あまりにキレイさっぱりなくなっているのに驚愕しました。
そのため寝た子も起こしようもない、と
(新発田などは痕跡がまだあります)
作者からの返信
東国では、そもそもの絶対数が少ないからかもしれませんね。
自分は元々は大阪住まいでしたので、そこかしこに部落の場所があったので。
あとですね、現場の匙加減ってのもあるんですよ。
差別が根強い地域は特にそうで、四民平等にエタを加えるのを嫌った役人が、わざわざ戸籍台帳にエタである事を書き加えたり、「新四民」などと別の読み方をしたりする例もかなりあります。
長岡藩については詳しくは分かりませんが、おそらくは思想や習俗的に、上手く痕跡が残らなかったのではないかと。
畿内、特に大阪や京都はひどいもんですよ。
これは本当に勉強になりました。
ありがとうございます。
作者からの返信
この問題は腫れ物扱いで、触る人がいませんから、名前は知っていても考察する人は少ないんですよね。
だからこそ、少しは知っていてほしいかなと考えて書きました。
恵みを奪われ、残るは嘲りだけとは辛かったと思います
私の住む地では大学まで授業料が無料だったり、所得税を収めなくでもいいなど特権(救済?)がありすぎてスポイルされてしまった方たちもいます
外からわざわざ入ってくる人もいて、今後どうなるのか、かなり複雑です
差別を受けたくない私の親世代は、さっさとお金を貯めて新興住宅地に転居しました
作者からの返信
自分も元は大阪住まいで、そうした地域もありましたね。
色々と学びましたとも。