食い意地が張ってる私には、なかなか解脱の道は遠そうです。
そして「3、自分に供するために殺したと知らない」でちょっと気になりました。
四国に「お接待」という習慣があり、通りかかるお遍路さんに色々と供しておもてなしをし、無事にお遍路を終えてもらうために応援?していますが、その時に「お遍路さんが来たら食べてもらおう」と思って余分に作ること、これが「ギリギリセーフ」みたいに思えたんです(笑)
「ああ、自分たち修行僧のために余分に作ってくださったのだな」と思って受け入れることは「中道」だと思うのですが、その時に「でも、そのために鶏2羽つぶしてるから食べられないや」と思わず、ありがたく食べていただきたいものですね。
作者からの返信
さらに噛み砕いて言うと、
自分が本来食べる分を『善意』で相手に渡す献身的精神
が重要なんだそうです。
分かち合える、という第三者同士の善意こそ尊い。
最初から上げる事を前提にすると、その心が薄れるんだとか。
とても勉強になりました。
「自分への過度の厳しさ、逆に甘えは、ともすれば極端に走らせ、道より転がり落ちる要因になりかねません。」
ここ、すごく納得しました。
多様性という観点からも、「0か100か」の極端な発想より、ここで書かれていた「中道」の考え方が個人的に好ましいです。
作者からの返信
過ぎたるは猶及ばざるが如し。
厳し過ぎるのも、甘すぎるのも、自分のためにはならないという事です。
悦楽と苦行の双方を味わった仏陀が行きついた先が『中庸』であったのです。
どちらにも寄らず、真ん中を行く。