応援コメント

肉を食べても問題ありません!」への応援コメント

  • 幼少のころにお釈迦者の絵本だったと思いますが、お琴の弦は、強く張りすぎても、緩すぎても鳴りはせぬ。程よく調整して楽しく踊れと書いてあったような記憶があります。
    中庸の徳 最近の日本になくなってきた言葉ですね。

    作者からの返信

    貪る事無く、それでいて拒絶する事もなく、程よく真ん中を行く。

    何事も過ぎたるは猶及ばざるが如し。

    中庸こそが肝要なのです。

  • とても勉強になりました。

    「自分への過度の厳しさ、逆に甘えは、ともすれば極端に走らせ、道より転がり落ちる要因になりかねません。」
    ここ、すごく納得しました。

    多様性という観点からも、「0か100か」の極端な発想より、ここで書かれていた「中道」の考え方が個人的に好ましいです。

    作者からの返信

    過ぎたるは猶及ばざるが如し。

    厳し過ぎるのも、甘すぎるのも、自分のためにはならないという事です。

    悦楽と苦行の双方を味わった仏陀が行きついた先が『中庸』であったのです。

    どちらにも寄らず、真ん中を行く。

  • 食い意地が張ってる私には、なかなか解脱の道は遠そうです。

    そして「3、自分に供するために殺したと知らない」でちょっと気になりました。
    四国に「お接待」という習慣があり、通りかかるお遍路さんに色々と供しておもてなしをし、無事にお遍路を終えてもらうために応援?していますが、その時に「お遍路さんが来たら食べてもらおう」と思って余分に作ること、これが「ギリギリセーフ」みたいに思えたんです(笑)

    「ああ、自分たち修行僧のために余分に作ってくださったのだな」と思って受け入れることは「中道」だと思うのですが、その時に「でも、そのために鶏2羽つぶしてるから食べられないや」と思わず、ありがたく食べていただきたいものですね。

    作者からの返信

    さらに噛み砕いて言うと、

    自分が本来食べる分を『善意』で相手に渡す献身的精神

    が重要なんだそうです。

    分かち合える、という第三者同士の善意こそ尊い。

    最初から上げる事を前提にすると、その心が薄れるんだとか。

  • なるほど、と思いました。

    宗教の食物の禁忌って結構ややこしいですもんね。

    作者からの返信

    そうなんですよ。

    なんでもOKな日本人で良かったと思う点。

  • 那謨夢神

    作者からの返信

    南無阿弥陀仏