第55話 たった一歩かもしれないけど、それは確かな成長

「シンユー、行ってくるね」

『行ってらっしゃい、ユフィー』


 キャサリンにゴボウを手渡した後、ユフィはいつものように身支度をして寮を出て学校へ向かった。

 空は抜けるように青く、適度に涼しい風が頬を撫でて気持ちのいい。


 いつもより胸が軽やかなのはきっと、気のせいではないだろう。


「おはよう、ユフィ」


 教室に到着すると、ライルが気さくに挨拶をしてくれる。


「お……おはようございます、ライル様」


 昨日、ライルの前で恥ずかしい姿を見せてしまったためか、いつも以上に声が安定しない。

 そそくさと席について机に突っ伏し、ホームルームが始まるまで外界の情報をシャットアウトしようとするが。


「ユフィ」

「は、はいっ」


 声をかけられて、振り向く。心なしか、ライルの表情が険しい。


「わ、私、気づかないうちに何か無礼を? あああ本当にごめんな……」

「違う違う、そんな大したことじゃなくて」


 ぽりぽりと頬を掻いた後、ライルは言った。


「もうそろそろさ……『様』じゃなくて良いんじゃない?」


 ライルの言葉の意図はすぐにわかった。

 第三王子という、自分と比べて太陽とアリンコほどの地位のライルに対して『様』付けは当然だと思っていた。


(でも、ライル様自身がしなくて良いと言うのなら……)


 むしろ、その言葉の通りにする方が失礼に当たらない気がする。


「わかりました……えっと、ライルさん」

「君とかで良いよ」

「さ、流石にそれは周りの目を考えるとハードルが高いといいますか」


 ライルが良くても、その他大多数の貴族が許さないだろう。


「うーん……それもそっか。じゃあ仕方がないね」


 ライルは若干残念そうだが、ここで妥協してくれたことにユフィはホッとする。

 同時に、ライルとの心の距離が少しだけ縮まった気がして、なんだか胸が温かくなった。


(なんか、いいな……)


 学校に行くと、友達がおはようを言ってくれる。

 普通の人にとっては当たり前の光景かもしれない。


 だが今までずっと一人だったユフィにとっては、思わず顔が綻んでしまうほど喜ばしいやり取りだった。


「やけに嬉しそうだけど、どうしたの?」

「なんでもないですよ、ライルさん」


 ユフィが返したその時。


「ライル様! おはようございます!」

「今日もご機嫌麗しゅう、ライル様!」


 昨日と同じく華やかな格好をした令嬢二人がライルに話しかけてきた。

 知らない人と話すのはご勘弁被りたいので、ユフィは光速で机に突っ伏す。


「おはよう、アンナ、ソフィ。今日もとても美しいね」

「まあまあまあ! ライル様にそう仰っていただけて、今日も一日頑張れそうです!」

「ありがとうございます! ありがとうございます! ライル様とお話できた今日という日も、私は思い出の一ページにしかと刻みたく存じます!」

「だから、それは流石に大袈裟だよ」


 ライルは苦笑しつつも受け応えをしている。

 気を遣ってくれているのか、昨日のように話を振ってくる気配は無かった。


(うう……ここで私も会話に混ざれたらな……)


前回は話を振られた瞬間、ユフィは気配を消して教室から逃げ出した

ライルと話すだけだったら平気だが、他の人も混ざるとまだまだ緊張してしまう。


(でも……)


 この学園に来てから、ライルだけじゃなく、エドワードやジャック、エリーナ、そしてノアとも話せるようになった。

 人と会話することに大の苦手意識があったが、今はほんの少しだけ和らいでいる気がする、それに……。


 ──ユフィが攻撃魔法を使えなかったとしても、僕はユフィの友達になっていたよ。


 ライルの言葉が頭の中でリピートする。

 それは、ユフィの後ろ向きな思考を大きく前進させる魔法の言葉だった。


 がばっ、ゴッ。


「あいたっ」


 顔を上げたら勢い余って後ろの席に後頭部をぶつけてしまった。

 とっても痛い。


(締まらないな、私……)


 思わず苦笑が漏れる。

 でも仕方がない、これが自分という人間なんだから。


「だ、大丈夫かい、ユフィ?」


 ライルが心配そうな声をかけてくれる。


「えっ、なになに……?」

「えっと、ユフィ、さんだよね……?」


 さっきまでピクリともしなかったのに急に動き出したユフィに、二人の令嬢は困惑していた。

 その二人に顔を向け、強張る表情筋を懸命に宥める。


(勇気を出せ、私!)


 曲がっていた背中をしゃんと伸ばし、息をたっぷり吸い込んで、ユフィは口を開いた。


「あのっ──」

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