第52話 VSゴルドー

「ああ! なんてこと!」


 エリーナが悲痛な声をあげて、ジャックとエドワードの元に駆け寄る。

 すぐにライルとユフィも駆けつけた。


「くそっ……いてえ……」

 

 頭から血を流すジャック。

 二人とも見るからに大怪我を負っていた。


 衣服は無残にも引き裂かれ、血に染まっている。

 特にエドワードの方は意識がなく、胸から腹部にかけて深々と傷を負っていて地面を赤く染めていた。


「ひどい……」


 思わず、ユフィが溢す。

 ジャックとエドワード、自分を仲間として受け入れてくれた人が無残な状態になっている。


 その事実を受け止めた途端、ドクンッと心臓が高鳴った。


(な、なに……?)


 自分の意思と関係なく、急速に浅くなっていく呼吸にユフィは戸惑う。

 そんなユフィを、シンユーがじっと見上げていた。


「しっかりして! 今すぐ治してあげるから……癒しの神よ 」


 エリーナがエドワードの治療に当たったその時。


『グオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!』


 身の毛もよだつような咆哮がビリビリと森に響き渡る。

 その咆哮をあげた魔物は、手に持っている棍棒でいとも簡単に木々を薙ぎ倒した。


「馬鹿、な……」


 二人をこんな状態にしたであろう存在を認めたライルが、掠れた声で言葉を落とした。


 山のように大きく、岩壁を思わせる鍛え上げられた体躯。


 肩から腕にかけて盛り上がった厚い筋肉、岩石のように強靭な四本の手には禍々しい金棒が握られている。


 鋭い牙がむき出しになった口からはたっぷりと涎を垂らしており、赤く輝く双眸からは怨念の篭った凄まじい殺意を周囲に放っていた。


「信じられない! キング・サイクロプスは危険度A級のモンスターだぞ!」


 悲鳴にも似た声を上げるライルだったが、現実は無慈悲にも目の前に君臨し続けている。

 危険度A級の魔物──それは、王国軍一個旅団を出動させてようやく討伐できるかどうかといったクラスの強敵だ。


 通常は魔王城や魔王領の特に瘴気が濃いエリアにのみ生息しており、間違っても人間領の国のど真ん中に存在していいものではない。

 仮に遭遇した場合に取れる手段は全身全霊をかけて逃げること、それでも生存率は1%といかないだろう。


 当然のことながら、ただの学生である生徒会のメンバーの手に負える相手では無かった。


「ジャック、一体何が起こってる!?」


 まだ意識のあるジャックに、ライルが詰め寄る。


「俺も、何が何だかわかんねえ……気がついたらキング・サイクロプスが現れて、それで……」


ジャックは唇を噛みしめると、キング・サイクロプスの方向を指差した。


「あの男が……」


 見ると、キング・サイクロプスの足元にフードを被った男が立っていた。


(あれは……)


 ライルが目を細める。

 男の指先に嵌められた魔道具には見覚えがあった。


(『従属の指輪』か……どおりで)


 キング・サイクロプスは本来、目に映ったもの全てを蹂躙し尽くす獰猛な魔物。


 しかし今はこちらを睨みつけながら『グルル……』と威嚇するだけで襲ってきてこない。


 一歩踏み出し、ライルは男に尋ねる。


「お前が、キング・サイクロプスを使役しているのか」

「ご名答」


 パン、パンと、男をゆったりとした拍手をライルに贈る。


「友人二人は惜しいことをしたな。さっきの攻撃で大人しく死んでおけば、苦しみが長引くこともなかっただろうに」

「誰だ、お前は?」


 男の言葉を無視して、ライルは鋭い声で訊く。


「ゴルドー」

「……聞いたことのない名前だ。見たところ人間のようだけど、魔王軍の手先か?」

「だと言ったら、どうする?」


 ニヤリと、ゴルドーの口が歪む。


「……フレイム・ケルベロスを放ったのも、子犬がいなくなったなどと嘘の目安箱を入れたのも、お前か」

「察しがいいな。流石は第三王子と言ったところか」


 ひゅう、とゴルドーは場にそぐわぬ口笛を吹き、フードを取る。

 ……痛々しい火傷の跡を顔全体に刻んだ、スキンヘッドの男が姿を現した。


「目的は何だ? 答えろ、ゴルドー!」


 ライルが声を放つ。

 キング・サイクロプスという絶望の象徴がいるにも関わらず毅然とした態度を保てているのは、ライルがこれまで王族として鍛え抜かれた精神の賜物だろう。


「ベラベラと目的を話すと思っているのか? 第三王子は度胸はあれど、頭は足りてないようだ」

「訊くのはタダという言葉があるからね。それに、キング・サイクロプスを使役するほどの者に、度胸を誉められるのは光栄だよ」


 余裕さえ感じさせる返答に、ゴルドーはクククと笑いを漏らす。


「そうだな、確かにその通りだ。だが……どうせお前たちはここで死ぬ。だから、冥土の土産に教えてやろう」


 淡々とした声でゴルドーが続ける。


「人類と魔王軍の戦いが始まってはや千年……今は小康状態とはいえ、終結したわけではない。来るべき決戦に備え、魔王軍は着実に力を溜めている。それまでに、人類側の力を出来る限り削ぎ落とす。お前たちも、エルドラ地方で多くの魔物を討伐しただろう? 魔王軍勢に対してやっていることを、俺たちもしている過ぎない」

「なるほど……」


 合点のいったようにライルが頷く。


「ただの学生風情にA級の魔物を充てがうなんて、俺たちも高く買われたものだね」

「本来であれば、フレイム・ケルベロスで事足りていたはずなんだがな。予想外の事態が発生した」


 ゴルドーがライルの横に立つ、ユフィを見遣る。


「そういうことか……」


 合点のいったようにライルは苦笑した。


「高く買われたのは、ユフィの方だったみたいだね」


 ──すっ、とユフィがライルの一歩前に出た。


「ユフィ?」


ライルの声を無視して、ユフィはゴルドーに問う。


「二人を傷つけたのは、あなたなの?」


 その声には、ユフィが今まで出したことのない、凍てつくような冷気が漂っていた。


「見ての通りだが?」


 ゴルドーは挑発するように笑う。


「そう」


 ユフィは、エリーナが治療に当たっているジャックと、意識を失っているエドワードを順番に見遣る。

 その瞳に冷たいものを宿し、怒気の籠った言葉で空気を震わせた。


「貴方だけは許さない」


 人が変わったようなユフィに、ライルは何も言うことができない。

 一方のゴルドーはニヤついたまま言葉を続ける。


「貴様の存在は異質だ。それは認めよう。どこかに監禁して根掘り葉掘り聞き出したいところだが、それよりも貴様という脅威を排除する方が先だ」


 ゴルドーが手を振り上げる。


「フレイム・ケルベロスを撃破したとはいえ、キング・サイクロプスは倒せまい!」


 空に掲げた手を、ゴルドーはユフィの方に向けて言った。


「全員殺せ!!」

『グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!』


 大きく身体を震わせ、キング・サイクロプスがこちらに向かって突進してきた。

 図体の巨大さの割に動きは速くみるみるうちに迫ってくる。


 補足されたらもう逃げられない、そんな恐怖心を掻き立たせる迫力だった。


「皆! 俺を置いて逃げろ!!」


 エドワードが叫ぶ。


「流石のユフィでもA級相手じゃ分が悪……」

「大丈夫」


 ライルが落ち着いた声で言う。


「多分、大丈夫だと思う」


「渦雷爆(ヴォルテックス・ブラスト)」


 ユフィが小さく呟いた途端、掌から突如として雷の渦が噴き出した。

 激しく渦巻く雷はすぐに目視できないほどの雷光を放つ。


 巨大な蜘蛛の巣にもハリケーンにも見える雷撃は、目にも止まらぬ速さでユフィの手から飛び出した。


『クッ……?』


 この場を支配していた者とは思えない抜けた声。

 青白い閃光がキング・サイクロプスを飲み込む。


 目を開けてられないほどの光量は、まるで天から神の怒りが降り注いでくるかのようだった。


「うおっ……!?」

「きゃっ……!!」


 バリバリバリ!!

 空気を引き裂くような音と共に雷撃が巨体を貫き、全ての組織を破壊し尽くす。


 ライルが目を開けた時には、キング・サイクロプスの上半分が砕け散るようにして吹き飛ばされていた。


「―――――!?」


 目も口も鼻でさえも限界まで開き、ゴルドーは顔を驚愕一色に染めた。


 それに対してユフィは。


「あら、案外柔らかいのですね」


つまらなそうに感想を口にするだけであった。

しかし次の瞬間、キング・サイクロプスの吹き飛んだ上半身がボコボコと音を立て始めた。


 泡立つような速さで新しい筋肉が生まれ、血管や皮膚が広がり目が再形成される。

 その一連の動きは突如として水面に沸き上がる湧水のように、肉体から湧き上がる生命力の象徴のようだった。


「再生能力……!?」


 エリーナが驚愕の声を上げる。

 これまで見たこともない、A級モンスターの恐ろしい再生能力にただただ驚愕するしかなかった。


「ふふふ……キング・サイクロプスの真の恐ろしさはこの再生能力! 先ほどは意表を突かれたが、A級の名は伊達じゃない! さあ、もう一度……」

「炎獄爆(インフェルノ・バースト)」


 ゴルドーの御託なんぞ興味ないと言わんばかりに、再び呪文を唱えるユフィ。

 小さな手から巨大な炎が吹き出し、鉄をも溶かす熱波を纏いながらキング・サイクロプスの巨体を包み込む。


『グオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォッ!?』


 断末魔を上げながら、キング・サイクロプスは地面をのたうち回った。


「馬鹿な! そんな高出力の攻撃魔法を連続で撃ってなぜ涼しい顔をしている!?」


 ゴルドーが驚きの声を上げる。

 ユフィが放っている魔法は明らかに、一つ一つが莫大な魔力を必要としている。


 普通ならば魔力が枯渇し反動によりぶっ倒れるはずだ。

 にも関わらず、汗ひとつかいていないユフィにゴルドーは底知れぬ恐怖を抱いた。


(だがここで引くわけには…!!)


 今度こそ成果を上げなければ、命がない。


「ええい! 水脈衝(アクア・パルス)」


 ゴルドーが叫ぶと、彼の手から大きな水の弾が飛び出しキング・サイクロプスを包み込む。

 炎上していた巨体はじゅわわわっという音と共に鎮火した。


 もくもくと水蒸気が舞い散る中で、キング・サイクロプスの火傷が癒えていく。


 黒焦げになっていた皮膚は再生し、裂けた部分は新鮮な肉で塞がれ身体は再び無傷の状態に戻った。


「無駄だ! キング・サイクロプスの再生能力を甘く見……」

「旋風斬(トルネード・スラッシュ)」


 再びユフィが魔法名を口にする。


 ザンザンザンッ!!


 刹那、巨大な刃となった風がキング・サイクロプスの首と4本の腕を跳ね飛ばした。

 それぞれの断面から噴水のように青色の血が噴き出す。


「再生能力があるなら、その再生が追いつかないくらい破壊し尽くすのみ」


 ユフィが淡々と言う。

 彼女の声は平坦で、触れたら凍ってしまいそうな冷たさがあった。


(本当に、ユフィちゃん……?)


 ぞわりと、エリーナは思わず身震いする。


 今までユフィが纏っていたふわふわとして抜けていた雰囲気とは真逆の空気にエリーナは息を呑んだ。


「ユフィ! そいつはおそらくゴルドーから直接魔力供給を受けている!」


 ライルの声が割って入った。


「その男を倒さないとキング・サイクロプスは止まらない!」


 ライルの言葉に、ゴルドーはギクリと表情をこわばらせるも。


「よく気づいたな。だがもう遅い!」


 そう言って彼は懐から何かを取り出す。

 それは小さな石のようで、特殊な輝きを放っていた。


「あれは! 超高純度の魔石!」


 エリーナが叫ぶ。

 それは魔法師にとって、魔力を大量に供給することができる貴重なアイテムだった。


「そうだ! これがある限り魔力が尽きることはない。少なくとも明日の朝まではな!」


 ゴルドーが得意げに笑う。


「流石のお前でも耐えきれまい! ふははははは!!」


 ──ひゅんっ!!


 次の瞬間、ユフィの手から短く鋭い閃光が飛び出した。


 ぱきんっという呆気ない音と共に、その閃光はゴルドーの手に握られていた魔石を粉々にする。

 それからドスッと、後ろの木に何かが刺さった。


 ……先ほど、ユフィが回収した錆びついたナイフだった。


「……は?」


 素っ頓狂な声を落とすゴルドー。

 彼の頬から血が伝い、手からは粉々になった魔石の破片がこぼれ落ちた。


「岩石鎚衝(ストーンハンマー・インパクト)」


 呆気に取られているゴルドーに構わず、ユフィがトドメの魔法を放つ。

 ゴゴゴゴと大地が震え、ユフィの頭上に巨大な岩石が出現した。


 ゴツゴツとしたその岩石はハンマーを模しており、天から降り注ぐ神の審判の如く、キング・サイクロプスに向けて振り下ろされる。


『グ……』


 最期の言葉を遺す間もなかった。

 ゴキュブチュンッと生々しくも重苦しい音と共に、岩石ハンマーがキング・サイクロプスに直撃した。


 風圧と衝撃波で周囲の木々が揺れ動く。

 誰をも恐怖に陥れる畏怖の象徴が、上下方向に圧縮され地面にめり込む様は馬鹿げた夢のよう。


 ユフィが手をサッと振ると、岩石ハンマーは光の粒子となって姿を消す。


 後には静けさだけが残された。地面に撒き散った青黒い血だまりのみ、先ほどまでキング・サイクロプスが存在していた証の全てであった。


「…………」

「…………」

「…………」


 目の前で起こった光景に誰もが言葉を発せないでいる中。


「ぅっ……」


 ユフィがふらつき、後ろに倒れそうになる。


「ユフィ!」


 そんな彼女を、ライルが素早く抱き止めた。


「ユフィ、大丈夫? 気をしっかり持って」

「ライル……さん? わたし……なにを……?」


 ユフィの声は小さく、朧げだった。

 まるで、先ほどまで意識を失っていたかのような反応。


「ユフィちゃん、大丈夫、もう全部終わったから……」


 エリーナもユフィに優しく声をかける。

 ユフィは何度か目を瞬かせてキョトンとしていたが。


「皆さんが無事なら、それで良かったです……」


 えへへと、先ほどまでの冷徹さを一ミリも感じさせない笑顔を浮かべるユフィであった。


 その間に、ゴルドーはこそこそその場から離脱しようとしていた。

 虎の子のキング・サイクロプスを撃破されてしまったのだ。


 戦うという選択肢はもはや存在しない。


「あ、てめえ! 逃げんじゃねえ!」


 ジャックが気づいて追いかけようとする。

 しかし。


「くっ……!! 霧幻影(ミスト・ファントム)!!」


 瞬間、ゴルドーの姿が揺らめき、蜃気楼のように消え失せた。

 攻撃魔法を組み合わせて応用した隠匿魔法だろう。

 

 キング・サイクロプスの存在感で霞んでいたが、ゴルドー自身も上位レベルの魔法師のようだった。


「くそっ、逃げ足の速い奴だ……」


 悔しそうにジャックは悪態をつく。

 後には、キング・サイクロプスとの戦闘の跡と、生徒会のメンバーだけが残された。

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