第43話 キャサリン・アフロ・クルクルヴィッチ

 気のせいではなかったことは、昼休みにわかった。ざわざわと人手の多い廊下にて。


(今日も中庭で食べようかな……)


 人気のない場所で昼食を食べるべく、ゴボウサラダが入った弁当箱を抱えてトコトコ歩いていたユフィの前に現れたのは、一際華やかな装いの女子生徒。


 後ろには取り巻きと思しき女子も控えていた。


(わぁ、すごい美人さん……)


 思わず、ユフィの目が吸い込まれる。


 先頭の女子は大きな縦巻きロールの髪型が特徴的で、ブロンドの髪がゴージャスに揺れていた。大きな青い瞳は宝石のように輝き、顔立ちはまるで陶器の人形のように美しい。


 制服は同じはずなのに、彼女が着ていると優雅さをより一層引き立てている。


(都会ってすごいなあ……それに比べて私は……地味だし猫背だし挙動不審だしううう……)


 ユフィのネガティブが発動した、その途端。


 ニヤリと、縦巻きロールの口元が歪んで──。


「おっと、足が滑りましたわ」


 ゲシッとバケツを蹴飛ばした。


 どう見ても故意である。

 その直撃コースには、ユフィがいた。


 ユフィの視界がスローモーションみたいにゆっくりになって、情報が瞬時に入り込む。


(このまま躓いて転んだら、他の人にぶつかって迷惑をかけて白い目で見られてしまう!!)


 それは耐えられないと、反射的にユフィは手を伸ばす。

 低級の雷の魔法を放ってバケツを弾こうとしたのだ。


 しかし、一瞬の間にライルの言葉が脳裏を過った。


 ──僕たち以外の前で攻撃魔法を使うことはもちろん、使えることを誰にも公言しちゃいけないよ?


 そう、人前での攻撃魔法の行使は固く禁じられている。

 攻撃魔法が使えることが生徒会メンバー以外にも露呈してしまえば──人体解剖コース一直線である。


(流石にそっちの方が嫌!)


 伸ばしていた手を、ユフィは引っ込めた。


(ああ、ごめんなさい……これから私に追突される人……)


 心の中で謝罪しつつ、ユフィはそのままバケツに躓こうとし「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお危ないいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」


 空気を切り裂く声と共に、ほとばしる炎がバケツを直撃する。

 どこからともなくやって来たジャックが放った火魔法であった。


 しかしちょっと出力を間違えたのか、バケツは派手に粉々に吹き飛び周囲に散らばった。

 さらに不運なことに、炎は近くにいた縦巻きロールのお嬢様の髪に燃え移った。


「いやああああああああ!! 火事ですわ!! 火事ですわあああああああ!!」


 自慢の縦巻きロールを炎上させながら縦巻きロールが走り回る。


「ウォーターボール(水球)!」


 ばしゃあ!!


「わっぷ!」


 すかさず現れたライルの水魔法によって、縦巻きロールの炎上は消し止められた。


「ふう、なんとか延焼は避けられたね。危ない危ない」


 ライルが涼しい顔で言う。


「悪いな、手間をかけた」

「気にしないで。火魔法って調整が難しいよね」

「ちょっと! いきなり何するんですの!?」


 何事も無かったように言うジャックに、縦巻きロールが激怒の声を上げる。

 なんだなんだと、周囲を歩いていた生徒たちが足を止めた。


「わりいわりい、少し調整を間違えちまった」

「悪いですむ問題じゃないですの! 見てごらんなさい! 私の自慢の髪が……!!」


 縦巻きロールが頭を指差す。

 そこには、それはそれは見事なアフロヘアが誕生していた。


「ミリア様……お髪が……ぷっ……」

「シッ……そんなこと言っちゃ……ぷぷぷっっ」


 後ろに控えていた取り巻きたちも、突如出現したアフロに笑いを堪えきれない様子。

 それが一層、縦巻きロール改めアフロの怒りを増幅させた。


「きいいい!! お前たちまで私を馬鹿にして!」


 ダンッと廊下を思い切り踏みつけてアフロはジャックに向けてビシッと扇子を向ける。


「たとえガリーニ家の令息であろうとも、由緒正しきクルクルヴィッチ公爵家の長女である私、キャサリンは貴方を許さなくてよ! 即刻、誠意ある謝罪とパーマ代を要求するわ!」


 顔を真っ赤にしてジャックに詰め寄るアフロ改めキャサリン。

 しかしジャックは一転して、瞳に冷たい感情を宿して口を開いた。


「髪をアフロにした件は謝る。パーマ代も出してやる、けどよ……」


 ジャックの視線がバケツの残骸からユフィへ、そしてキャサリンに戻った。


「お前の方こそ、ユフィに謝った方がいいんじゃねえか?」

「な、何をですの?」

「とてもじゃねえが、足を滑らせたようには見えなかったぞ?」


 ジャックの言葉にキャサリンの表情が一瞬強ばるも、ふんっと鼻を鳴らして。


「そう見えただけでしょう? 私は本当に足を滑らせましてよ。変な言いがかりはやめてくださいま……」

「僕も、ジャックの意見に賛成だよ」


 事態を静観していたライルが、刺すような声で言う。


「故意にバケツを蹴って、ユフィをこかそうとしたように僕は見えたね」

「ライル・エルバート様……」


 先程までの強気な姿勢から一転、キャサリンの顔に焦りが滲む。


「お、お言葉を返すようですが、本当に私は不注意で……」

「僕の目が節穴だったとでも?」

「い、いえ! そのようなことは……」


 貴族社会において上下関係は絶対。

 この国の第三王子であるライルを前にしては、有名公爵家の娘といえど虚言は許されない。


 ぎりりとキャサリンは歯軋りした。


「元はといえば、その女が悪いのですの!」


 ライル相手では分が悪いと判断したキャサリンは、今度はユフィに扇子を向けて叫ぶ。


(わ、わたし!?)


 ぽかんと自分を指差すユフィに、キャサリンは罵声を浴びせた。


「回復魔法もロクに使えない平民のくせに! 生徒会に入れるなんてどう考えてもおかしいですの! 本来であれば生徒会に入るのは私でしたのに!」


 鬼気迫る顔でユフィを睨みつけるキャサリン。

 澄んだ両眼には、燃えるような嫉妬と憎しみが目から滲み出ていた。


 その様子を見たライルは、「ああ、なるほど」と手を打つ。


「私怨で嫌がらせをするなんて、クルクルヴィッチ家の名が泣くよ?」

「平民の生徒会入りを許す方が、エルバート家の名折れだと思いますわ」

「ノア会長直々の判断に異を唱えるのかい?」

「流石にノア様といえど、此度の判断は疑問を持たざるを得なくてよ」


 針のような言葉が交錯し、キャサリンとライル間でバチバチと火花が散る。


(ああああっ、私のせいで……どうしようどうしようどうしよう!)


 一緒即発の緊張感に、ユフィがメンタルを崩壊させそうになる。

 自分のせいで誰かが仲違いすることに、小心者のユフィは我慢ならなかった。


「け、喧嘩はやめませんか!?」


 空気に耐えられなくなったユフィが声を上げる。

 思った以上に大きな声が出て、場がしん、と静まり返った。


「ほう……」


 ライルが感心したように目を丸める中、ユフィは口を開く。


「わ、私のせいで、こんなことになってごめんなさい。お詫びになるかはわかりませんが、これでどうか気を鎮めていただけると非常にありがたく存じます……」


 そう言って、ユフィは弁当箱をキャサリンに差し出す。


「なんですの、これは?」

「私の生まれ育った村のゴボウで作った、ゴボウサラダです。きっと美味しいと思います……」

「ゴボウサラダ!?」


 キャサリンがギョッとする。


「あああっ、ごめんなさい、もしかしてゴボウは苦手でしたか? でしたら今から購買に行って焼きそばパンとか買って来ますが……」

「クルクルヴィッチ家の名にかけて、そんなパシリのようなことは致しません! というか、貴方でしたの!? 私の部屋の前に毎日ゴボウを置いてたのは!?」

「へっ……?」


 予想だにしなかった言葉に、ユフィは一瞬思考を硬直させる。

 しかしすぐに頭の中で、カシャカシャチーンとパズルが組み上がって。


「おおおおお隣さん!?」


 ユフィが生徒会のメンバー以外にゴボウを献上した人物というと、まだ見ぬお隣さんしかいない。

 まさか目の前のアフロ令嬢が、自分が毎日のように騒音迷惑をかけていたお隣さんだったとはとユフィはびっくり仰天する。


「ちょうどいいですわ! 貴方にはいつ苦情を言いに行こうか迷っていたところですの!」


 ズビシイッと扇子を向けられてユフィは「あうっ」と萎縮する。


「や、やはりゴボウはお嫌いでしたか? でしたら本当にごめんなさい……」

「違いまし! ゴボウはとても味わい深くて食感もコリコリで普段胃にもたれる食事ばかりの私からするととても美味で毎日食べたいくらいで……って、それが問題じゃありませんの!」

「と、言いますと……?」

「渡し方が問題ですの! 朝、学園に行こうとドアを開けたら、震えた文字で『ゴメンナサイ』のメッセージカードと一緒に、ゴボウを祀る祭壇が目に飛び込んできた時の私の恐怖をお分かりでして!?」

「だ、ダメでしたかっ? 個人的にはなかなかの出来栄えだと思っていたんですが……」


 流石に、ゴボウだけを玄関の前にポンと置くのは良くないと思って、購買で購入した小さな祭壇セット(学園には他国からの留学生もいるため、宗教的な理由で売っているらしい)にゴボウを乗せて、騒音騒ぎのお詫びを意図した『ゴメンナサイ』のメッセージを添えたのだが。


「ホラー以外の何物でもありませんでしたわよ! 誰が持って来たのかも分からなかったですし、食べないと呪い殺されるんじゃないかと思って食べましたけど!」

「あっ、食べてくださったんですねありがとうございます、とても嬉しいです」


 ペコペコと頭を下げるユフィに、調子を狂わされたキャサリンがずっこけそうになる。


「はあ……もういいですわ。怒るのも馬鹿らしくなってきましたの」

「な、なんだか呆れさせてしまったみたいで、ごめんなさい」

「とにかく! 今度からゴボウをくれる際には普通に渡してくださいまし。それと……」


 頬をぽりぽり掻いてから、キャサリンは小さな声で言った。


「……今朝のゴボウサラダもなかなか絶品でしたわ。また暇な時にでも作ってくださいまし」


 その言葉で、ユフィの顔がぱああっと明るくなった。


「はい! もちろんです!」


 それはもう嬉しそうにするユフィに、キャサリンが毒気のぬかれたように息をつく。


「さ、お前たち、行きますわよ」

「は、はいっ」


 取り巻きを引き連れて、キャサリンはその場から歩き去っていった。


(ちょっと怖かったけど、ゴボウも、ゴボウサラダも食べてくれた……キャサリン様もきっと、良い人に違いないわ……)


 そんなことを思いながら小さく手を振るユフィに、ライルが尋ねる。


「なんかよく分からなかったけど、二人とも、知り合いだったの?」

「知り合いではないですが、ゴボウの絆で結ばれていました」

「……? やっぱりよく分からないけど、面倒事にならなくてよかったよ」

「あああごめんなさい私なんかがお手を煩わせてしまって」

「そんな、気にしないでいいよ。あれはキャサリン嬢のやっかみに近かったし、ユフィが謝ることは一つもないさ」

(ううっ……ライル様のフォローが眩しい……!!)


 思わず目を覆ってしまいそうになるユフィであった。


「終わったんなら早く行こうぜライル。さっさと肉を食わねえと、朝のトレーニングで痛めた筋肉が治らねえ」

「相変わらず、ジャックは筋肉を虐めるのが好きだね。あ、そうだ」


 今思いついたみたいな顔をして、ライルはユフィに尋ねる。


「ユフィも一緒に、お昼どう?」

「へっ……?」

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