第9話 中庭での出会い
入学式が執り行われたホールからほど近い、学園の中庭。
そこは、無機質な煉瓦造りの校舎群とは対照的な、四季折々の美しさを見せる豊かな自然に囲まれた場所。
広々とした空間には古木が立ち並び、暖かな春風がそよぎ、枝葉が静かに音を立てている。
真ん中には小さな噴水があり、水面が日光を受けてキラキラと輝いていた。
そんな、穏やかで心落ち着く場所で。
「うっぷ……」
ユフィがゲロりそうになっていた。
田舎育ちのユフィは、入学式の人口密度に耐えきれず人酔いを発症してしまったのだ。
自分の吐瀉物でこんな素敵な場所を汚してはいけないと、ユフィは必死に喉奥から迫り来る熱い魔物を押し込める。
しかしなかなか魔物を倒すことが出来ない。
ブラックウォルフが可愛く思えてきた。
かくなる上はとユフィはよろよろ立ち上がり、草木が生い茂っている場所に自分の身をすっぽりと収めた。
「ああ、緑……草の匂い、落ち着く……」
完全に不審者である。
しかしこの行動が功を奏してか、魔物は胃に帰っていった。
なんとか吐瀉物の噴水の誕生は免れたと、ユフィが一息ついていると。
「おや?」
突如かけられた自分以外の声に、心臓が胸を突き破って空の星になりそうになった。
反射的に振り向く──これまたどえらい美青年と目があった。
色白の肌、湖面に映った空の如く明るい水色の髪。
長めに切り揃えた前髪から覗く瞳の色は深い森を思わせる緑色。
口元は横一文字に結ばれていて、表情の変化が乏しいように見える。
細身でありながらも均整の取れた体つきは、彼の儚げな雰囲気を一層引き立てていた。
青年は学園の制服を着ているが、その着こなし方はまるで古代の詩人が詠んだ神々の装束のよう。
幻想的な美しさを孕んでいて、目を離させない不思議な魅力があった。
そんな美青年がユフィの姿を見るなり、春のせせらぎのような声で一言。
「不審者ですか?」
やっぱりそう見えているらしい。
「ちちち、違いますっ」
ガサガサッと音を立てて、ユフィは草木から立ち上がる。
「なら、かくれんぼですか?」
「そ、それも違いますっ……入学式で人酔いしたので、緑に癒されていたのです」
(って、説明下手すぎ! 緑に癒されるって何!? 絶対変な子だと思われた私のバカー!)
ユフィがコンマ数秒の間で後悔を炸裂されていると、青年は顎に手を当て考える素振りを見せてから言う。
「……なるべく自然と一体化して、心を落ち着かせていた、ということでしょうか?」
「!?」
こくこくと、ユフィが頷く。
「気持ちはわかります。自然と触れ合うのは、とても癒されますから」
青年のゆったりとした言葉に、ユフィはぱあっと表情を明るくする。
自分の奇行を理解してくれた上に、共感もしてくれた。
それだけで、ユフィの頭の中ではラッパ隊がファンファーレを奏でるほど嬉しい事実であった。
(はっ、そうだ! お近づきのシルシにゴボウを……って、今無いんだった!)
入学式にゴボウを持っていくのは流石に違うかなと思って部屋に置いて来たのが悔やまれる!
「しんどいなら、保健室に行った方が」
「いいいいいええ! 大丈夫です! なんとか落ち着いてきましたので」
「なら、よかったです」
それまで無表情だった青年が、控えめな笑顔を浮かべて頷く。
並の令嬢だとこの笑顔だけで心臓を撃ち抜かれ両目を♡にしてしまうところだろうが。
(この人もきっと高貴な方……何か失礼なことしてないかな……ううう心配すぎる……)
自己肯定感が低すぎてそれどころではないユフィは、別のことでバクバク高鳴る心臓を宥めるのに必死であった。
「じゃあ、僕は読書をします」
そう言って、青年は中庭にごろんと寝転ぶ。
そしてどこからか取り出した文庫本を開いて読み始めた。
突然マイワールドへ行ってしまったノアを前に、ユフィは目をぱちくりさせる。
(なんだか、不思議な人だなあ……)
マイペース、と言うべきか。
敬語口調も相まってとても腰が低い人ではある。
ただそれよりも印象的なのは、周囲の意見に左右されない、強い自分の世界を持っているように見えるところだろう。
珍しく、ユフィの人見知りがそこまで発動していない。
普通の人とは違って、彼はどこか話しやすく親しみがある。
自分と似ているというと失礼だが、何かしらシンパシーを感じていたのだ。
(本が趣味ということはインドア趣味の人……インドアと言えば私……つまりこの人は、私と同じ!)
ユフィの頭の中でそんな式がシャカシャカチーンと音を立て、青年に対する感情がより明るいものになる。
例えるなら、犬の大群に放り込まれた迷い猫が、数年ぶりに仲間の猫と再会したような気持ち。
青年に対し、ユフィは特大の仲間意識を誕生させたのであった。
「君、新入生ですよね?」
「ひゃうっ」
また不意に声をかけられバクバクと高鳴る胸を押さえユフィは視線で『なぜそれを……?』と表情で尋ねる。
青年の視線が、ユフィの制服の胸元に移動した。
「リボンの色、赤なので」
「あ……」
青年の言葉で、ユフィの頭の中の理解の糸が繋がった。
魔法学園はリボンやネクタイの色によってその生徒が何年生かを判別することができる。
女子の一年生は赤、二年生は薄ピンク、三年生は青といった風に。
男子は何色が何年生か忘れたが、確かライルは赤だったはずだ。
それを踏まえて青年のネクタイの色を確認すると──緑。
「ということは、貴方様は上級生……」
「貴方様って」
「ごめんなさい、どう呼んでいいかわからず……」
「僕はノアといいます。君は?」
「……………………………………………………ユフィ、と言います」
「その長い間はなんですか?」
「勇気を補充していただけなので気にしないでください……」
「なるほど、喋るのが少し苦手なんですね」
こくこくこくこく!
首が捥げんばかりにユフィは頷く。
(少しどころじゃないけど! ノア様すごい……!! 人の心が読めるみたい!)
青年改めノアに対する好感度を、ユフィがググーンと上昇させていると。
「よろしくお願いします、ユフィ」
青年改めノアが手を差し出してくる。
瞬間、ユフィは石像みたいに固まった。
「どうしましたか?」
「あああごめんなさい! なんでもないです!」
(昨日に続いて、今日も親愛の握手を獲得出来るなんて……)
十五年も居たのに一度も握手出来なかったあの村はなんだったんだろう。
昨日ライルとしたのと同じように、ユフィはおずおずとノアの手を取った。
しっかりとした印象だったライルの掌と比べ、ノアのそれは比較的小さくどこか儚げだった。
「ところで、ユフィはパーティには行かなくていいんですか?」
「ぱーてぃ?」
「毎年、入学式が終わった後は親睦パーティが開催されているはずです」
「あっっっっっっっっ……」
頭の中でばちんっと音がした。
そういえば入学式が終わった後、先生から親睦パーティに関する説明があったような。
人酔いでそれどころではなくてすっぽり抜け落ちていた。
「教えていただきありがとうございました!」
ノアの手をパッと離し、ユフィはペコペコと頭を下げる。
「気をつけてくださいね」
ノアに見送られて、ユフィは中庭を後にするのであった。
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