第7話 ベーコンとほうれん草のキッシュをおかわり

「ほうれん草は苦手だ」

 国王様まで迎えた婚約式も滞りなく終了し、月末には騎士団の厨房も辞するのが決定した。次の『職場』は侯爵様のお邸の厨房で、作る相手は侯爵様ただおひとりになる。そのため、厨房の中にちょっとした専用のスペースが設けられることになり、午後からその相談に来ていた。さっきの言葉は、その様子を見にいらした侯爵様が、調理台の上に乗った食材を見て言ったのだ。

「なんておっしゃいました?」

「苦手な食材がある、と言った」

 侯爵様が痩せているのは、どうやら好き嫌いにも原因があったらしい、とわかったのは数日前。幼少期は吐き戻しの発作もあって辛かったらしく、そのまま『食べたくないから食べない』というスタイルに落ち着き、魔力もないなら仕事をすべきかと、騎士団の管理に集中されていたそうなのだ。

「騎士団の皆様にはよく食べるように、と通達が来ていたと思いますが」

「私が出しているな」

「侯爵様ご自身は召し上がらないのですね」

「……必要ないと思っていたから」

 思っていた、ということは。

「これからは私のお食事を召し上がっていただけるよう、がんばりますね」

「いや、魔力さえ乗せてもらえたら、普段のままで」

「だめです。私は『料理をする』ことで魔力を乗せることができるのです」

「……」

 まさに苦虫をかみつぶしたような、心底面倒くさい、という顔をしている。執事は、と目線をやるとこちらの会話中は口を出さないようにしているようだ。本当にできた方々で助かります。

「それと、自分が作りたい料理の方が魔力が乗りやすいんです」

「それは……より多く魔力を摂取できる、ということか?」

「おそらく。今までおひとりに向けて作った事はありませんでしたが……」

「そのために結婚までするんだ。……仕方ない、努力する」

 それまで落ち着いて見えた執事さんたちがぴくり、と反応した。

「魔力もですが体力面も心配ですので、普通にお食事していただけるよう頑張りますね」

「まぁ、そちらはほどほどに。……私は仕事に戻る」

 そう言って侯爵様は厨房を出ていったのだけど。

「エルヴィラ様、今夜の分を作っていただくことは可能でしょうか」

 すぐに執事さんから、そう声をかけられた。

「キッチンを少し占拠してもよろしければ、大丈夫です」

「食事に意欲を持たれたラウル様は、初めて見ました」

「……セドリックさんは、侯爵様がお小さい頃からこちらで?」

「はい。ですので、本日はとても貴重な日となりそうです」

 そこまで言われては、頑張らないわけにはいかない。

「これまでのそんな気持ちを曲げても、魔力が欲しいのですね」

 打算で言えばそこがポイントだろう。

「そう、思われますか」

「?ええ。そもそも『この結婚は打算だ』とはっきり言われておりますので」

 はぁぁ~~と、使用人の方々からもため息が漏れた。え?そうですよね?

「確かにお小さい頃より、魔力がないことを気にされてはいましたが……まさかお嬢様、いえ奥様にそこまで言っておられたとは……」

「構いません。それで言うなら私の方こそ、侯爵様にとって不遜な輩と思われても仕方ない状況ですし」

「奥様も魔力の面ではご苦労なさったと伺っておりますが……」

『きゅるるぐううぅぅ……』

 このタイミングで鳴らなくても……!

「す、すみません……私のはこんな、どうしようもない状態で……。ええと、お腹が空いたのでお料理を作ってもいいでしょうか?」

「「はい!よろしくお願いいたします」」

 元より厨房の視察ということだったので、調理服は持参していた。部屋を借りて着替えると『仕事だなぁ』と思えてとてもよい。この結婚はやはり、天職を得たと言っていいのかもしれない……と、なれば。

「よし!侯爵様のおなかを何としても満たすわ!」

 気合を入れなおして、調理台の前に立った。

 騎士団でもそれなりの材料を触ってはいたけれど、さすが侯爵邸だけあってそれ以上の食材がそろっている。野菜もひとつずつがとても綺麗で、処理もしやすい。

「下準備はお手伝いしてもよろしいでしょうか?」

「ええ、構いません。すみませんが、パイシートを作ってください。よろしくお願いします」

 その先は、いつもの厨房での仕事と変わりない。ほうれん草は洗って下茹でしておき、玉ねぎとベーコンを刻む。せっかくのいい食材なので、ベーコンは厚切りにして玉ねぎと軽く炒める。ペーコンのふちが軽くカリっとするくらいで取り出し、冷ましておく。

 その間にボウルへたまごと牛乳少し、チーズを入れて混ぜ合わせる。塩コショウで下味をつけたらベーコンと玉ねぎを戻し、ほうれん草も加えてなじませておく。

 完成したパイ生地を厚手のタルト型へ敷いてもらい、そこにフィリングを流し込んだ。

 この辺りで、自分のおなかの音がようやく気にならなくなってきたことに気づく。騎士団の厨房のように時間に追われていないせいか、料理に集中しているからだろうか。不思議と今まで『どのタイミングで魔力が流れ込むのか』はっきりとはしていなかったけれど、こういう段階から徐々に手先の道具を伝って流れていくのがわかる。身体が軽くなるのだ。これは後でメモしておこう。

「さて、あとはオーブンで30分ほど焼いていきましょう」

「はい、温めてあります」

 さすが侯爵邸の調理人さんたち、仕事がめちゃくちゃできる。大きなタルト皿に作ってしまったので『侯爵様だけに』魔力を渡すにはちょっと量がありすぎる。騎士団での癖も調整しなくては。

「すみません、量の加減がまだできなくて……侯爵様が召し上がってから、皆様で分けてください。ただ、魔力があるので少しずつどうぞ」

 後片付けをしながら、そう声をかけてみた。厨房にはもうすでにパイの焼けるいい香りがし始めている。

「ありがとうございます、気を付けていただきます!」

「でもメイン以外にももう少し、お野菜食べてもらえるといいですよね」

「いえ、奥様……おそらく当主は、こちらを一切れでお腹いっぱいとおっしゃるかと……」

「そうなの?!」

 ほんとにそうなの?!

「ええ……。なので、どうかできるだけ主の一皿に魔力をご注力願います」

(難しい課題を言われた気分だわ)

 それもまた楽しいかな、とも思っていたらオーブンが焼き上がりの音を鳴らした。

「じゃあ焼け具合を確認しましょう」

 オーブンから取り出したタルト皿の中は、きつね色のこんがりおいしそうなキッシュが出来上がっている。さくさくと包丁で切り分けて取り出すと、白い湯気がほわりとあたりに零れた。

「なんておいしそうなんでしょう」

 魔力を入れるせいなのか、私の料理は『見た目も美味しそう』なのが特徴だった。

「少しだけ、みなさんで味見してください」

 そう言って、たっぷりあるキッシュを少し取り分けた。スプーンに一口ほどの量を人数分切り出して、ちょっとずつ含んでもらう。と。

「おいしい……!」

「これは……」

「これなら……」

 みんなが口を動かしながら、目線を合わせる。

「えっと……どうですか?」

「「これは侯爵様もお召し上がりになると思います!」

 ほんとかしら?と思いながら、自分でも一口食べてみる。

「うん、おいしい。よくできたわね」

 玉ねぎは甘くやわらかで、ベーコンの塩気がちょうどいい。カリカリした食感と、ほうれん草の風味が卵のフィリングでふんわりまとまっている。作ってもらったパイ生地もバターがたっぷりで、全てを丸く包んでくれているようだ。ふらついていた魔力もようやく落ち着いたのを感じた。

 片づけて着替えをしていたら、侯爵様が戻られたというので、一緒に食卓についた。

「キッシュ、ですか」

「ええ。お野菜も卵もたっぷりで、栄養があります。さらに魔力もたっぷりです」

「……わかった。いただこう」

 ほうれん草を見てちょっと目を細めたけれど、気丈にスプーンを握ってキッシュを少し掬い上げ、口へと運んだ。

「……これは、おいしいですね」

 表情が少しだけ緩んだ気がする。そのまま、ほうれん草入りのフィリングをもうひとさじ食べる。

「やはり、腹の中が熱くなります」

「えっ、大丈夫ですか」

「魔力の話です。……でもおいしいのも本当です。すごいな」

 そうつぶやいて一口、また一口と口へ運び、あっという間に小さめに切り分けたキッシュをぺろりとたいらげた。

「……これ、もうひとつあるか?」

 そんなおかわりの要求に、食堂で待ち構えていた使用人が一斉にざわめいた。侯爵様、今までどれだけお召し上がりにならなかったんでしょう……。


 [続く]

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