23 美少年の力

 中庭の花たちは、久しぶりの雨を受けて喜んでいるようだった。

 そんな中庭を眺められる廊下に、二人座れるベンチが一つだけ設置してある。莉央とわたしが座り、朝陽くんは壁に背を預けて立った。

「ねぇ、莉央……」

 わたしは朝陽くんに聞こえないように、莉央に内緒話をする。

「朝陽くんは、大丈夫なの……? わたし、朝陽くんのこと……」

 振られた相手の心配をするなんて、わたしだったら気まずくてできない。

 しかも、これからする相談内容は、レンくんの話──わたしの好きな人の話だ。

 少なくともいい気持ちにはならないだろう。

「それは大丈夫」

 莉央はきっぱりと言い切った。

「ウチがバッチリ慰めておいたからさ! 朝陽も気まずいっちゃあ気まずいだろうけど……それ以上に心配が勝ってるはず!」

 親指を立てる莉央に、わたしは胸を撫で下ろす。

 莉央がフォローしてくれたなら、大丈夫だろう。二人は幼なじみで、きっと誰よりもお互いを理解しているのだから。

「それで、泣いてた理由って?」

 朝陽くんに尋ねられて、ぎくっとする。

 大きく息を吸って、吐いて。気持ちを落ち着かせてから、わたしは口を開く。

「……わたしね、好きな人がいたの。二人は知らない人なんだけど……もう会えないかもしれないの」

 まさか好きな人が、恋のキューピッドだとは言えるはずもなく。

 本当はこの学校にもいたけれど、みんなの記憶から消えてしまった──そのあたりをぼかして伝えると、

「ウチらが知らないってことは……他校の人?」

「遠くに引っ越すのか」

 莉央と朝陽くんは、いい感じにあり得そうな解釈をしてくれた。そういうことにさせてもらおう。

「うん、まぁ……そんな感じ」

「ならさ、遠くに行ったって、連絡取ればいいじゃん!」

「連絡……」

 連絡を取るなんて、考えもしなかった。遠くも何も、彼の住処は天界だ。

 天界とわたしの世界とを繋ぐ連絡手段──そんなもの、あるのかな?

「連絡先、知らないんだ……」

「聞こうよ! 会えなくなっちゃうなら、ぐいぐいアプローチあるのみだよ!」

「え……」

 アプローチ……? わたしが、レンくんに……?

 ずい、と顔を近づけてくる莉央に、わたしは何も言えず、助けを求めて朝陽くんのほうに視線をやった。目が合った朝陽くんはうなずく。莉央と同意見らしい。

「で、できないよ……」

 絞り出すような声が出てきた。重力に逆らえなくなったみたいに、顔が下を向く。

「わたしなんか……彼と釣り合わない……」

 綺麗で、素敵で、勇敢で、優しい──そんなレンくんに恋をしてしまった。キューピッドに、人間が。

 想いを自覚したときは、そばにいない寂しさに押しつぶされそうになっていたけれど、いざアプローチしろと言われてみると、身分違いの恋に気づいてしまった。

 朝陽くんを好きだった頃は、こんな気持ちにはならなかった。

 これが、本気で好きってことなのかな……。

「釣り合わない? どうしてそう思うんだ?」

 朝陽くんが言う。

「わたしには、何もないから……」

 莉央と朝陽くんが友達になってくれたことで、わたしにも良いところがあるんだと錯覚していた。思い違いをしてしまっていた。

 結局、わたし自身には何もないままなんだ。

 中学受験に失敗して、家族に興味を持たれなくなったわたしなんて。

 レンくんの魔法に頼って、ズルをして人の気持ちを歪めたわたしなんて。

 みんなが当たり前に持っているような、長所だとか誇れる部分だとか、そういう人間性みたいなものを、持っていない──

「ばっかじゃないの!?」

 莉央が急に大声を出した。

 びっくりして顔を上げる。朝陽くんも驚いていた。莉央だけが、怒りを宿した眼差しをわたしに向けている。

「希に何にもないわけないじゃん! ウチのこと、助けてくれたじゃん!」

 助けたって……女子トイレで中庭に連れ出したときのこと……?

 むしろわたしのせいで、今は元に戻ったとはいえ、グループから追い出される羽目になったわけだし……。

「助けたって言うほどでは……」

「それでも、ウチは嬉しかったの! ウチは希と友達になれてよかった! それは希自身に、魅力があるからなんだよ!」

 わたしに魅力……?

 それは、わたし自身が、ずっと持っていないと思い込んでいたもの。

「オレもそう思う」

 朝陽くんが莉央に続く。

「ずっと周りに合わせてばかりで辛かったけど、ちゃんと話し合えば、分かり合えるって教えてもらった。今は多田と絡んでても、何か言ってくるやつはいなくなったしな」

 うんうん、と莉央がうなずく。

 大切な二人からこんな風に言ってもらえているのに、さらに否定を重ねるほど、わたしもバカじゃない。それこそ、二人に失礼だ。

「とにかく! 希には良いところがたくさんある! ウチらが保証する! 釣り合わないなんてことはない! あんたは絶対、素敵な人!」

 莉央がわたしの手を握る。

 ──莉央の手、あったかい……。

 莉央と朝陽くんと友達になれたのは、レンくんの力あってこそだと思っていた──けれど、そうじゃなかった。

 誰の力でもない、わたしの魅力に二人は惹かれたのだと言う。

 わたしは、わたし自身を認めてあげなくちゃいけない。

「ありがとう、二人とも……」

 生きてきて、初めて自分自身を許して、認めてあげられた。

 わたしにとって、とてもとても、大きな変化。

 朝陽くんと恋人になったら、得られると思い込んでいた変化。

 変わりたいときに必要なのは、恋人じゃなかった。

 わたしがわたしを認めてあげることだったんだ。

「連絡先を聞くかどうかは置いておいてさ、今からでもできることはないの?」

 莉央が尋ねる。

 今からでも、できること……。

 あるんだろうか、わたしに。

 レンくんはもう、別の人のところへ旅立ってしまったあとなのに。

「告白とまではいかなくても、ちゃんと話し合ったほうがいいんじゃないか? 別にアプローチしろとは言わないから」

 朝陽くんが言う。

「話し合う……」

 わたしは朝陽くんの言葉を繰り返す。

 ──そうだ。

 レンくんが教えてくれたんだ。

 わたしの気持ちをレンくんに伝えていない。

 レンくんの気持ちだって、ちゃんと聞いていない。

 そんな状態で、勝手に諦めてさっぱり忘れられるわけがないんだ。

 もう一度会えるだけでいい。

 話ができれば、それでいい。

 ──おまじないで、レンくんを呼び出そう。

「わたし、行ってくる!」

 わたしはベンチから立ち上がって、駆け出した。

「え!? 希、どこ行くの!?」

「もう朝の会始まるぞ!?」

 莉央と朝陽くんが驚いている声が聞こえるけれど、振り向かなかった。

 わたしには、もう、おまじないはできないと、思い込んでいた。

 今は違う。

 だって、わたしの好きな人は、レンくんだから。

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