第3話

予定通り家には七時すぎについた。

「あ、ハルコさん、お帰りなさい。」一八畳の、ゆったりとしたリビングに入ると、小学6年生になったばかりの響くんがソファでコロコロコミックを読んでいた。

「ごめんね、遅くなっちゃって。ご飯今から作るから。野菜炒めだけだけど。」

「ありがとうございます。俺、お風呂入ってきます。」漫画から顔を上げて響くんが立ち上がる。立ち上がるともう私より身長が大きい。背の高さは父親譲りか。サッカーで日に焼けた腕や足はまだ少年特有の華奢さが残っている。男の子ってこんな体してるんだなあ、と思わずまじまじ見つめていると、響くんが怪訝そうに「何ですか」と呟いた。

「え?ああ、ごめん、なんでもない。お風呂入っておいで。」

「はい」とやはり眉をひそめてお風呂場へ消えていった。響くんがカギを閉めたのを確認してふーっと息を吐く。うわ、私今、緊張してたんだ。薄々気づいていた事実も、やはり目の前に突き付けられると結構応えるものだ。刑事ドラマで、死亡フラグが立ちまくっていた先輩刑事が銃撃されたとき、みたいな。ちょっと違うけど。

 響くんはいい子だ。長女で高校1年生の茉莉ちゃんも、しっかりしていて、礼儀正しくて、私にはもったいないくらいの子だ。私には、もったいない。本当に。

 三日前、徹に結婚しないかと言われた。付き合って半年、少々早すぎる気もしたが、徹は四一、私も今年で三十五歳になる。この年齢の恋愛というものは暗黙のうちに、「結婚を前提に」が内包されているのだろう。そして、もう一つ。響くんと茉莉ちゃん。二人は、徹と、二年前に亡くなった徹の奥さんとの間の子供だ。一度、奥さんの写真を見せてもらったことがある。付き合って3か月ほど経ったころだ。二人の子供がいることもその時告げられた。小柄で、色白な、可愛らしい人だった。そして、同じく小柄で色白の私は、代わりとして選ばれたのだと、気づいた。それからすぐに、徹の帰りが遅い日に子供たちの夕飯を作ることを申し出た。自分に求められているのは、二人の母親になることだ。ならば、一刻も早く、その需要を供給しなければ。そう思った。うまくやってきた、と思っている、今まで。響くんとも茉莉ちゃんともそれなりに仲良くできているつもりだ。敬語だって、呼び方がハルコさんだって、いいじゃないか。私は、うん、よくやっている。

「味薄くない?薄かったら塩コショウ足していいからね。」

「いや、大丈夫です。ちょうどいいです。」濡れた髪のまま野菜炒めをかきこんでいた響くんが少しだけ顔を上げて答えた。茉莉ちゃんが塾で遅い日が多いので、夕食は二人になることが多い。響くんは、嫌じゃないのだろうか。突然現れた父親の恋人と二人で食事をするなんて。いっそ本人に聞いてみようと思って、やめた。もし、嫌だと言われたら?それでも普通に、明日からもこの生活を続けられる?そんなことを考えるのを放棄したかったのだ。いかにも死にそうな先輩刑事だって、せっかくなら、一日だって長く生きられた方がいいだろう。

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