47話 黒いサンタが来る夜は 15
唇と唇が触れただけのキス。
心情的な部分で洋人は東嶋を拒否したが、生理的嫌悪があったわけではない。今更守るべき操もない。きっとセックスだって簡単に出来てしまうだろう。
誠の時もそうだった。二人ともやっていることは変わらない。ただ、東嶋は自分の乱暴を謝罪する大人で、誠は続きもしたいと駄々を捏ねる子供だった。
二人同時に告白されていたら、洋人は迷わず東嶋を選んでいただろう。
それなのに、誠の方が先だった。
告白される順番が違っていれば、結果も違っていた。けれど、たったそれだけの些細なタイミングのズレを人は『運命』なんて呼んだりする。
洋人は知りたいだけだ。誠が何に悩み、何に躓いてきたのかを。そこにある思いが何だったのか、この関係が続かないのだとしても、洋人が取り去れるものなら助けてあげたい。いつだってそう思っている。
でも、今の誠は遠過ぎて、洋人がどれだけ頑張ってもその想いは届かない。
「………告白されました」
それを告げた時、誠は一瞬だけ剣呑な顔をした。動揺なのか東嶋に対する怒りなのか、表情を確認することはできても、もう洋人には誠が何を考えているのか推し測ることすら出来なくなっていた。
「……それで、お前は何て答えたの?」
随分長い沈黙の後に誠がようやく口を開いた。
少しは気にしてくれたのかな? と洋人は思った。
それだけでほんの僅かでも心が救われてしまう自分の馬鹿さ加減を自覚しながら、洋人は汚れたコンクリの地面に視線を落とした。
キスされたことを伝えるべきだろうか。
洋人は悩んだ。
互いを縛らない前提で始まった関係だ。フィジカルな接触があったと告げても誠はきっと何も言わないだろう。
だとしても、洋人にはあそこで起こった一部始終を語ることに十分過ぎるほどの躊躇いがあった。不意打ちだろうと不可抗力だろうと、誠という存在がいながら他の男とキスをする、そんな人間だと思われたくなかったのだ。
「……春日さんが来たんです」
今更、自身の清純性など主張したところで何の意味などないのに。
本当にバカみたいだ。
「え?」
「統括と話している最中に、春日さんがやって来たんですよ。……それで有耶無耶になりました」
「あ……そう……」
誠は短く息を吐く。
「自分のドストライクの男が同士でラッキー……って思った?」
「……分かりません」
東嶋は確かに理想の男だ。しかし、彼の話を聞いた時に感じた違和感が、ずっと心に引っかかっていた。誠への未練を差し引いても残ってしまうその気持ちの正体が分からず、今の洋人では一歩を踏み出せそうにない。
「尊敬できる上司だと思っていたんですよ。それ以上のことなんて考えたこともありませんでした。……だってそうでしょ? 普通、そうだなんて思いません」
今考えてみると東嶋は店舗にいる時からずっと洋人のことを気にかけてくれていた。当時は入社したての下っ端だったので、東嶋の面倒見の良さもこんなものかと受け止めていたが、皆と同じように接しながらも、洋人にだけは常にプラスアルファの何かがあったように思う。
繁忙期、閉店後の店舗に差し入れを持って来た東嶋から、バックヤードで栄養ドリンクを渡された。自分が飲むつもりで買ったが、飲めなかったと差し出された小瓶は、今しがた買ったみたいに冷たかった。
雑用でも何でも、店に顔を出した東嶋は何かあれば大抵洋人を指名した。作業を手伝いながら東嶋と話をする。そんな中で営業のコツや仕事に対する姿勢を教えて貰ったことが何度もあった。
経営計画発表会の時もそうだ。帰宅すると告げた洋人に合わせるように東嶋もその場を離れた。帰る方向が同じだから、と一緒にタクシーに乗せてもらえた。しかし、洋人は東嶋の家がどこにあるのかを知らない。
「…………誠さんは結婚しようとは思わないんですか?」
「……何、急に?」
突然の質問に誠は怪訝な顔で洋人を見る。
「結婚して、子供作って……皆と同じように生活して……そういうこと、考えたりはしなかったんですか? それこそ、田所さんと上手く行っていれば……」
「それ、東嶋のこと言ってんの?」
「だって、誠さんは……女性でも大丈夫なんでしょ?」
東嶋に限らずそうやって生活している人間は他にもいるだろう。誠はバイセクシュアルだ。その気になればいつだって家庭を持てる。
「結婚することで得られる信用もあるって言われたんですよ、統括に」
もっと言うなら、子を持ち、育てることで一人前と見なされる風潮がこの社会には根強く残っている。それこそ、東嶋が言う「生物としての役割」を果たすということだ。しかし、マイノリティである洋人にはどうしてもそれが出来ない。東嶋がどういった経緯で家庭を持ったのかは知らないが、マイノリティにもそんな選択肢があったのかと、洋人はあの時ショックを受けた。
「その通りだなって、思ったんです——そう思ったんですけど……」
ずっとモヤモヤしている。
「……別に、あいつの生き方にとやかく言うつもりはないけど、俺はそういうこと出来ないかな……」
誠が静かに口を開いた。
「……本人良くても巻き込まれる家族が可哀そうじゃん」
その言葉に、洋人の中で何かが弾けた。
ごちゃごちゃ考える前にストンと心の中に落ちて来た天啓は、洋人の中にあった違和感も何もかも一切合切押し流してしまう。
「ああ、そうだ」と洋人は思った。
これこそが東嶋に対する違和感の正体だったのだ。
何故こんな簡単なことに気付けなかったのだろう? 賢く生きることだけに気を取られ、足元にあった大切な物を踏みにじるところだった。
いつから自分はそんな風に物を考える人間になってしまったのか。騙されないことに注力する余り、損得勘定だけで世界を見ていた。
いろいろなものがごちゃ混ぜになって、言葉よりも先に感情が涙になってドバっと溢れてきた。
「……洋人!?」
洋人は矢も楯もたまらず衝動のままに誠の胸に飛び込んでいた。
よろめきながら洋人の身体を受け止めた誠が、戸惑ったように……遠慮がちに温かい声をかけてくる。
「…………タバコの匂いつくよ?」
この状況で、そっちの心配か? と洋人は泣きながら笑った。
「構いません……今だけは例外です」
答えながら、零れてきた涙を見られないよう洋人は決して質が良いとは言えないブルゾンに顔を埋めて鼻を啜る。
誠が言う通り、紙巻き煙草のキツイ匂いがした。
臭くてもいいから、ここにいたいと洋人は思った。そんな気持ちを知ってか知らずか、誠はそっと洋人の背中に手を伸ばしてきた。洋人の身体にしっくりと馴染む体温だった。ここは、世界にたった一つしかない、洋人だけの場所だ。
「誠さん……僕のマグカップ、どうしました?」
「……持って帰ったよ」
鼻声の洋人の問いかけに、今までで一番優しい声が降ってきた。
「良かった……」
誠を好きになって良かった。
洋人が看破できなかった東嶋に対する違和感。その答えを当たり前に誠が持っていたことが何よりも嬉しい。洋人は一ミリの迷いもない、真っ直ぐな心でそう思った。
「捨てられたのかと思った」
「…………んなわけないじゃん」
強張っていた誠の身体から力が抜ける。
「……捨てたりしないよ」
洋人がぎゅっとしがみつくと、誠も背中に回した腕に力を込めてきた。
息苦しいほどの抱擁の中で洋人は確信する。
東嶋はいつだって正しい。彼の考え方は合理的で無駄がなく、幸せに向かって進んでいくために計算されたものだ。
しかし、東嶋は一つだけ大きな勘違いをしている。
確かに誠はどうしようもない問題児だ。
それでも、誰かを幸せにする力はきちんと持っている。
次の更新予定
2025年1月11日 12:00
【BL】ネットワークセンターの神様 畔戸ウサ @usakuroto
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