37話 黒いサンタが来る夜は 5

「何よ突然」


 ペチャっと机に張り付いたティッシュを摘んで、空の食品トレーの中に捨てたのは、広報課の小石真奈美だ。

 本日の広報課は変則シフトで、早朝からテレビ出演していた真奈美はとっくに終業時間を迎えている。にも拘わらず、何故かここに現れて空席もわんさかあるのにわざわざ相席を申し出て、二人の隣に腰を下ろした。食事を開始して二十分も経たないうちに起きたよもやの事態だった。

 誠と真奈美は同期で、過去共通の知人を通して僅かに関わりがあった。それほど親しかったわけではなく、話らしい話もほとんどしてないが、初対面というわけでもない。ただ、同期の誠よりも、むしろ経営計画発表会で世話になっている洋人の方が馴染みがあったようで、真奈美はそこから切り口を見つけて隣を陣取ったのだ。

 更に運の悪いことに、そうこうしているうちに、二人の元へまた別の人物が現れた。


「他にも席空いてるだろ! なんでこんなとこまで来て食べてんだよ!? お前もだ!」


 ティッシュを投げられない代わりに、誠からビシッと人差し指を突き立てられた青年がその一人。

 白をベースに毛先の五センチだけが黒という独特の髪色をした青年は、まさか自分が非難されるとは思いもしなかった、とでも言いたげにくるくると大きな瞳を瞬いた。


「なんでって、そこに星野サンがいるからっすよ!」


 アルピニストが「そこに山があるから」という理由で頂上を目指すのと同じ行動原理だ。青年の言い分に明確な理由はない。悪びれもせず、恐れもせず、それどころか最上級の笑顔を返す姿に、誠は頭痛を覚えて額に手をやった。


「悪かったな。星野」


 神妙な顔で誤ってきたのは、真奈美同様、同期である定森だ。ネットワークセンター勤務の定森は、同期の中で唯一友人と言える存在であり、信頼できる同僚でもある。


「百歩譲ってお前はいい……どうせ春日に引っ張られてきたんだろうし」


 誠は首を振って、深々とため息を吐き、


「……ってか、家は? 大丈夫なの?」


「今日、嫁さん子供連れて実家に帰ってるんだよ。地元で結婚式があるんだって」


「へー、そうなんだ……」


 同期との関りを持たない誠が唯一家族ぐるみで付き合っている友人である

 定森が相手の実家に結婚の挨拶に行った時のエピソードなんかも誠はリアルタイムで聞いていたし、結婚式に参加したのも、子供が生まれた時に個人的にお祝いを渡したのも定森だけだった。


「やっぱ、こんな時ぐらい羽を伸ばさなきゃですよねー」


「お前が言うな。マレーバク」


 辛辣ではあるが的確過ぎる誠の言葉に、真奈美と定森が吹き出した。


「何でマレーバクなのよ? せめてパンダって言ってあげなさいよ」


「山﨑さんはおにぎりって呼んでたけどな」


 冷静な定森の言葉に、真奈美が再び爆笑した。

 洋人は鉄壁の自制心で、どうにかこうにか笑いをこらえているが、不自然なほどに頬が引きつっている。


「遠慮せずに笑っていいからな。洋人」


 その姿を見逃さなかった誠が洋人に許可を出すが、さすがと言うべきかネコを被った洋人の守りは強かった。


「何言ってるんですか。よく似合ってるじゃないですか」


 洋人がニコリと微笑みかけると、それを受けた春日はキラキラとした瞳で左隣を見上げた。


「満島さん……めっちゃいい人っっ!」


 そう言って、ガシっと洋人の腕に抱き着く。


「やめろそこ‼」


 今度は机の上のウェットティッシュが袋ごと飛んでくる。

 誠の巧みなコントロールによって春日の横顔にヒットしたが、それを受けた本人は全く意に介した様子もなく、相も変わらず神様を見るような目で洋人を見上げていた。


「俺、満島サンと一回、ゆっくり話してみたいと思ってたんです」


「はぁ……どうも……」


 洋人は適当に相槌を打ちながら、やんわりと自分の腕に絡みついた春日の手を引きはがす。

 ツートンカラーの春日は誠の後輩である。

 ネットワークセンター時代の誠は、神と呼ばれるに至った過去の逸話や淑女協定なんかの影響で神格化しており、後輩にとっては直視するのも畏れ多い雲上人であった。そんな中、周囲の空気どころか誠が薄っすらと張り巡らせていた排他的バリアにも気づくことなく、ズカズカとやってきたのが春日だった。どれだけ素っ気なくあしらってもめげることなく、誠のパワハラ発言にもへこたれない。洋人とは違った意味で強メンタルなこの男は、それこそペットのように懐いてしまい、誠が行く場所には当たり前のように顔を出すようになった。春日は自分が拒否されることなど微塵も考えておらず、誠のコミュニティーであれば自分も当然に受け入れられると信じている節がある。


「これからはそう君って呼んでください」


「初対面の人間にいきなり名前呼ばせるな! お前なんかポチで十分なんだよ」


「ポチ?」


「えーっとね……俺たちの中では春日はペット枠ってことになってる……なんて言うか……番犬的な?」


 誠の言葉に首を傾げる洋人に、定森が眼鏡を押し上げながら説明する。

 春日がペット枠というのは誠の元上司である山﨑が作った架空家族の話である。言い出しっぺの山﨑が父親、長男が定森、ここにはいないもう一人が次男、そして誠が末っ子という設定だ。余った春日は四男ではなくペット枠で、実際ネットワークセンターでは異動した誠の後を引き継いで番犬よろしく仕事にも雑用にも精を出している。


「番犬……? あー……、それで、ノーティスの障害の時も?」


「そうです! ……そうなんです‼ 危うく星野サンにミニ四駆奪われるとこでした」


 コクコクと頷く春日の言葉を聞き咎めたのは真奈美だった。


「……ミニ四駆って何よ? まさかあんたたち業務中に遊んだりしてないでしょうね?」


『そんなわけないじゃん』


 真奈美の追及に、三人は同時に首を振った。

 何かを悟った真奈美と洋人の冷たい視線を避ける様に、保守の三人はそそくさと食事を開始した。


「ポチ。お前が変な事言うから、余計な詮索されたじゃねーか」


「えー。俺何も言ってないのに何で怒られてるんですか?」


「お前の頭の色がややこしいからこんなことになるんだよ」


「いや、それこそ言いがかりだって、星野。てゆーか春日見てたらおにぎり食いたくなってきた。何か買ってこようかな……」


 妙なところで結束力の強い保守の申し子たちは、自分たちにかかった黒い疑惑を必死になって灰色にぼかしている。


「……知ってる? ヨーロッパのクリスマスって、聖ニコラウスと一緒に黒いサンタもやって来るのよ」


「あ、それ僕も聞いたことあります。言うこときかない悪い子はお仕置きされちゃうんですよね」


「へー。さすが満島君。博識だね」


 感心する真奈美に、そんなことはないですと洋人は否定して、首を振った。


「友人の受け売りなんです。彼の上司がドイツで働いた経験があって、そういう話をしてくれるんだって……」


 説明を耳にした誠の頭に一人の男の姿が浮かぶ。

 洋人が所属するコミュニティーはいくつもあるが、海外赴任するような上司を持つ洋人の友人で誠が思いつくのは一人だけだ。誠自身、顔は知っているがろくすっぽ会話をしたこともない男である。誠と洋人が付き合う切っ掛けとなったARROWSアローズ誤爆事件の当事者で、洋人よりも年下の童顔のゲイだ。同じ指向を持っていることが判明した二人は、その後友人となりその関係は今でも続いている。洋人は同じ悩みを分かち合えるその男性と、二人でたまに飲みに出かけているようだった。


「お仕置きって、なまはげ的なこと?」


「そんな感じなんでしょうね。お菓子の代わりにガラクタくれたり、悪い子を連れ去ったり……あとは自分が一番大切にしているものを持っていかれるなんてこともあるらしいですよ……」


「あはは。いいじゃん、それ。ネットワークセンターに黒いサンタがやってきたら、あんたたちのミニ四駆、全部なくなっちゃうんじゃないの?」


 洋人の言葉に真奈美が笑う。

 心当たりのある三人の悪ガキたちは、冗談に笑うこともなく互いに顔を見合わせて手元のホットワインを口に運んだ。

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