38話 黒いサンタが来る夜は 6

 決してサボっているわけではないのだ。

 ただ、夜間作業は手順や工程が事細かに決まっていて、トラブル発生時の対応もしっかりそこに組み込まれているため、万が一何か起こったとしてもバタつく事がない。

 誠は高等専門学校を卒業して以降、十年以上に渡ってこの会社で働いているが、夜勤で卒倒しそうなほどの事態に見舞われたのはたったの一回だけだ。それ以外はマニュアルの範囲で処理できる案件ばかりで結論から言うと、機械云々よりも人間関係のトラブルの方が面倒だった。


 変則シフトで時間の感覚がおかしくなり、真夜中は凪いだ海のように静かな時間をやり過ごす日々が繰り返される。こんなはずではなかったとモチベーションを損ねて辞めていった人間も数知れず。

 しかし、誠には会社を辞めるという選択肢さえなかった。弟がいたからだ。二十歳で社会人となり、右も左も分からなかった誠は、持て余した時間を資格取得の勉強時間に充てた。その結果、同年代の社員よりかなり早い段階で会社が推奨する資格を手にしてしまい、更にやることがなくなってしまった。

 小石真奈美は毛虫を見るような目で保守三人組を見ているが、顔面蒼白、冷や汗ダラダラのあの日の夜勤を思えば、保守が暇で何が悪い? と誠は胸を張って反論できる。


 夜間作業は、緊急対応を除けば、影響範囲が大きすぎて昼間に実施できない作業やメンテナンスを行う。ユーザーに対しサービス停止の告知も行うし、部内でもその日に向ってコツコツと事前準備を重ねている。万が一にでもトラブルが起きようものなら途端に会社の信用問題に発展してしまう。その影響は電柱にトラックが衝突して幹線ケーブルが切れました、とかいう障害の比ではない。

 会社は働いて対価を得る場所ではあるが、消防にしろ警察にしろ世の中には暇な方が良い仕事だって存在する。他部署が『暇』と呼んで貶んでいる有り余るほどの時間は、保守総員で積み上げた安寧の結果に他ならない。安定した通信環境をユーザーに提供している何よりの証拠である。


 そんなところに、誰かが置いて行ったミニ四駆があり、故障していたら修理をしたくなるのは当然だろう。だってネットワークセンターには精密ドライバーからハンダゴテまで十分過ぎる程の工具が揃っているのだから……。


 そして、ミニ四駆が走るようになれば、もっと早く走らないかなぁ、と探究心が生まれるのも致し方ない。だって、それが男のロマンだから……。


 その改造が思ったようにいかなければ、たまたま一緒に夜勤に入っていた同期がメガネを押し上げながら「もっと重心低くした方がいいんじゃない?」なんてアドバイスをすることだってあるだろう。だってそれが男の友情だから……。


『あるある』


「ないよ」


 ふむふむ。そういう理由であれば仕方ないと、もっともらしい顔で頷いた誠と春日を紅一点の真奈美がバサっと切り捨てた。

 架空ファミリーの長男設定である定森だけが静かに我関せずを貫いている。このグループの中で唯一の既婚者である定森は「女を敵に回すものではない」ということを実体験として理解しているようだ。


「星野さんはネットワークセンターの神って呼ばれてるって話聞いたことあるんですけど……」


 盛大なため息を吐く真奈美の隣で、洋人がぼそりと呟いた。


「言っとくけど、ちゃんと仕事もしてるからな」


 眉を顰める洋人に誠は慌てて反論した。真奈美に叱られても痛くも痒くもないが、洋人に疑われるのは不本意だ。


「そうだよ。星野は尋常じゃないぐらい頭が良いから……。作業やらせても早いし、資格試験も全部一発合格だったし……」


「上流工程に行っても夜勤嫌がらないし、マジ神なんっすよ。ラスボス倒してくれたのも星野サンですもん」


 春日は尊敬と憧れに満ち溢れた眼差しを洋人に向ける。その瞳は勇者を応援する少年のように煌めいていた。


「……ラスボス?」


「ネットワークセンターにちょっと困った人がいたのよ。二年前に異動になったけど……」


 ネットワークセンターでの勤務経験がないはずの真奈美が、保守三人に先んじて洋人の質問に答える。さも当事者であるかのように事情に通じている広報課の同期に誠は眉を寄せた。


「お前ら、本当何でも知ってんだな? どこから漏洩してんの、その情報?」


「違うわよ。彼のことは本店でも問題になってたの。そろそろコンプラ委員が動くかなってタイミングであの事件が起こったから……。それに、星野君みたいに目立つ人の話は放っておいてもいろんなところから入ってくんのよ」


 真奈美は残ったワインを飲み干して、ピザを摘まんでいる洋人の顔をじっと見た後、


「左遷先でも楽しく過ごしてるって聞いてたけど、本当みたいでなによりだわ。ね、?」


 今度は、誠の方へ意味深な笑顔を向けた。


「…………」


 バレてる……なんか色々バレてる。

 別に隠しておいたわけではないが、極々最近のコールセンターでの出来事まで掌握されている。想像を上回る広報課の情報収集能力に誠は内心舌を巻いた。

 どんなネットワークを構築したらそこまでの通信速度が出せるのか、是非保守にもご教授いただきたいものだ。


「あ。飲み物なくなっちゃいましたね。皆さん、まだ何か飲まれますか?」


 誠の向かいに座っていた洋人はというと、真奈美を上回る胡散臭さで営業スマイルを浮かべ、颯爽と席を立ったかと思うと殊勝な心掛けを発揮し、後輩としての務めを果たそうとしている。


「あら、気を遣わなくてもいいのに」


「いいえ。皆さん、顔を合わせてお話しするのも久しぶりでしょうから」


 まるで狐と狸の化かし合いのような光景である。保守三人はおいそれと口出しすることもできずに顔を見合わせた。

 この手の駆け引きは、夜間作業のマニュアルにも載ってない。しかし、どちらに加担するかと言えば、それはもちろん洋人の方である。

 真っ先に答えたのは定森だった。


「じゃ、ワイン追加で」


「俺もワインー!」


「俺、烏龍茶」


「小石さんもワインで良いですか?」


 四対一の劣勢に真奈美はしらっとした顔で頷いた。


「そうね……じゃもう一杯いただこうかしら」


 そして、元気が取り柄の春日は「一緒に行きまーす!」と立ち上がって洋人にくっ付いて行った。

 二人が姿を消すのを待って、真奈美はテーブルの上のチョコレートチュロスに手を伸ばした。


「邪魔しちゃってごめんね」


「だから、最初にそう言ったよな? 俺」


 悪びれる様子もなく、今更な謝罪を口にした真奈美に、誠は半眼で苦情をぶつけた。テーブルの上には二人が購入した料理の他に、外野が持ち込んだ食事と飲み物も並んでいる。しかし、ホットワインと共にクリスマスアドベント限定マグカップを購入していたのは洋人と誠だけだった。

 これを目当てに毎年クリスマスアドベントに参加する、という客もいるぐらい人気のカップだが、価格もそれなりである。それでも誠が購入に踏み切ったのは、単純に洋人とお揃いのカップが欲しかったからだ。

 他の三人は紙コップでワインを飲んでいた。つまりは、マグカップ抜きの中身だけを購入したということだ。ただの賑やかしならそれで充分。テーブルを見れば二人の状況は一目瞭然なのに、最初に声をかける時点でそれに気付けよ! という話だ。

 デリカシーのない広報にデート現場を踏み荒らされた誠は居心地が悪くて仕方がない。しかも、定森と真奈美が揃ったこの状況はクリスマスどころか同期会のノリである。


「マユちゃんが今のあんたの姿を見たらなんて言うかしら……」


「その名前、絶対にあいつの前で言うなよ?」


 誠の同期は大卒が大半で、その次が高卒、高専の出身者は誠一人だった。入社したての誠は今以上に人慣れしていなかったこともあり、押し切られるような形で何度か同期会なるものに参加した。

 誰とも微妙に話が合わないし、女子にはやたら声を掛けられるし……そんな中、誠は一際ポジティブで積極的なそこそこの美人に交際を申し込まれ、特段彼女も彼氏もいないし、と付き合い始めた。それが田所麻有たどころまゆだった。

 彼女とは一年も経たないうちに破局したが、会社に入って初めて付き合った人間だったので『その他大勢』の中でも記憶のインパクトが違う。


「言うわけないでしょ」

 

 真奈美は肩をひょいと竦め、今度はフライドポテトを摘まむ。


「彼女、この前三人目が生まれて、それはそれは幸せな結婚生活送ってるわよ」


「へー。良かったじゃん。扶養家族持ちの最低男に捕まんなくって」


「……子供育ててみて、あんたの苦労が分かったって言ってた」


「…………あ、そう」


 誠の恋人は通過儀礼のようにみのるの嫌がらせを受ける。その元カノも例外ではなく、何かある度に誠に苦情を言ってきたが、誠は誠で会社に慣れるのもみのるの世話をするのも精一杯でそこまでフォローできるわけでもなかったし、フォローするつもりもなかった。

 与えられるものは当たり前に受け取るくせに、彼女が求めることは何もしない。考えれば考えるほど最低で破局するべくして破局したわけだが、彼女に恨まれることはあってもそんな風に言ってくれることなど絶対にないと思っていた。

 真奈美の口から出た元カノの言葉に、誠は意表を突かれた。

「アナタとじゃ幸せになれない」

 去り際に彼女が残した辛辣な言葉は今でも覚えている。最低なことをしている自覚はあっても、反省することはないだろうと思っていたのに、これだけの時間を重ねて自分にも大切な存在が出来て、誠はやっと彼女の気持ちを推しはかることができる気がした。


「田所ならいいお母さんになりそうだな」


 明るくて、正義感のある女だった。

 カップの中身をクルクルと揺らしながら誠が言うと、真奈美は少しだけ微笑んだ。


「もう田所じゃないけどね」


 それからも近況報告なのか、昔話なのかよくわからない話が続き、そうこうしているうちに洋人とマレーバクが両手に飲み物を持って姿を現した——の、だが。


「メリークリスマス!」


 戻ってきたのは二人だけではなかった。

 突然の乱入者に、真奈美と定森は目を見開いて固まる。

 一拍遅れて声の主を振り向いた誠は、しかし、相手を認識するより早くガシッと肩を組まれて逞しい体に引き寄せられた。身体が傾いで、椅子の上に手を突いて何とか体勢を維持する。

 誠がそろそろと見上げると、そこにはサンタクロースの帽子を被った男がいた。目と鼻と口が大きな南国系の顔で、肌の色もつい今し方まで海のバカンスを楽しんでいたかのように浅黒く焼けている。これほどサンタのコスプレが似合わない男はいない。見るからに軽薄でパリピな風貌のサンタは、赤ら顔のトナカイ四匹を連れていた。


「あの……星野さん……」


 ワインが注がれたマグカップと烏龍茶のペットボトルを持った洋人が戸惑ったようにこちらを見ていた。

 その隣で赤い帽子を被った男は豪快に笑う。寒さを吹っ飛ばすような大きな声と満面の笑顔。酒に酔っているという風ではない。

 この男はいつもこうなのだ。喧しくてどこにいても目立つ。


 ARROWSアローズで見かけた時もそうだった。


「おおーっ! 近くで見ると本当、星野は男前だな。相席してもいい?」


 誠の許可を待つ事もなく、男は真奈美の隣の椅子を引く。四人のトナカイたちもそれに続いてわらわらと同期会のメンバーを取り囲むように空いている席に腰を下ろした。


「小石ちゃん、朝のテレビ見たよ! 頑張ってたね」


 白い歯を見せながら笑った黒いサンタの登場に、真奈美は口元を引き締めて居住まいを正した。


「お疲れ様です。東嶋部長。皆さんもきてくれてたんですね」


「もちろん。願い事も書いてきたよ。みんながハッピーになれますようにって」


 東嶋はそう言って笑いながら、入り口で池田が配っていたチラシを机に置いた。

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