36話 黒いサンタが来る夜は 4
イルミネーションなんて言ってしまえば発光ダイオードの集合体で、どれだけの数が集まり、どんな色や形をしていようと誠の心に響くものではなかった。明度や照度の違いを抜きにすれば、『電気代はいくらかかってるだんろう』とか『電球が切れたら気付く人間いるんだろうか』とか、誠が気になるのはそんなことばかりでクリスマスがどうかなんてことも二の次だ。
誠にとってのクリスマスは最悪な記憶しかない。
……というより、小学生たちが心待ちにしている年数回の長期休暇自体が途方もない苦痛だった。中でも冬休みはダントツの最悪で、皆が枕元に靴下を置きサンタを待ちわびながら寝ている間、誠は母親とその恋人が食べ残した食事を突き、寝室に入ることも許されず、居間のこたつに丸まって母親とその恋人が事に及ぶ声を聞かされていた。
そんなこんなで、すっかりやさぐれていた誠は、クリスマスでプレゼントだ何だと沸いている同年代の子供たちには近づかないようにしていたし、浮かれながら街を歩いているカップルには『どうせてめーらもセックスしたいだけだろ』と冷ややかな視線を送っていた。
誠の記憶にあるワースト・オブ・クリスマスは
夕方、腹を空かせた
キラキラしたモールで飾りつけられた看板や、店内の活気とは裏腹な自分の状況に泣きたくなっても、奥歯を噛みしめて涙をやり過ごす。そんな誠の隣ではブーツ型のお菓子の詰め合わせを購入した親子連れが楽しそうに会話をしていた。そこに描かれたサンタクロースが抱える大きな袋と、なけなしの金で買ったレトルト食品とカップ麺が放り込まれただけのスカスカのレジ袋を下げる自分。それだけでも十分傷ついていたのに、店の入り口に飾られたツリーの幸せそうな電球の輝きに誠の心はどん底まで追い詰められた。
当時はまだLEDが普及しておらず、イルミネーションの主流は白熱球だった。フィラメントが発熱するあのオレンジの色合いは誠にとって寂しさの象徴でしかない。
母に捨てられた。
それを確信した。
あんな男とは縁を切り、自分たちの元へ帰ってきてくれると馬鹿みたいに信じていた望みが完全絶たれた瞬間だった。焼き切れたフィラメントのように、黒くなった残骸は今でも心の中でカラカラと空しい音を立てている。
社会人になって良かった事の一つは、12月24日が特別な意味を持たない日になったことだ。クリスマスイブの過ごし方よりも、大きな障害が起こらなきゃいいと、そちらの方が気にかかる。
ずっとそうやって生きていくのだと思っていた。
誠は向かいの席で談笑している洋人を見た。
ついつい来年の約束なんてしてしまったが、実際のところ来年どうなるかなんて誠にもわからない。離れ離れになってしまっても、この約束は有効なのだろうか。
誠は考える。
どうせ約束をするなら、あんないい加減な会話ではなく、きちんと約束をしておけば良かったと今になって少し後悔した。
無理してやってきたクリスマスアドベントは思った通り最悪で、さっきからちょこちょこ過去の出来事が頭を掠めて過ぎ去って行く、その度に心臓がぎゅっと窄んで心拍を乱し、誠を不安な気持ちにさせた。柄にもなくホットワインなんか飲んでしまって酔いが回っているのか、あまり良くない傾向ではあるが、隣で楽しそうに笑っている洋人を見ていると少しだけ心が落ち着く。
『昔こんなことがあったんだ』と話してみようか。
誠の頭に、そんな考えが浮かんだ。
それで当時の誠が救われるわけではないし、過去の恨みつらみが晴れるわけでもない。惨めな自分を晒すことになるだろうし、そんな姿を洋人に見せてしまっていいのか誠にもよく分からなかったが、話したい気持ちがあるということは、誰かに聞いて欲しいという気持ちがある証拠だ。
その相手が誰かと言われれば、洋人を覗いてこの世界に存在するはずもない。
母親の散骨をした時の話も洋人は淡々と聞いていた。かなりヘビーな話をしたはずなのに、弟と生活するのであれば邪魔なものは片づけるのは当然だと、そんな論理で誠の行動を肯定しながら、抱えきれないものまで抱える必要はないのだと、暗に知らせてくれたのだ。そうと気付いたのは随分後になってからで、当時は『こいつマジで言ってんのか?』とあまりの豪胆さにあっけにとられたものだった。
きっと、いつかどこかで自分の心は決壊してしまう——何かの拍子に溢れ出てくる過去のぐちゃぐちゃに心を掻き乱される度に誠にはそんな予感があった。
恐怖心や怒り、悲しみや悔しさ、心の底に渦巻いている色々な物が一気に噴き出してきたら、自分にそれを止める術はない。医者から薬は貰っているが、根本的な解決は、そうやって押し出てくる感情を誰かに伝えることが出来るようになることだと言われている。
そんな人間、いるわけないじゃん。
誠はずっとそんな風に思ってきた。
何故なら、誰の目から見ても誠の生い立ちは悲惨で、それを知った人間は漏れなく深い同情と憐みを向けてくれるが、誠が欲していたものはそんなものではなかった。でも、どんな言葉を掛けられたいのかも解らなかった。好き勝手やって、酷い人間だと失望され、去って行く恋人の背中を見て毎回誠が思っていたことは『同情はされても理解はされない』その事実だけだった。『部屋が狭くなる』なんてサイコパス発言をして誠の過去を歯牙にもかけなかったのは、後にも先にも満島洋人ただ一人だけだった
特別なことなど何もしなくていい。そのままの洋人が横にいて、他愛のない日々を繰り返してくれれば誠はまた立ち上がる力を得て前に進んでいける。
万が一時代が逆行してイルミネーションが全て白熱球に戻るような日が来ても、洋人が一緒になら、ぽっかり空いた心の穴だって光で一杯になる。
そう思えるほど、誠にとって洋人はかけがえのない存在なのだ。
だから……
要するにさぁ……
「お前ら邪魔なんだよ!」
誠はテーブルを囲む外野にウェットティッシュを投げつけていた。
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