44話 黒いサンタが来る夜は 12

 タクシーチケットを渡すと言った東嶋の申し出を辞退し、洋人は春日とブラブラ歩きながらマンションへと向かった。どの経路で帰るにしても、最終に間に合う時間ではあったが、一向に別れの挨拶をする気配のない春日がバス停と駅を過ぎてもついてくるので、洋人はそこでようやく「ウチに来ますか?」と尋ねた。

 昔ならこのままの流れでARROWSに向かうところだが、今はそんな気にもなれない。話し相手を探すにしろ、気を紛らわせるにしろ、色んな意味で春日という人間の存在が、洋人にとって有り難かった。


 問題だらけの男と、憧れの男。

 天秤にかけるまでもなく答えは出ている。

 それなのに、東嶋が紡ぐ未来にも何か飲み込むことの出来ないザラザラした物があって、洋人は取り残されてしまったような寂しさを感じた。

 気のせいだ、と言い聞かせればスルーできるほどの小さなささくれ。ただのノスタルジーなのかもしれない。

 賢い人間ならきっとこんなところで躓くこともないのだろう。

 判断を鈍らせるのはいつだって人の感情だ。洋人もそれを知らないわけではない。

 洋人は、東嶋が言うように自分は賢い選択が出来る人間だと信じて生きてきた。もう判断を誤ることも、騙されることもない。そんな人間になれるよう、努力してきたつもりだった。

 過去の痛い経験から嫌と言うほど学んだはずなのに、結局自分はまた間違った選択をしようとしているのだろうか。


 洋人の家にやってきた春日はクローゼットの中に誠の服があることを知ると、サイズが二回りも違うスエットを着用して記念撮影を始めた。酔っ払って拍車がかかっているのか、子犬のようなはしゃぎっぷりである。隠しきれない好きっぷりがひしひしと伝わってくる。彼女がいるのにこんな事をして大丈夫なのかと尋ねたら、彼女も誠のことが好きだから問題ないと「そっちの方がいろいろ問題あるだろ!」とツッコミたくなるような話を笑いながらしてきた。全く持って予測不可能な男だった。


「春日さんは星野さんのどこが好きなんですか?」


 そう尋ねる洋人にニヘラ~と酔っ払いの笑みを浮かべた春日は「全部!」と少女漫画の模範回答のような返事をした。

参考にも慰めにもならないお花畑な意見だ。

 春日の誠好きはもはや『崇拝』の域だ。ただ、宗教的と言うよりは番犬の異名の通り、ご主人様が好きで好きでたまらないペットといった風情なので、洋人も微笑ましい気持ちで見ていられる。

 チャラチャラ騒がしくて、誠が苦手とするキャラであろう春日が何故受け入れられたのか洋人にも何となく分かった。

 春日には全く悪意がない。そして、どんなに冷たくされても好きという自分の気持ちに従える、いい意味での鈍感さも持ち合わせている。

 そんなふうに、損得勘定なしに誠のことを好きだと思える春日の事が洋人はとても羨ましかった。


「でも、星野さんって最低でしょう? ルックスと仕事ができること以外で褒めるところあります?」


 以前、みのるにされた質問を今度は洋人が聞いていた。

 春日は上半身をゆらゆらさせながら首を傾げ、たっぷり五秒間考えた末にパッと目を開いた。


「チ〇コがデカいこと!」


「…………」


 ……訊くんじゃなかった。


「こーんなだし!」


 春日は『小さく前へ倣え』の要領で両手で隙間を作りながら、真剣な表情で誠のサイズを表現している。


「そんなに大きくないでしょ……!」


 フルMAXでもあと五センチは小さい。過大評価もいいところだ。


「……ってゆーか、何でそんなこと知ってるんですか?」

 

 ペットだ番犬だと言いながら、互いに裸を見せ合うような関係だったとか? だったら今すぐ身ぐるみ剥がしてこの部屋から叩き出してやるが……。


「職レクで温泉行ったことがあって。……いや、マジで星野サン『神』過ぎ。あれこそ男のロマン。あははは」


 ミニ四駆といい、誠のシンボルといい、保守のロマンはどうしてこうも幼稚で馬鹿げているのか。彼らの頭の中身はやっぱり小学生レベルなのか。職レクもどうせ、修学旅行みたいに誰のがすごいとかどっちが大きいとか、そんなことで盛り上がっていたのだろう。下ネタオンパレードのバカ騒ぎが易々と想像できる。

 ケラケラ笑ってそのまま床にひっくり返った春日は、その後脱力したように両手をパタンと広げて洋人の方に顔だけを向けた。


「でも、まぁー、優しいですよ……星野サン……。だから満島サンも好きになったんでしょう?」


 普段なら絶対にこんな話はしないのに、色んなことがあり過ぎたせいか、相手が春日だからなのか、洋人の口から自然と弱音が漏れてくる。


「それはそうなんですけど……。一人でいたいのかなって思うことがあるんですよ……時々。そういうところがないですか? 誠さんって」


 洋人は今回の一件で、誠に失望もしたし、悲しかったし、苛立ちも感じた。

 だって、誠は知っていたのだ。東嶋がこちら側の人間であることを。

 二人はARROWSで会っている。常連であればARROWSそこを訪れるのがどんな人間で、何の目的で集まっているのかを知らないはずがない。

 経営計画発表会の時、誠がやたら東嶋につっかかっていた理由が今日やっと解った。

 あの時浮気はするなと洋人に釘を刺したのは、誠が東嶋のことを知っていたからだ。

 今日もそうやって引き留めてくれれば洋人だって不安を感じずに、第一営業部の申し出を断ることができたのに……。先約があることを知れば、東嶋や他のメンバーも無理強いはしなかっただろう。


 東嶋が洋人の理想であることに誠はきっと気付いている。洋人が東嶋を連れて戻ったことにショックを受けただろう。

 ……ひょっとして、試されたのだろうか?

 洋人は考えた。

 でも、こんなやり方ってあるだろうか?

 こちらの意思を確認することもなく、みすみす敵に塩を送るような、あんなやり方で……。


「僕って、そんなに信用ないんでかね?」


 自分が営業だから?


「あー……ってゆーより、まだ懺悔の途中だからじゃないっすか?」


 悩み続ける洋人に春日はのんびりとした口調で言って、再び大きなあくびをした。

 背中を丸め、もう完全に寝る体勢だ。


「懺悔?」


「おかーさんの……」


「ああ……」


 遺骨を宅配で送った、というか。

 施設を出た誠は、みのるを呼び寄せるタイミングで部屋が狭くなるからと母親の遺骨を処分した。ヘビーな話を笑いながらする誠の様子が気にはなっていたが、やはりその事が引け目となって心に傷を残していたのだ。

 星野家の兄弟は母親に育児放棄を受けていた。生まれたての実の面倒を見ていたのは誠だ。誠は学校に通うこともままならず、みのるの父親であるその男に暴力を振るわれ、家庭内暴力の末に母親を失った。子供を放置するような親であっても、誠にとっては血の繋がった親なのだ。


「でも、仕方ないっすよね……」


「……そうですね」


 今にも眠ってしまいそうな春日に頷きながら、洋人はベッドの上から毛布を引っ張り出した。

 頼れる親族もおらず、独立したばかりの状態で自分のことだけでも手一杯なのに、墓のことなんて考えられなかっただろう。捨てたと言っても適正に処理はされている。海洋散骨に依頼しただけでも偉かったと洋人は思う。

 誠の人生は普通に生きてきた人間には想像もつかないほど過酷なものだ。洋人も大きな事件を乗り越えはしたが、親の愛情を疑ったことは一度もない。両親はもちろん、後妻として満島家にやってきた由美も含めて一度もだ。

 誠は人間形成の根幹となる『愛情』というものに、そもそも信頼が置けないのだろう。恋人と長続きしないのも、洋人を試そうとするのも、そういった感情が無意識のうちに働いているのだろう。

 これから先、何度もこんなことを繰り返し、洋人がどこへも行かないと証明し続けることでしか、誠の不安を払しょくする方法はないのだ。

 企業戦士としての洋人の希望は第一営業部で働くことだ。しかし、それは誠がもっとも不安を抱いている東嶋の元へ行くことを意味している。どれだけ洋人が言葉や努力を重ねたとしても、このままの関係が続くのであれば、誠がその環境に耐えられるとは思えなかった。

 ……だから、自分は捨てられてしまうのか?

 浮気はするなと釘を刺す一方で、誠は恋敵とは対峙せず、全ての判断を洋人に委ねている。

 そして、今日、洋人はその選択を誤ってしまったのだ。

 全てが繋がった気がして、失意のどん底で項垂れる洋人の頭上に、ポツンと春日の言葉が降って来た。


「だって……中学生でしょ? そもそもが無理ゲーっすもん……」


 え?

 寝言のように紡がれた言葉に、洋人はハッとして春日を見た。

 何の話?


「春日さん?」


 中学生? 無理ゲー?


 ……遺骨の話ではない?


 しかし、そこには誠の服に包まれスヤスヤと幸せそうに寝息を立てる春日の姿があるだけだった。

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