42話 黒いサンタが来る夜は 10

 こんなイベントに誠を誘い出したのがそもそもの失敗だったのだろうか。


 カラオケボックスのドリンクコーナーで洋人は人知れずため息を吐いた。

 誠とデートしたかったとか、世の恋人たちのように二人で壮大なイルミネーションの下を歩きたかったとか、いろいろ理由はあるものの結局全ては洋人の我儘だった。

 誠はこんなイベントに参加したがる人間ではないし、イルミネーションなんて美しさよりも、電気代を気にするような人間だ。何とも味気ない男ではあるが、愚痴でも屁理屈でも何でも良いから平常運転の誠といつものようにあーでもない、こーでもないと話をしながら洋人は年に一度のこの時間を過ごしたかった。


 市内にはクリスマスアドベントの会場がいくつかあり、三大拠点となるのが市役所前、中央駅前広場、そして市民の憩いの場として知られる城址公園だ。市役所前からであればどちらの会場もバスで五分程の立地である。

 正直なところ、洋人は誠と一緒であれば会場に拘りはなかった。チャチャが入ったり、邪魔されることを想定しなかったわけではないが、市役所前の会場を選んだのは会社をダシにすればイベント嫌いな誠を誘い出す口実になり、断られたとしても『全社メールがきたから誘っただけだ』と自分自身のショックを和らげることができると思ったからだ。

 臆病者の目論見は成功した。

 しかし、当の誠ときたら……。

 あの場に東嶋を連れて行ってしまったことが全ての敗因ではあったが、洋人にはどうすることも出来なかった。


 ——行けば? せっかくだし——

 

 誠に判断を委ねる前に、自分から断ってしまえば良かった、と少しだけ後悔した。しかし、洋人はどこかで期待していたのだ。誠が一言『行くな』と引き留めてくれることを……。

 どれだけ恋人の真似事をしても、結局誠にとっては仕事の延長線でしかなかったということなのかもしれない。洋人の接待仕事を優先してくれたと言えなくもないが、デートか仕事かと問われれば、洋人はデートを優先したかった。


「はぁ……」


 洋人は再び嘆息した。

 確かに、社内恋愛の自分たちは職場とプライベートの距離が非常に近い。

 会社でも二人きりになればプライべートな話をすることはあるし、障害対応に出掛けた客先でキスをした、なんてこともあった。しかし、休日に社外で待ち合わせをすれば、きっかけが社内メールであっても、もれなく全てデートであり例外はない。逐一ラベルを張らなければならないほど仕事とプライベートの区別がつかないほどとは思っていなかった。


 誠がイベント嫌いなことは洋人も重々承知している。しかし、ダメ元で送ったメールにはすぐに返信が来たし、あれこれチャチャが入るまでは、二人で楽しく過ごせていたはずだ。ワインを注文した洋人に釣られるように誠がイベント限定のマグカップを購入した時は、何だかくすぐったい気分になって洋人も自然と微笑みが零れていた。

 大好きな人と一緒に美しいイルミネーションを見て、お揃いのカップで温かいワインを飲んで……今日はきっと忘れられない日になる。洋人はそんな確信すら抱いていたのに、一体何が起こってしまったと言うのか。

 いくら仕事上の付き合いとは言え、デートの真っ最中に、しかも蛇蝎の如く嫌っている男の元へみすみす洋人を送り出そうとするなんて、予想もしなかった展開だった。誠の冷たい対応に洋人は一瞬でパニックに陥った。

 会場を出てカラオケボックスに向かう道中も頭がグルグル回って、心の中はあっという間に黒々とした感情で満たされてしまった。もう、会話を楽しむどころではない。途中で自分のカップを会場に置いて来てしまったことに気付き、洋人はすぐさま誠に連絡しようと思ったが、最悪な結果ばかりが頭を過って、メッセージを打ち込んでいた手が止まってしまった。


 洋人はドリンクサーバーのボタンを押した。

 チョボチョボとカップに注がれる烏龍茶を眺めながら考えるのはやはり誠の事ばかりで、ちっとも気持ちの切り替えが出来ていないことを痛感する。

 二人の関係には形がない。身体を繋いでいる瞬間だけが全てである。潜在的な不安があったにもかかわらず、それを潰す努力もせず、関係の軽さに甘んじてきた結果がこれだった。

 だから、だろうか。

 最後、誠の様子は明らかにおかしかったのに、何が起こったのか洋人に伝えることもなかった。


 セフレだから?

 或いは洋人だから……?

 元カノだったら東嶋の誘いを蹴り、誠と向き合っていたのだろうか?


「あー……ダメだ」


「どうかしたの?」


 思わず心の声を漏らしてしまった時、背後からいきなり声をかけられた。

 洋人は一瞬で背筋を伸ばし、営業スマイルと共に声の主を振り返る。

 確認するまでもなく、声と喋り方だけでそこにいる人物が誰なのか分かってしまった。


「統括……」


 なぜこんな場所に? と洋人は内心冷や冷やしながら自分の首長の顔を仰いだ。

 洋人たちが案内された部屋は、ドリンクコーナーが設置されたこのフロアより一つ上の階だった。カラオケは二時間の予約を入れているが、このままアルコールを飲み続けたらヤバそうなメンバーが何人かいる。ソフトドリンクでクールダウンしたいのではないかと、洋人は気を利かせてここにやってきた……と言うのはただの口実で、誠のことが気になってカラオケなんて出来る心境ではなかっただけだ。


「何か飲まれますか? 言ってくだされば、一緒にお持ちしますけど……」


「いやいや。そのソフトクリーム、やってみたくて……」


 東嶋は右手でサーバーを操作する仕草をしながら洋人の元までやってきた。

 ドリンクコーナーには飲み物と共にソフトクリームのサーバーも準備されていた。そのまま食べるのはもちろん、コーラやコーヒーに入れればフロートも作れる。


「ほら、あの子が食べてたでしょ?」


 そう言いながらサーバーの前までやってきた東嶋は、テーブルに準備されたカップを手に取り、レバーを手前に倒した。


「あ……ちょっと……!」


 ニュルニュルと出てきた白い塊がカップの中で渦を巻く。想像以上に勢いがあったのか、レバーを戻すタイミングが僅かに遅れ、グネリと折れ曲がった先端のクリームが東嶋の手に付いてしまった。


「ははは。これはなかなか難しいね」


 東嶋は笑いながら洋人が差し出した使い捨てのお手拭きでクリームを脱ぐった。


「スプーン、ここにありますよ」


「ああ。ありがとう……」


 東嶋は使用済みのおしぼりをゴミ箱に捨てて、今度はスプーンを受け取る。丸い先端でソフトクリームを一掬いして食べた後「うん、美味い」とにこやかに感想を述べた後、そのままの軽い調子で洋人に尋ねてきた。


「誘わなかった方が良かった?」


 温かい飲み物も準備しようとティーパックの封を切っていた洋人は、不意打ちの質問に大きく目を見開いた。俯いていたので東嶋にその動揺を悟られたかは分からない。しかし、質問の意図を掴み損ねて一瞬だけ思考が停止した。


「ひょっとして邪魔しちゃったのかなと思って……」


「いいえ。そんなことは……」


 東嶋も他のメンバー同様かなり飲んではいるはずなのに、酔っているという雰囲気ではない。彼も幾度となく接待を繰り返し、酒宴の場に慣れた営業マンだ。周りの雰囲気に流されて自分のペースを崩すことなどあるはずがなかった。


「でも、あいつはきっと怒っているよね?」


 洋人の中で警戒心が首をもたげた。

 東嶋は何を言おうとしているのか。

 『あいつ』と言われて洋人の頭に浮かんだのは見目麗しい類まれな容姿をしたネットワークセンターの神と呼ばれる男だ。

 年齢も勤務地も違う、あの席にいたメンバーが即席の寄せ集めだということは誰の目にも明らかだった。唯一の繋がりは誠と真奈美、定森が同期であるという点だが、それ以外はどんな切り口でどんな風にグループ分けをしても必ず誰かが異分子として浮いてしまう。洋人が誰と一緒に飲みに来ていたかなんてことは、着席した位置からでもすぐに推測できることだった。


「満島君、星野と噂があるけど、あれって本当なの?」


「……プライベートな質問にはお答えできません」


 いずれ誰かに聞かれることはあるだろうと、洋人はあらかじめ準備しておいた答えを返したが、東嶋は一筋縄ではいかなかった。回答の速さに何かを確信したように笑み深める。


「はは……やっぱりそうなんだ?」


「あの……」


「ごめん、ごめん。困らせるつもりはないんだけど……」


 東嶋はそう言いかけて「いや、困らせたいのかな。本当は……」と首を振り、スプーンで冷たい塊を突いた。


「……田所さんも今の君と同じ顔をしていたよ」


 そう言いながら、再びソフトクリームを掬って口に運ぶ。


「だから本人に聞いたことがあって……『星野と一緒にいて幸せなの?』って」


 そして、洋人は気付いてしまった。

 あの時、あの場で東嶋が誠の元カノの話をしたのは偶然ではなかった。


「君は……」


「統括……! 酔っていらっしゃるんですか?」


 昔話に興じながら東嶋は、二人の関係を観察していたのだ。

 これ以上こんな話はしたくない。そう思った洋人は失礼を承知で東嶋の話の腰を折った。


「僕と星野さんは……」


 しかし、東嶋も口で負けるような男ではない。洋人の言葉を遮って断言した。


「付き合っているんだよね? 俺ね、ARROWSアローズで星野を見かけたことがあるんだよ」


 よもや、東嶋の口からARROWSの名が出てくるなんて考えもしなかった洋人は、驚きのあまり取り繕うことすらできなかった。


「……随分前だけど。……あいつ、男と一緒にいたよ?」


 絶句して、洋人は弾かれるように東嶋を見た。


「君もだよね?」


 見ていたらわかる、と東嶋は狼狽えている洋人に笑いかける。


「何が言いたいんですか……僕は……!」


「ごめん……。そうじゃなくて……違うんだよ。君を揶揄いたいわけじゃない……」


 気色ばむ洋人を制して、東嶋はソフトクリームが乗ったカップを台の上に置いた。徐々に溶けていく白い塊を見ながら、ソフトクリームすらも二人きりになるための口実だったのか、と洋人は今更ながらに気付いた。東嶋は営業の寵児と呼ばれる男だ。人の心を掴むのが天才的に上手い。全ては計算されている。

 いつから? どこから?

 どれだけ考えても洋人には分からなかった。


「あれこれ考えるの嫌いだから、単刀直入に言う。俺は君のことを気に入っている」


 思いがけない言葉に洋人が息を飲むと、まっすぐにこちらを下ろしてくる東嶋と視線がぶつかり——それは、完全な不意打ちだった。

 危険を察知して咄嗟に身を引こうとした洋人だが、半瞬だけ先に行動した東嶋に手首を掴まれ、強い力で引き寄せられる。よろけて東嶋のぶ厚い胸板に手を突くと、あっという間に逞しい腕に包み込まれていた。


「統括……!」


「……好きなんだよ。満島君のことが」


 顔を背けて回避する間もなく頭上に東嶋の影が落ちてきた……。

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