41話 黒いサンタが来る夜は 9
誠の行動が危なっかしい、というのは山﨑が常々危惧していたことだ。
人間になんて大して興味がないように見えるが、誠は一旦テリトリーに入れてしまった人物は自身を犠牲にしてでも守ろうとする。
それで漫画のようにカッコよく大団円で終われば問題はないが、現実世界ではそうもいかない。会社や学校といった特定の組織の中では尚更だ。
——それを知っているが故に、大抵の人間は自分の目の前で問題が起こっても深く関与しようとはせず、同情はすれども愚痴の聞き役に徹するのがせいぜいなのだが誠は違う。一切の根回しも保険もなしで、敵とみなした相手に突っかかっていく。
複雑な家庭環境、若くして弟を育ててきたこれまでの経歴……誠の行動の原点はそんな諸々から出てきていて、常人には理解しがたい部分が多々ある。本人が何か事を起こしたとしても、そこらへんの説明を端折て、全てを自己完結させているから尚更厄介だ。いきなり回答だけされて、解説は一切ない。そんな置いてけぼり感を喰らうことになる。
「結局それ自己満足ってことじゃない?」
「自己満足って言うか自己犠牲と言うか……。まぁ、いずれにせよ解説があるわけでもなく、説明責任が果たされることもないからね」
バス停で誠と別れた定森と小石は駅へと向かって歩いていた。
二人の前方ではイベントに参加していた客がチラシを手にクリスマスアドベントの話している。今日はまだ下見だけなのか、あの店の何が食べたいとか、ホットチョコレートを飲んでみたいだとか、そんな希望を言い合ってとても楽しそうである。
定森は誠が持ち帰ったお揃いのマグカップのことを思い出した。
満島洋人と付き合うようになって、誠は変わった。
誠は仕事終わりにこんな場所に出向くような性格ではないし、イベントに乗っかってお揃いのカップを欲しがるような人間でもない。賑やかな場所が嫌いで、ノリも悪く、大勢の人と関わることがとにかく苦手な男である。
『嫌な事思い出すんだよ』
昔、何かの話の流れでクリスマスのイベントに参加しない理由を尋ねた定森に、誠はそう説明した。定森は「ふーん」と返事をしただけで終わったが、そこに深い理由があるのは確実で、これ以上触れられたくないと誠が薄らと警戒していることも分かった。
今日、この場に誠を呼び出したのは間違いなく洋人だ。その要請に応じたというだけで、定森には誠の気持ちを推し量ることができる気がした。これが、春日や自分だったらにべもなく『行かねーよ』の一言で終わっていただろう。
「だから星野は誤解されるんだよ。何を考えているか分からないから、俺たちもそこを汲み取ってできるだけ協力してるつもりだけど……」
「随分大切にされてるのね。あんなチャランポランな男なのに」
「それは誤解だよ、小石。あんな感じだけど、星野は人の何倍も仕事してる。……田所のことは俺もよく知らないけど、長く付き合ってるから理解できる部分ってあるだろ? 満島君もそうなんじゃないかな」
「だったら行かせなきゃいいじゃない。あんな所で放り出しちゃうなんて、いくらなんでも、可哀想だよ」
「放り出したって言うか……」
逃げたって言うか……。
「人と向き合う気がないのなら同じことだよ」
星野家に起こった惨事を同期は皆知っている。誠は入社前から女性たちの注目の的だった。それをやっかんだ同期の一人がどこから探し当てたのか事件の記事を拡散したことがあったのだ。
定森は同期会には参加しなかったが、それでも人伝いに噂が回ってきたぐらい、誠が持つ波及効果は凄まじいものだった。ただ、そういった噂話が嫌いだったため、どれだけ衝撃的な内容であってもみだりに騒ぐこともなかった。
最終的に、噂を聞いてから一年後ぐらいに誠本人が話をしてきたので定森は星野家に起こったことを本当の意味で理解したが、『親が傷害致死事件の被害者であること』『だから自分が弟を育てていること』それだけの説明だけでもう十分だった。
「星野の行動は時々理解不能な時があるから……。左遷された時もそうだったし……」
定森の脳裏に浮かぶのは、誠がコールセンターに異動するきっかけとなったパワハラ事件だ。
ネットワークセンターには厄介なパワハラ上司がいた。子供が病気にかかり、それが感染症だったため定森は三日間の病児休暇を申請したのだが、問題の上司である中山に却下された。嫁がいるだろう、というのが中山の主張であったが、定森の妻は第二子の妊娠が発覚したばかりだった。妊娠初期で無理がきかず、且つ妻自身も感染する可能性があったため、定森は不承不承その旨も説明したのだが、中山は「だったらテレワークをしろ」と言い放ってきた。大勢の社員が居る前で中山が大きな声を出したので、定森の妻が妊娠していることを皆が知るところとなり、それでいて子供の世話をしながらテレワークをしろだなんて無茶苦茶だと定森は思った。他の課員に負担はかけてしまうものの、シフトの調整も既に出来ていてお膳立ては完璧だったのに、中山の虫の居所が悪かったのかネチネチ文句を言われた挙句この結果だ。
自席に戻ると、同じく子育て中の先輩社員が労りの言葉をかけてくれたが、中山の判断がひっくり返るわけでもない。別の部署の社員も含め『中山だから仕方がない』と諦めムードが漂う中、たった一人だけ静かにブチ切れした男がいた。
「十分に一回話しかけて中山さんの仕事邪魔したってやつ? それって本当なの?」
「事実だよ。ただ、十分に一回じゃなくて、五分に一回だったけど……」
「えっ!?」
「あいつ、あの手この手で中山さんの仕事を邪魔したんだよ。内線間違ったフリして鳴らしたり、中山さんの席の真横でファイル落としたり。最初、何やってるのか分からなくて、皆どうしちゃったんだろうって不思議に思ってたけど、途中で山﨑さんが気付いて、すぐに止めさせようとしたけど全然言う事聞かなくて……」
怒鳴り込んできた中山に冷ややかな視線を送り誠は鼻で笑った。
「『子供がいるとこんな感じなんですけど、仕事できますか?』って……」
「うわぁ…………」
中山の態度は以前から問題になっていた。何もそんな厄介な相手に誠が真っ向勝負をすることはなかったのだ。社員の権利を阻害した中山に問題があるのだから、一旦ここは定森が引き下がって、本店八階にあるコンプライアンス窓口に相談するなりなんなりすれば、誰も傷つくことなく解決した問題だ。育児休暇の却下のみならず、中山は定森や定森の妻に対してのハラスメントも行っている。社としても大きな問題になるはずだった。
しかし、誠は行動した……全ては定森の権利を守るために。
誠が求めたのはこの先のコンプラ委員の制裁ではなく、今窮地に立たされている友人を救うことだった。そのためにはどうしてもその場で中山を制する必要があったのだ。
「病気の子供が大人しく寝てるなんて、育児をしたことがないから言えるんだ、って星野が追い討ちをかけるような事言ったものだから、中山さんますます怒って……。間に山﨑さんが入ってくれたから何とかその場は収まって、俺の方は病児休暇も無事に取得できたけど、その後二人はセンター長に呼び出しを喰らって、喧嘩両成敗。……星野は英雄みたいに絶賛されたけどね」
定森が気に病んでいるのはそれだけではない。結局のところ妻は第二子を流産してしまった。妊娠十週を迎えた直後に心拍が停止してしまったのである。妊娠初期の流産は受精卵そのものに問題があるため、親の年齢が若いから大丈夫というものではない。誰のせいというわけでもなかったが、定森は自責の念にかられた。
『お前、大丈夫? 皆に色々聞かれるだろ?』
中山の件に限らず、普段の業務に於いてもネットワークセンターでの誠の貢献ぶりは『神』そのもので、そんな男を左遷させてしまった上に、彼が全力で守ろうとしてくれた第二子も流れてしまった。
何と言って謝れば良いのか分からない定森に誠は、自分のことなどそっちのけで定森家の方を心配してくれる。定森には返す言葉もなかった。
中山の所為でまだ安定期にも入っていない妻の妊娠を皆の前で公表することになったため、その後を問われれば流産してしまったことも説明しなければならない。誠は自分の人事よりそちらの方を気にしてくれたのだ。こんな一面を知ってしまったら、女でなくともこの男のことを好きになる、と定森は思う。
定森には誠に対する恋愛感情はないが星野誠がかけがえのない友人の一人であることに間違いはない。擬似ファミリーは皆、その事を知っている。
満島洋人もきっとそんな誠の優しさに触れた一人なのだろう。そして、誠が誰よりも洋人のことを気にかけていることを定森は知っている。
——相手、アレだよ? ——
と経営計画発表会の帰り道、照れ臭そうに洋人のことを話した誠は傍目から見ても幸せそうだった。『また、すげーの掴まえたな』というのが正直な感想だったが、誠の生い立ちや苦労を知っているが故に疑似ファミリーの誰もが『マジで幸せになってくれ』と言葉にはしなくとも心の底から祈っている。
一旦はカラオケの申し出を断った春日が、誠のピンチを知って一も二もなく洋人の元へぶっ飛んで行ったのも、そんな気持ちの現れだろう。春日は行動原理がシンプルで、大好きな女性は彼女、大好きな男性は誠と決まっている。そして、誠が大切にしている洋人は、誠と同じように守って尊重すべき存在であることを本能的に理解している。
…………ってゆーか……
「あいつ、大丈夫かな……?」
ぽろっと零れた定森の言葉に真奈美がすぐさま反応した。
「え? 星野君のこと? 今すぐ助けに行った方がいい?」
誠のことを非難しながらも、真奈美も心配しているのだと定森は苦笑した。
誠の噂が拡散された当時、同期会は大きく二分された。発信源となった男と縁を切り、徹底抗戦の構えを取ったのが田所麻有を筆頭とするグループだった。その中に真奈美も含まれていた。
「あ、いやいや。春日のこと」
「ああ、おにぎりボーイ? てか、あの子ちゃんと追いつけたのかしら?」
「社用携帯持ってるから、そこは大丈夫だろうけど……」
もし、誠が危惧するように東嶋が洋人のことを狙っているのだとしたら、春日には荷が重すぎるのかもしれない。しかし、あのメンバーの中で警戒心を持たれず、違和感もなく洋人の傍に居られるのは、行動の予測がつかないペット枠の春日だけだろう。
フットワークはやたら軽いのに、あいつ何か抜けてるところがあるんだよなぁ……。
定森は心に一抹の不安を抱えながら星の消えた空を見上げた。
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