40話 黒いサンタが来る夜は 8
バーカ。
営業部御一行様が消えた後、真っ先に口を開いたのは真奈美だった。
「何で行かせたのよ? あなたたちデートしてたんじゃないの?」
池田からクリスマスアドベントに誠と洋人が参加していると連絡があり、帰宅途中だった真奈美はわざわざこの会場まで引き返してきた。早朝出勤の身体は疲れていたが、今日は経理課の奥枝美保子が合コンに行くという情報も得ていた。女帝不在の絶好の機会に噂の二人が揃ってこのような場に現れたと言うのだから、これを逃す手はない。
真奈美は二人を発見し、まんまと相席に着くことができたが、程なくして定森とおにぎりボーイが現れ、デート現場はあっという間に混沌と化した。男のロマンだか友情だか知らないが、何が悲しくてミニ四駆大会の話なんぞを聞かされなければならないのか。
真奈美が知りたいのは、友人が過去に三下り半を突きつけたダメンズ代表と、社員の鑑である洋人がどのような付き合いをしているかということだ。広報で把握している通りの内容であれば誠と洋人の付き合いは二年余りにもなる。誠がそんなに長く一人の人間と付き合った前例はなく、麻有から最悪過ぎる星野誠の人となりを聞いていた真奈美は、その理由をこの目で確かめてみたくなったのである。
「『行くな』って言った方が良かった?」
「そりゃそうでしょ! 満島君だって困ってたじゃない。何で助けてあげないの?」
しかし、当の誠ときたら思った通りの最低ぶりで、あっさりと洋人の手を離してしまった。洋人に執着する素振りも垣間見れたのに、突然手のひらを返すなんて全く持って理解不能だ。
俯く誠を叱りつけるように言って、真奈美はほとほと呆れ返っていた。
困った事が起きても全然助けてくれないと、麻有が嘆いていた通りの光景だ。煮え切らないその態度に苛立ちすら覚えてしまう。
「ちょっと待って、小石」
そんな真奈美にストップをかけたのは定森だった。男同士の友情など今に限っては不要だと、真奈美はそんな気分で二人を見ていたがミニ四駆の話をしていた時とは違い、定森の顔には緊張感が走っていた。
「星野、大丈夫?」
定森は誠の肩に手を置き、横から顔を覗き込む。
「平気……。大丈夫」
しかし、誠は心配する定森から逃れるように顔を背け、さりげなくその手を振り払ってしまった。
烏龍茶のペットボトルを手に取り、ようやく顔を上げた誠は顔面蒼白で、真奈美はそこでやっと彼に起こった異変に気付いた。この短時間に何が起こったのか、憔悴した顔で烏龍茶を口に運ぶ誠は完全に血の気が失せ、今にも倒れてしまいそうな様子である。
「何? 体調悪いの? 顔、真っ青じゃない」
「気分悪くなっただけ」
「でも……」
「いいから……」
そう言って再び烏龍茶を飲む誠を同期の二人は見守ることしか出来ない。真奈美が定森の方を見ると、これ以上は何をやっても無駄だとでも言うように、メガネの奥から小さく目配せしてきた。
誠は、ゆっくりと深呼吸をした後「それよりさぁ」と会話を再開させた。
「俺たちのことだけじゃなくて、東嶋の噂はないわけ? ……あいつずっと洋人のこと気に掛けてんじゃん?」
問われた真奈美は何とも言えない表情で口を閉じる。洋人を助けたい気持ちと、広報であるが故に超えてはならない一線との狭間で気持ちが揺らいでいた。
それに、誠のことも気にかかる。誠のアルコール耐性を知らない真奈美は、真っ先に急性アルコール中毒を疑ったが、誠は無理して酒を飲んでいたわけでもなく、酩酊している様子も見られなかった。
ついさっきまでワイワイ馬鹿話をして騒いでいたのに、東嶋が現れてからだ。誠の様子が少しずつおかしくなっていったのは。
先程の東嶋の会話も……。
はたから見れば自然な流れに思えたが、誠と洋人の噂を知らない筈がない統括部長が、あの場で麻有のことを暴露したというのは誠に対しての嫌がらせとしか思えない。保守と営業の仲の悪さは言うまでもないが、東嶋が笑い話に乗じて誠の過去を話したのは、それだけが理由なのだろうか。
東嶋と洋人の噂は真奈美も耳にしていた。広報課に入ってくる内容は誠が危惧するようなものではないが、東嶋が洋人に執着している、というのは否定できない事実だ。
東嶋は自分の業務のサポートをしてくれる人間を欲しがっている。それは、しばしば本人の口からも出ている話で、候補として頻繁に名前が上がるのが満島洋人だった。
そもそも二年前の異動の際、東嶋は洋人を自身のお膝元である第一営業部に異動させようとした、という話だ。
しかし、良くも悪くも洋人は目立ち過ぎた。入社以降、毎年のように何らかの賞を受賞し、上層部からも何かと注目されていた洋人は東嶋の後継と目される一方、同年代の社員の嫉妬の対象でもあった。
コミュニケーション能力が物を言う営業部では、間に介在する人間関係によって様々な憶測を呼びやすい。いかに瑕疵の見当たらない洋人であっても、営業成績が上位に行けば行くほど周囲への配慮は不可欠になり、それを怠ると思わぬ所で足を引っ張られることになる。
同じように営業の寵児としてスターダムを駆け上がった東嶋の方がそこらへんの怖さをよく理解していたのだろう。
シフト勤務でクレーム処理が大半のコールセンターに率先して行きたがる人間はいない。そこへ洋人を送ったのは部内の不満が洋人に向くことを恐れた東嶋の意向だという嘘か本当か分からない話も真奈美は耳にしていた。
実際、洋人のような社員がコールセンターに配属されるのは異例のことで、営業成績の上位者は、大抵店舗に残って副店長や店長へと昇格していく。三十歳を過ぎた頃に別部署へ異動、それから各部署を回って最も適正のあった部署でそこから先の役職に就くというのが大体の流れなのだ。
広報には人事の真相を確かめる術はないが、この異例ともいうべき采配は洋人に嫉妬する社員のガス抜きのためだと目されていた。
洋人が表舞台から姿を消したことで、胸を撫でおろしている社員も山いることだろう。
しかし、出来る人間は何をやっても、どこに居ても成長する。
洋人が作成した月報を目にした企画部も彼に一目置いているという話がここ数か月の間に広報の方に流れ始めた。あくまでも噂ではあるが、しかし、それが全て真実だと仮定するなら、部内のガス抜き人事が思わぬ形で波紋を広げてしまった東嶋は焦ったことだろう。これで洋人が企画部に興味を持ち人事面談で異動願いを出せば、叶うかどうかはさて置き、運営側への転身も可能性として出てきてしまうわけだ。
「統括は……満島君のことに限らずまぁ、いろいろ噂はあるわよ。目立つ人だから」
何となく誤魔化した真奈美の返答を聞いた誠は何もかも諦めた様子で「だよな」と呟いた。
様々な事情があって、洋人も誠もコールセンターに配属されている。しかし、キャリアコースを、歩む洋人と部内で問題を起こし左遷された誠ではその意味合いが全く違っている。
「どうせいつか、東嶋の所に行く人間しゃん……」
誠はそう言って、洋人と自分のマグカップを持って席を立つ。
「俺、もう帰るわ」
二つのカップがぶつかって甲高い音がした。誠の顔色は相変わらず優れない。
「タクシー呼ぼうか?」
そのまま誠を定森が引き留める。
「いや。大丈夫」
案の定な返事を残し、背を向けた誠に、定森は更なる質問をなげかけた。
「満島君の様子見てこようか?」
「…………」
誠は何も答えなかった。しかし、そこに葛藤が見えるのは気のせいではない。
沈黙する背中から何をかを感じ取った定森はやれやれと首を振った。
「困ったことがあったら相談しろって言っただろ」
「定森君、何する気なの? もう皆んな行っちゃったわよ」
今更どうやってカラオケに参加すると言うのか。
真奈美が尋ねると、定森はそこについては問題ない、と言って春日の方へと視線を寄越した。
「できるよ。なぁ、春日?」
そう言って、ワインを飲み飲みチョコレートチュロスを食べていた春日を見た。
「はい! 問題ないっス!」
すると、手に着いたチョコを舐め取っている春日は一つ返事でシャキッと立ち上がり、質問に答える小学校のように元気よく右手を上げた。
「いや、でも、おにぎり君は明日早番なんでしょ⁉︎」
自分でそう言って、カラオケを断っていたはずだ。
問われた春日は真奈美の言葉を肯定しつつも、
「はい。でも、俺は早番って言っただけで、行かないとは言ってませんから」
そう言って、ヨイショと自分の荷物を手に取った。
「何するか分かってる?」
「もちろんっスよ!」
定森に訊ねられた春日は満面の笑みを浮かべた。
「ぶっ壊してくればいいんでしょ?」
『え⁉︎』
不穏な言葉を口にした春日は、驚く三人のことなどまるで眼中にないように踵を返した。
「ちょっと待って! ぶっ壊すってどういう意味……」
「みっつしっまさぁぁぁ〜〜ん!」
真奈美の制止もなんのその。洋人の名を叫びながら鉄砲玉のように飛び出し、あっという間に姿を消してしまった。白黒ボーイの突飛な行動に真奈美は面食らってしまう。
しかし、春日の先輩である二人の同期はこんなことには慣れっこなのか、呆れたようにその背中を見送りながらも今更引き止める気はないらしい。
「何なの、あの子」
「何って……」
定森はイルミネーションが反射する眼鏡を中指で上げながらボソリと答えた。
「星野の番犬だよ」
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