26話 神はかく語りき 3

「お前は保守失格!」


 コンパートメントを超えてきた罵声に何事かと洋人がテクサポのブースを覗くと、そこには社用携帯に向って怒鳴り散らしている誠の姿があった。


「今すぐこっちに来て全部手動で解除しやがれ、このドアホ!」


 会話の内容から、洋人はその相手がネットワークセンターの後輩だろうとあたりをつけた。

 誠は悪い人間ではないが、往々にして他人への配慮に欠けるきらいがある。最近は鳴りを潜めていた癖の悪さがここへ来てとうとう爆発したらしい。洋人は一抹の不安を抱えながら椅子にふんぞり返る誠を覗き見た。

 流石にこれは看過できない事態である。

 誠の言動は誰の目にも明らかなほど『職場において行われる優越的な関係を背景とした言動』だし、『業務上必要かつ相当な範囲を超えたもの』であるし、『雇用する労働者の就業環境が害されている』状態……つまりは完璧なパワハラだった。

 もちろん、テクサポが忙しいことは誰もが承知している。しかし、全てが筒抜けのこんな場所で大きな声を上げられては最前線で戦っている受電チームの士気にも影響しかねない。洋人がしかつめらしい顔で誠に注意するタイミングを見計らっていると、


「はぁっ⁉︎ お前にくれてやる愛の鞭なんかあるわけねーだろ! 毎度毎度都合のいいように解釈してんじゃねーよ! 体内時計と一緒に頭も狂いやがったか⁉︎」


 テクサポメンバー、そしてテクサポから一番近い位置にいる受電チームのマネージャー富岡がその言葉を耳にした途端、ぶはっ! と吹き出した。

 どうやら加害者が認めているパワハラを被害者が否定するという摩訶不思議な遣り取りが展開されているようだ。懸念されたリンリンシステムズはというと、士気が下がるどころか頓珍漢な誠の発破にある種の清涼感を得た様子で、受電を終えた担当者もヘッドセットのマイクを下ろした途端クスクス笑い出す始末だった。

 怒るタイミングを逸してしまった洋人は心中複雑な気分で喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。

 そう言えば……と思い返してみれば昔から誠はこうだった。

 誰彼構わず酷い言葉を口にしているはずなのに、何故か受け取る側は思ったほどダメージを喰らっていない。受電チームのSV、マネージャークラスの人間はメンタル強めだが、そうではない下のメンバーまでもが言いたい放題の誠を赦し受け入れているのだ。

 最初は類稀なルックスに目が眩んで誠に忖度しているのだろうと思ったが、どうやらそれだけではないらしい。暴言は吐いてもいざという時に必ず助けてくれる誠の存在に、彼らは絶大な信頼を寄せていたのだ。

 日々、言いたいことも言えず癖のある電話を受け続けている受電チームの中には、客を客とも思わない誠の暴言に溜飲が下がる思いをしているメンバーだっていることだろう。


「今すぐこっちに寄越せ! このぶわぁぁか‼ 今度約束破ったら、ミニ四駆返してもらうからな!」


 何だこの会話? 何故ここにミニ四駆が出てくる?

 洋人は低次元すぎる会話に頭痛を覚えた。会話のレベルはアラサーのものとは思えないし、真っ当な社会人のものでもない。

 これが、前代未聞の障害に見舞われたテクサポの姿なのだろうか?

 幹線ケーブルが切れた時ですら淡々と仕事をしていたはずなのに……。

 他社要因であることが確定したからと言って彼らが手を抜いている様子はない。むしろ、悲劇的なW貰い事故で保守にも変なスイッチが入ってしまったかのようだった。

 きっとそうだ……そうに決まっている。

 洋人は雑念を追いやるように重たい頭を振った。


「中村さん、ツール出来てないらしいんで、こっちで完成させていいですか? 春日に任せてたら時間がかかります」


 電話を終えた誠は社用携帯を自分の机の上に転がして、上司である中村の方を見た。中村はヒョロっとした猫背の男で、グループ長代理の肩書きを待っている。現グループ長である桝と共にテクサポの切り盛りをしているが、気分屋なところがあり、そこにぶち当たると少々厄介だった。中村に話をする時、洋人は必ずタイミングを見計らうようにしていたが、どうやら今はその時ではない。

 確認したい内容はホームページにアップする障害速報の件だ。中村に相談するのが一番だが、必ずしも中村でないといけない案件でもないので、洋人はテクサポの遣り取りが終わるまで待つことにした。


「どれぐらいかかる?」

 

「二、三時間ってとこですかね……障害対応しながらだったらもっとかかりますけど……」


 中野はうーんと唸って今現在の時刻を確認すると、皆に指示を出し始めた。


「おーい。アカウントロック解除する班と通常対応する班に分かれるぞ。日勤は障害対応、遅番はアカウントロックの解除。星野は先に休憩行って、午後からツール作成」


 一旦手を止めた社員も中村の指示を得て再びパソコンに向かう。


「何か用?」


 誠はそこでようやく洋人に声をかけてきたが、一瞥しただけですぐに視線をパソコンに戻してしまった。この忙しさに加えて、後輩に対する怒りが尾を引いているのか、洋人のことなど煩わしい小虫が来た程度にしか感じてない様子だ。

 低次元な会話を繰り広げながらも、親密感が漂っていた先程とは対照的な誠の態度に洋人の心がズキンと傷んだ。

 業務が違う役割が違うと分かっていても、洋人は自分が入って行けない領域で繰り広げられた保守の会話に疎外感を覚え、普段は気にもならない誠の雑な対応に傷ついてしまう。

 ここには、コールグループにはないチームワークが存在している。傍目から見ればパワハラなのに、受電チームにしろネットワークセンターの後輩にしろ、誠の真意はしっかり伝わっているのだ。

 いつも人の顔色を伺って、始終気配りしている洋人からしてみると、誠は職場を遊び場にしてしまった天衣無縫な子供のようだった。

 誠がその知識と技術を持って皆に与えているのは『信頼感』であり『安心感』だ。こんな状況だからこそ誠の存在は一層輝き、皆に希望を与える。その事実が洋人には、嬉しくもあり、歯がゆくもあり——寂しくもあった。

 ズブズブと泥沼にはまっていくような感覚に、洋人はそれ以上思考が落ち込まないよう一旦自分の元から切り捨てた。

 一つ、ため息を吐く。

 やっぱり、今日は何かがおかしい。

 終わりのない電話対応と謝罪の連続に洋人の疲れはピークに達し、先程から気のせいではないぐらい頭痛がしている。それだけではなくゾクゾクと背中に悪寒を感じ、肌に触れるシャツの感触にさえも鳥肌が立つほどだった。

 そんな体調の変化がメンタルにも影響を及ぼしているのか、普段は気にも留まらない小さな摩擦で洋人の心はどんどん毛羽立っていった。

 本当ならもっと上手く立ち回れるはずなのだ。優先すべきは自分の心ではなく、障害の復旧だ。誠はそれに尽力しているというのに、自分は埒も開かないことばかり考えて、一体何をやっているのか……洋人はぐっと拳を握り締めて自分を叱咤し、平常心を取り戻そうとした。


「すみません。障害速報の相談なんですけど……」


 誠は一瞬洋人の方を見て小さく頷いた。そのまま話せ、という意味だ。


「的野さんが、どこまで掲載するか悩んでいるみたいで……テクサポの状況聞いて来いって……」


「原因はノーティスだろ? 詳細が必要?」


「基本の対応としてはノーティスに誘導しますが、アカウントロックはウチの会社で発生しているものなので……」


 洋人は誠の机に散乱する顧客情報に視線を落とした。


「……結局、どれぐらい影響が出ているんですか?」


「約二千。復旧目途は未定」


 衝撃的なその数字に眩暈を起こしそうになる。今までこれほど広範囲に渡って影響が出た障害を洋人は耳にしたことがない。

 シフトを変更し、社員総動員でテクサポが解除できたロックは何件ぐらいだろう? とてもではないが日々の業務をこなしながら対応できる件数ではない。


「全エリア分だからな。……しかも、そこからまた増えたし」


「増えた? 何故ですか?」


 背筋が凍るようなことをサラッと口にしながら、誠はその手を休めることはない。


「ルーターがあるのに、アカウントロックが出たの何でだろうって話してただろう?」


「……僕が最初に受けた光電話のお客様のことですか?」


 開通した年によって様々だが最近の光電話のターミナルアダプタにはルーター機能が標準搭載されている。誠が不思議がるのももっともだが、それこそ顧客の操作ミスや設定ミスではないのかと洋人は思っていた。


「ルーター接続の顧客は今回のバグの影響を受けないはずなんだ……ずっとセッション張ってるから」


「じゃ、どうして朝の二件は……?」


「二件ともセッションが切れてたんだよ。TAの電源切ったか……LANを抜いたのかは知らないけど……。セキュリティの更新がかかった状態で再接続に行った時にノーティスが干渉した」


 説明されるうちに、洋人にも誠の苛立ちの原因が見えてきた。

 ルーターありの顧客でも、接続が切れてしまえば今回と同じことが起きる。そして、今朝アカウントロックと同時発生した……。


「……西区の断線……」


 小さな呟きを耳にした誠が苦笑する。


「お前、勘イイね。保守になればよかったのに。……ルート変更は問題なく終わったけど、あっちでまたアカウントロックが出たらしい」


「…………」


「ノーティスは何か言ってた?」


 絶句する洋人に尋ねながら、誠は試験結果を紙に書き込んで席を立った。


「配信を止めて今、プログラムを修復しているって……」


「改修が終わるまでにセッション切ったらまた人数が増える。こっちに電話がかかってきらら、セキュリティの更新控えるか、ロック解除後にルーターのセッション切らないように周知しないと……」


 やれやれとため息を吐いて誠は受電チームに引継ぎ、そのまま洋人と一緒に通路を歩きながら保守の状況を説明をしてくれた。


「西区の分は、今ネットワークセンターが対応してる。で、俺は午後からアカウントロックの解除ツールを完成させる」


「そんなものあるんですか?」


 驚く洋人に、誠はなぜかげっそりとした表情で「うん」と頷いた。


「去年ちょろっと着手はしていたんだよ。そしたら、センターの後輩も同じこと考えてたみたいで自分がやるっつーから任せてたら、まさかの放置」


 そして、十メートルほど歩いて出入口への分岐点に差し掛かると、足を止め誠はまじまじと洋人の顔を見た。

 

「……お前、大丈夫?」


 何の前触れもなく、いきなりそんなことを聞かれ、洋人は目を丸くして隣を見上げた。

 そこで、ようやくまともに誠の顔を見ることが出来た気がした。

 今の今まで気づかなかったが、切れ長の黒い瞳には心配そうな色が浮かんでいる。しかし、それと同時にこれ以上踏み込んでいいものかと考えあぐねているような、洋人に対する戸惑いと遠慮が見え隠れてしていた。


「何がですか?」


「疲れた顔してる」


 あ、久しぶりだ、この感覚。

 そう思っただけで、洋人は心の中に小さな光が灯る。

 そして、ついさっきまで、誠や周りの人間に嫉妬していた自分が恥ずかしくなった。誠のことを子供だと笑っていられない。


「あー……すみません」


 朝の時点で、自覚していたことではある。それに加えてこんな障害に見舞われてしまったのだから疲れないわけがないのだが、誠にもバレるほど顔に出ていたのか、と洋人は反省した。


「謝ることじゃないけどさ……」


「ここのとこ休みの日もバタバタしてたので……でも、大丈夫です」


 心配する誠に、洋人は笑顔を見せた。体調不良はどうやら気のせいではなさそうだが、どう頑張っても人手が足りないこんな状況で自分が戦線離脱するわけにはいかない。

 誠はまだ何か言いたそうにしていたが、洋人の顔をもう一度見て、最後は納得したように一度だけ頷いた。


「だったらいいけど……あんま無理すんなよ」


 そう残して出口へと方向を変える瞬間、誠の手が洋人の背中にそっと触れた。

 洋人はその温もりに気力を満たし、片手を上げて誠に別れを告げコールグループへと踵を返した。

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