25話 神はかく語りき 2

 原因は交通事故だった。

 国道を走っていたトラックがハンドル操作を誤り電柱を折損。電力線も光ケーブルも断線し、現在は事故処理に駆けつけた警察によって実況見分が行われている。

 ネットワークセンターは即座に情報を展開し、誠が第一報を受けてから数分も経たないうちに公式ホームページには障害速報がアップされた。

 同時に社内にも全社メールで障害速報が一斉送信される。洋人の社用携帯にも、発生した時間、影響下にあるエリア、復旧の進捗状況などが通知された。

 光ケーブルは局舎からの信号を分岐しながらユーザーの元へと届く。上位回線に障害が起こればそれだけ影響を受けるユーザーの数も増えるのだが、今回のように電線の切断を伴う障害は電力の復旧が優先されるため回線の対応は後回しになってしまう。とは言え、今やライフラインと化した光回線を何日も停止するわけにはいかない。そこで、通信会社は回線経路を切り替えることで仮復旧を行う。

 この手の障害は慣れたもので、保守は皆、淡々と自分に与えられた仕事を進めていた。先月の台風災害の時もそうだが、大きな障害が起こっても過度に騒ぎ立てることもなく粛々と復旧に努めるのは彼らならではの姿だろう。

 しかし、コールセンターには未解決のまま残されたもう一つの問題が横たわっていた。


「本当に、昨日の作業の影響じゃないんですか?」


「夜間作業で何かあれば、ネットワークセンターで気付かないはずがないし、朝になる前にもっと影響が出てる」


 未だ解決の糸口すら見えない、アカウントロック問題。誠の連絡で既にネットワークセンターにもこの情報は回っているが、如何せん、ネットワークセンターの社員たちは幹線ケーブルの復旧に手一杯でそれどころではない。

 コールグループへの情報共有が遅れたのも、ネット不通の原因がアカウントロックだとテクサポ側で特定できていたからだ。しかし、その後の問い合わせの件数が尋常ではなかった。テクサポはネットワークセンターとのやり取りを続けたが、これと言った原因が特定できないまま受電がパンパンに膨れ上がり社員もろともその対応に追われる状況に陥った。

 修羅場と化したコールセンター内で、もはや『ユーザー側の問題』を口にする者は誰一人としていない。そして、社内で何か変わった事があったかと言われれば、昨夜ネットワークセンターが作業を実施している。洋人のみならず誰もが疑いの目を向ける『夜間作業』であるが、渦中の職場に長年勤務し『神』とまで呼ばれた男はその可能性を否定した。

 俺たち保守を疑うな、と不機嫌な目で睨まれて洋人はこっそり首を竦めた。


「第一報が九時過ぎで、そこからなんだよ。電話が増えだしたの」


 アカウントロックはパスワードを間違って入力した場合などに起こる一時的な接続制限で、原因の大半はユーザー側の設定や操作のミスによるものだ。

 光回線がダウンしているわけではないので終端装置のランプも正常、インターネット以外は問題なく利用できるという、まさに高見や洋人が顧客対応を受けた内容そのままの現象であった。

 幹線ケーブル切断と同時並行で発生している謎の障害に、テクサポだけでなくコールグループの社員も手を焼いていた。テクニカルのフリーダイヤルから溢れたユーザーが一般問い合わせの方にも電話をかけてくるのでコール側の受電チームもひっ迫している——だけでなく、店舗からの対応依頼や問い合わせがコールグループの固定電話に引っ切り無しにかかってきて、社員たちはひたすら受付と謝罪を繰り返しているのだ。

 アカウントロック自体はよくある話で、解除を行えばすぐに解決する軽微なトラブルだ。しかし、これだけ問い合わせが増えると、対応に苦慮することになる。幹線のダウンがヒグマや象の一撃なら、アカウントロックは蟻の大群に襲われているようなものだ。そして、コールグループが受けているお叱りは、ネットが使えないことよりも「フリーダイヤルが繋がらない」だとか「回答が遅すぎる」とかそういった類のもので、もはやアカウントロック云々だけの問題ではなくなりつつあった。

 洋人も、もう何件目になるか分からない顧客情報を携えてテクサポのブースを訪れていた。アカウントロックにしろ、リンクダウンにしろ、フリーダイヤルに電話が繋がらないというクレームに対してはただただ謝り続けることしか出来ない。


「……お前が最初に持ってきた案件って、光電話あったよな?」


「折り返しの連絡先も光電話でしたからね。どうかしたんですか?」


「ルーターの設定してるはずなのに、何でアカウントロックが出たんだろうって、ずっと気になってて……」


「設定ミスじゃないんですか?」


「開通した時には使えていたのに?」


 指摘された洋人は、誠の言葉の正しさを理解した。

 宅内に設置する光電話のモデムは何度かモデルチェンジをしている。開通した年代によって様々だが、近年では漏れなくルータ機能が搭載されたターミナルアダプタが設置されていた。モデムの設定を行うのは顧客ではなく、開通を担当する工事業者だ。疎通確認が取れなければ開通したとはみなされない。


「星野さんでも分からないことがあるんですね。何でもスイスイ解決してるイメージがありますけど……」


 裏を返せば、それだけ不可思議な現象が起きている、ということだ。

 洋人は肩を落として一つため息を吐いた。


 プライベートでは下の名前で呼び合う二人だが、公私混同を好しとしない洋人は職場では誠のことを苗字で呼んでいた。もともと、二人の間ではそれが正規のルールだったのだが付き合い始めから僅か数か月で誠がその禁を破ってしまった。

 ついうっかり……客先に出掛ける洋人を呼び止めるために誠は辺りに響く大きな声でその名を口にしてしまった——洋人——と。

 その瞬間、リンリンシステムズの女子たちは電話もそっちのけで一斉に顔を上げ、『え? いつの間に、そんなに仲良くなっていたの?』と頬を赤らめながら二人を見た。

 禁忌を侵した本人は本当に無意識だったのだろう、憮然とする洋人の顔を見ても不思議そうな顔をしただけで、随分遅れてから自分の失態に気づいたようだった。その数日前、しつこくアプローチしてくる女性に『ファーストネームを呼ぶのは付き合っている相手だけだ』と高飛車に断言していたにも関わらず……その女性がとんでもなくおしゃべりで、翌日には『星野さんって彼女のことは名前で呼ぶらしい』なんていう噂がコールセンターに蔓延していたにも関わらず、だ。

 二人が付き合っているという疑惑と噂は瞬く間に広がり、開き直った誠はバレちまったものは仕方がないと、それ以降、職場でも堂々と洋人のことを名前で呼ぶようになった。下手に慌てて呼び方を戻す方が不自然だとでも思ったのだろう。どちらにしても後の祭りだった。


「分からない事なんて、そりゃいっぱいあるよ。定食屋の日替わりランチのメニューとかさ……」


 誠が煮ても焼いても食えない軽口を叩く。

 こんな時に、ちっとも笑えない。


「真面目に仕事してください」


「朝から真面目にやってんだろ。あーあ。先飯に行ってこようかなぁ……お前、何時から休憩?」


「まだ十一時じゃないですか。星野さん。ふざけないでください」


 溜まる一方の対応依頼にどうにもできず、拗ね初めている誠を洋人はピシャリと叱る。しかし、その斜め向かいから氷点下の眼差しを向けた山﨑がせかせかと障害データを打ち込みながら二人に鋭い釘を刺した。


「ふざけるのは結構ですけど、イチャつかないでもらえますか? 荒牧さん困ってるじゃないですか」


 誠のアホな会話を咎めたはずの洋人まで連帯責任で叱られてしまう。山﨑は派遣で二人は正社員プロパーだが、どうやら職位と人間関係における力関係はイコールではないらしい。世の中は理不尽だ。

 山﨑志穂理は誠の元上司である山﨑凰介の妻だ。コールセンターでの経歴は長く、夫を介して誠と面識があったせいか、この美形を前にしても他の女性たちのように色めくことがなかった。誠のシンパで溢れ返ったコールセンター内で、星野誠の何たるかを熟知し、適切な対応ができる貴重にして希少な女性である。

 山﨑の視線を追うと、そこにはテクニカルチームのスーパーバイザー荒牧の姿があった。ジーンズにトレーナーの彼女は背が低く、リスのように愛らしい顔をしている。今日はビンテージ風の朱色のトレーナーに合わせて、チークもオレンジを乗せていた。いつにも増してボーイッシュな服装が彼女の雰囲気によく似合っている。

 荒牧は山﨑の指摘に困惑したように視線をウロウロさせ愛想笑いを浮かべていたが、ようやく話を切り出すタイミングが来た、とばかりに誠に一枚の紙を差し出した。


「この方、一昨日電源アダプター送った方なんですけど、交換してもダメだったそうで……。申し訳ないんですけど、至急でお願いできますか?」


「わかった。こっち終わったら手配する。今日中の連絡でお客さんに回答しといて」


「ありがとうございます!」


 荒牧は指示をもらうと、顔をパッと輝かせて踵を返した。

 当然と言えば当然だが、二件の大きな障害に加え日々の対応もそこに入ってくる。幹線ケーブルの切断については、該当エリアの顧客であることが確定した段階で受電チームがその旨を案内して対応を終えているが、それでも入電件数はちっとも収まることはなく、コールセンターのキャパシティーを超えそうなほど高止まりしている。


「マジでこのアカウントロックがなぁ……」


 洋人が持ってきた顧客のロック解除をしながら誠は今も尚考え続けていた。


コールこっちは、電話回線絞ろうかっていう話も出てますよ」


 誠の机の上に散乱する顧客情報は地域も開通時期もてんでバラバラで、唯一の共通点は、その紙面に残された『ACC』の文字だけだった。アカウントに問題があることを示すメモだ。

 テクサポは既に非常態勢がとられていて、遅番の社員にも召集がかかっている。通常業務も危うくなりつつあるコールグループも上長たちが次の手を相談している最中だった。


「はい、完了」


「ありがとうございます」


「……あ」


 その紙を差し出した誠が、散らばった紙に視線を落とし、何かに気付いたように声を上げた。


「……セキュリティ」


「え?」


 洋人だけでなく、電話の呼び出し音が鳴りやまない事務所にぽつんと響いたその声にテクサポのメンバーが一斉に誠を見た。


「原因セキュリティかも。これ、三人ともノーティス使ってる」


「……ノーティス?」


 ノーティスは業務提携しているセキュリティソフトの会社だ。

 会社が設置している顧客専用ページの中にはセキュリティソフトのサービスがあり、契約中のユーザーであれば端末五台まで無料でソフトをダウンロードすることができた。

 誠に言われて、洋人は机の上の紙に視線を落とした。セキュリティソフトの確認は、受電担当の匙加減によって実行されていたりいなかったり、或いは顧客自身も分からないといった状態ではあったが、回答してくれた顧客情報には漏れなくその名が記載されていた。

 誠はガバっと立ち上がり、通路を挟んで席を並べるテクニカルチームのマネージャーを呼んだ。


「富岡君、ランプ正常でネット不可の人、セキュリティソフト確認するよう伝えて!」


 連絡を受けた富岡は、即座に課員にそれを伝えた。すると、電話対応を行っていた担当者が次々にノーティスユーザーである旨を報告してきた。

 誠が洋人を振り返る。


「コールから、ノーティスの営業担当に確認とれる?」


「はい! 分かりました。あ……えーっと、これ……」


 洋人が持っていた紙を誰に託そうかと迷っていると、誠がさっとそれを取り上げた。


「どこに折り返せばいい?」


「お客様携帯です!」


「あ! それから、洋人!」


 バタバタと来た道を引き返しながら、名前を呼ばれた洋人が振り返った。


「ネットワークセンターにはこっちから連絡するから、結果分かったらすぐに教えて!」


「承知しました!」


 コールグループの自席に戻った洋人は、袖机から名刺ホルダーを取り出した。

 洋人が電話を掛けると、担当者は取り込み中で繋がらなかったが、取次ぎに出た女性が申し訳なさそうに、朝公開した更新プログラムに重大なバグが見つかったと伝えてきた。海外に本社があるノーティスが、このバグによって受ける影響は洋人たちの会社の比ではない。社内で緊急対応が行われており、営業担当も朝からずっとそれにかかっていてるという話だった。

 誠の予測は的中した。

 洋人がセキュリティ会社のホームページにアクセスすると、三十分ほど前に今回のトラブルを知らせるお詫び文が掲載されていた。

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