22話 rendezvous 9

 クレーム対応後できつくないか、とか家に帰ってゆっくりしたいんじゃないか、とかいろいろと気になる点はあったものの「でもご飯は誠さんが準備してくれるんですよね?」と洋人は気にした様子もなく「ビールは重いので僕が買って行きます」と、あれよあれよという間に予定が決まってしまった。

 車を降りて別れた後、誠はスーパーに立ち寄り、たこ焼きの材料とホットケーキミックスを購入した。本当は手抜きをして、たこ焼きの具もサラダもまとめてカット済みの千切りキャベツで済ませようと考えていたのだが、洋人が来ることになったので丸のままのキャベツを買い、サラダにはボリュームを増すためのチキンも追加した。仕事は散々渋っていたくせにこういうところは存外に真面目な神様である。

 たこ焼きもサラダも材料を刻むだけなので手間はない。三十分もかからないうちに中華スープの下ごしらえまで終えた誠は、いつもなら気にも留めないであろう放置された洗濯物を畳み、今日は暑いからシャワーでOKと心に決めながらも、ついつい気になって浴槽まで洗い、自分の部屋に戻った後は押入れの中から予備のタオルケットを引っ張り出してきた。

 客をもてなすという義務感だけで心と身体のパフォーマンスが上昇している。その対象者が洋人であれば尚のこと、誠に労力を惜しむ理由はなかった。


「ではでは、かんぱーい」


「……何でお前が仕切るんだよ?」


 そんなこんなで開催された第二回たこ焼きパーティー。

 夕飯にたこ焼きというチョイスに文句を言われやしないかと誠は少し心配していたが、帰宅したみのるは意外にも乗り気で、最初は子供のようにはしゃいでいた。誠の手伝いを率先して行い、意気揚々と畳まれた洗濯物を片付けたまでは良かったが、兄の布団の上にもう一枚の寝具が準備されていることを知った途端、ブリザードが吹き荒れる極寒の地に放り出されたかの如く態度を硬化させた。

 洋人とみのるは出会った頃から仲が悪い。

 実が一方的に洋人を嫌った結果だが、これは洋人に限ったことではなく、誠の恋人という肩書きを待つ人間に必ず訪れる星野家の洗礼だった。

 どんなに優れた人格の持ち主であろうと……それが例えナイチンゲールやマザーテレサのような偉人であろうと真性ブラコンの実は兄を取られまいと、ありとあらゆる手段を使って敵の排除を試みる。これまでに誠の恋人を名乗る人間が男女を問わずこの家を訪れたが、実と上手く付き合えた者は誰一人として存在しなかった。

 過去の恋人たちがあの手この手で距離を縮めようとしたのと同様に、洋人も最初は実の機嫌を取ろうと励んでいた。しかし、何度か対応してそれが無駄だと悟るや否や、つまらぬ社交辞令もお得意の猫被りもさっさと撤廃して洋人は方針転換した。

 『鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス』と鷹揚に構える武将もいた戦国時代とは違い、現代を生きる洋人は『鳴かずとも支障はないよホトトギス』というスタンスだったし、昔から実のブラコンぶりに手を焼いていた誠に至っては『ウザいからあっちで鳴けよホトトギス』の心境だった。なんとも世知辛い世の中である。

 日本野鳥の会から抗議の電話がきそうなぐらいホトトギスにはシビアな対応であったが、彼らは『神』『悪魔』と呼ばれる、尋常ならざる二人なので仕方がない。

 無視をするのとも違う。相手の意見は尊重するが、方向性が違い過ぎるし受け入れることも出来ないので『気にしない』という洋人の戦法は見事に嵌った。

 午後七時前に現れた洋人にバチバチ対抗心を燃やしながら、実は誠の隣の席を占領した。前回、目の前で二人のキスシーンを見せられてしまったことを未だに根に持っているのか、みのるは洋人に先んじてタコ焼きを焼く兄にサラダを取り分け、飲み物を注ぎ、甲斐甲斐しく世話を焼いている。


「はい。誠、サラダ」


 みのるは中肉中背、平々凡々な容姿の十九歳の男だ。一重の小さな目に、薄い唇、そして細長い顎のラインは誠がこの世で最も嫌うあの男によく似ている。母譲りの特徴と言えば、洋人よりも低い背丈と手足の爪の形ぐらいで、歳が離れていることもあって、誠と並んで立っても初見で兄弟と認識されることはなかった。

 互いに父親の外見的な特徴を色濃く残しながら、半分は血が繋がっている。その事実が、誠が抱える問題をより一層複雑にしていた。お前のことなど知ったことかと捨ててしまえたらどんなに楽だっただろう、と思う。でも、誠にはそれができなかった。


「実君、僕の分もお願いします」


「お前は自分でやれ」


 小皿を差し出した洋人をキッと睨んで、実はつっけんどんにサラダが盛られた大皿に菜箸を放った。


「はいはい。ドレッシングそっちにありますか?」


 アレルギー反応のような対応も洋人は全く気にしない。その飄々とした態度が実の苛立ちを増幅させているのだが、どんなに敵意を向けられようと馬耳東風の洋人が相手では勝負にならない。誠の目にも客観的にも、みのるは完全に負けている。一人で空回りする姿はまさに負け犬の遠吠えだ。


「洋人、それもうすぐなくなるだろ? 流しの下にストックあるから」


「分かりました」


「おい! 人んちの棚勝手に開けるな!」


 当たり前のように席を立ち、流しの扉を開ける洋人に実が抗議の声を上げたが、誠は牙を剥く弟の取り皿に焼き立てのたこ焼きをポイポイと落とした。


「いいから、お前は黙って食え。でもってさっさと風呂に入って九時には寝ろ。ソースと鰹節そっちにあるだろ」


「小学生じゃあるまいしそんな時間に寝るわけねーだろ! お前らここで変なことしたら許さないからな!」


 みのるは二人を交互に見ながらけん制しつつ、ダイニングから続く誠の部屋の扉を指さした。


「誠の部屋に二人で籠るの禁止! そっちの部屋に行く時は、絶対に扉を閉めるな! 開けたままにしとけ! 分かったか!?」


「何だよそれ。昭和のお母さんか?」


 実の忠告に誠は失笑し、空になった穴に新たな生地を流し入れる。封を切ったドレッシングを携えた洋人が自分の席に着いた。


「あっくんとめぐみちゃんもそうすればよかったんですよ」


 その言葉に、誠は思わず「はは」と声を漏らして笑ってしまった。


「あっくん? めぐみちゃん?」

 

 一人話についていけない実が眉を顰める。


「誰?」


「実君もドレッシングかけます?」


「ドレッシングじゃねーだろ! あっくんとめぐみちゃんって何なんだよ!?」


「洋人、お前の皿どれ? マヨネーズもかけていい?」


「ああ、はい。ありがとうございます」


「おい、そこ無視すんな! 俺の話を聞けーーーっ!」


 誠の気持ちがどうであろうと、騒がしい夜は更けていく。

 ジュウジュウと音をたてるホットプレートと、ツンとしたソースの匂い。喧しい弟と海千山千の恋人がコントのような喧嘩を繰り広げる古びたアパートはいつにも増して温かい。誠の心の僅かな光が差し込む気がした。

 可でも不可でもない。今はそれで良いのだと思えた。

 ただマイナスがゼロに戻って明日も頑張ろうと思える日が続く。そんな地味なサイクルを繰り返すだけの日々も一つの幸せの形なのだ。キャンキャン吠える二人の遣り取りを眺めながら誠は思った。



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