【NWC】8月 rendezvous 8

 恥ずかし過ぎる要求にこちらの方が赤面し、それでも洋人が言うのであればと、求められるまま頭を撫でた誠だが。


「何か違う……」


 まさかのダメ出しを喰らってしまった。


「やっぱりこういうのって、リクエストしてやってもらうことじゃないみたいですね」


「いや。そういうのは先に気付こうよ」


 子供のような我儘を言った洋人もそりゃ恥ずかしいだろうが、それを叶えた誠だってだいぶ恥ずかしい。真っ赤な顔で相打ちになって二人で撃沈しているこの状況は一体誰得なのか。いっそセックスしましょう、とダイレクトに誘われる方が照れはするが、まだ恥ずかしくない。

 洋人は乱れた髪を整えながらチラと誠を見る。


「……誠さん、もう上がりですよね」


「うん。帰り駅まで行っていい? 遠回りになるけど」


「構いませんよ。会社にも報告入れておきますね」


 言っている側から洋人はスマートフォンを取り出し、会社の番号をタップした。


「お疲れさまです。満島です。グループ長か的野さんいますか?」


「山﨑さんにPLC貸し出したことと、返信用封筒送るように伝言しといて」


 電話を耳に当てながら頷いて報告を始めた後輩を横目に、誠は残りのカフェオレを飲み干した。

 外は相変わらず蝉の声が響いている。クレーマーの家の周辺は緑も多く、それこそ蝉が好みそうな環境なのに、不思議とそこまで気にならなかった。家の遮音性が高かったのか、はたまたあちらの蝉は住人に似て品が良いのか。

 木の影も見えないこの街中で一体どこに身を隠しているのか、ワンワンと反響する鳴き声が煩わしくて本当に嫌になる。

 午後四時を回ろうかというこの時間でも、夏の日差しは弱まることなくひび割れたアスファルトを焼いていた。車窓の景色は外の熱気でぐにゃりと歪み、それだけでドリンクホルダーに置いたカップの氷が溶けてしまいそうだ。

 誠は手持無沙汰に国道を走る車のナンバープレートを目で追いながら、洋人の電話が終わるまでひたすら四則演算を繰り返していた。おもちゃを買い与えられなかった幼少期からやっている遊びだ。

 ナンバープレートには登録を受けた地域、分類番号、ひらがな、そしてプレートの色分けがあり、それがどのような車両で、何の用途で使用されるものなのかが判別できるようになっている。その分類や種別によって、その時々でルールを決めてナンバープレートに表示されている数字を計算していくのだ。

 誠は昔から数字とは相性が良く、数学の授業で苦労したことがなかった。美術品と同じように、無駄のない数式の美しさはどれだけ見ても飽きるものではない。

 コンピューターと親和性が高かったのも、そんな脳みその性質からなのだろう。高専の担任は大学に行くように強く進めてきたが、誠は一刻も早く働きたかったので経済的な理由でそれを断り今の会社に就職した。


「これから何するんですか?」


 電話を終えた洋人の問いかけに誠は計算をストップした。


「帰りにスーパー寄って…………。あー……今日の夕飯何作ろう……」


 メニューを考えるのも面倒だ。総菜を買って適当に済ませる方法もあるが、今日は食卓に並ぶ総菜を見るのもあまり良くない気がする。それを思い浮かべただけで仄暗い景色が胸を掠めて気分が更に降下した。

 誠は父親の顔を知らない。皆が称賛するこの顔には母親の要素も僅かに入っているが、姿かたちや頭の構造の大半は父親の性質を受け継いでいるようだった。しかし誠は父親に会ったことはないし、そもそも誠が生まれた時、母が相手を特定できていたのかも怪しい。誠の母とはそういう女だった。救いようの無い放蕩の結果、母はみのるの父親と付き合い始め、そこから星野家の歯車はどんどん狂っていった。


「またタコパすればいいじゃないですか」


 あとは適当にサラダでも準備すればいいし、と洋人は他人事のように助手席で笑っている。落ちてしまったこの状態からどうやって抜け出そう? そんな事を考えていた誠は、パリピな提案をしてくる洋人の笑顔に呑気だなぁ、と苦笑した。


「夕飯がたこ焼きっていうのは……」


「でも、楽しくなかったですか? 前にやった時」


「まぁね」


「スイーツ系はやっぱりホットケーキミックス準備しないとダメですよね。チョコと……バナナ入れても美味しいんじゃないかなって個人的は思うんですけど」


 二月のバレンタインの日のことを言っているのだろう。

 洋人といちゃついている現場に遭遇した実が拗ねて飛び出して行ったので、あの日は二人でたこ焼きを突くことになった。スイーツ系も作ろうと、持ち帰ったチョコを入れたたこ焼きも作ったのだが、生地が出汁粉の入ったたこ焼き用のものだったので、どこもかしこも微妙でなんだか訳の分からない物体が出来上がった。天かすを入れたら美味くなるんじゃないかという誠の無謀な提案でそちらも試してみたが、より一層不味くなって二人で罰ゲームだとボヤキながら完食した。

 結局、その日実は帰って来ず、これ幸いと洋人と誠は世間のカップルさながらに甘い一夜を過ごすことができたのだ。

 確かに楽しかったよなぁ……と誠はぼんやりとバレンタインのことを思い出した。

 メニューを決めかねている誠の隣で、洋人はまだ楽しそうにたこ焼きの中身を吟味している。


「リベンジしましょうよ」


「ん?」


 そして誠は、そこでようやく洋人がたこ焼きを推している理由に気付いた。


「……お前も来るの?」


「行ったらダメなんですか?」


 質問に質問で返答した洋人は「まさか断るつもりなのか」と眉を寄せている。

 もちろん、誠に否はなかった。


「いやいや。そんなことないけど、お前も明日仕事じゃん?」


「ですね。だから車で一緒に行きましょう。誠さん、確か明日通常勤務でしたよね?」


 事もなげに洋人はそう言って、シートベルトを閉めたのである。





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