【NWC】8月 rendezvous 6
目下、夫婦&親子で三つ巴の戦いを繰り広げるクレーマーをリビングに残して、誠と洋人は分電盤がある廊下へ移動した。
玄関を入って右手奧、ホームエレベーターがある廊下の一角に物置があり、分電盤はその中に設置されていた。掃除道具が収納された棚の上部が分電盤のスペースとして利用されており蓋などはついていない。誠は手持ちのスマートフォンを翳しながら個々のブレーカーに貼られたシールを確認する。三階建ての大豪邸ということもあって一般家庭よりも随分数が多かった。
「分電盤なんか見てどうするんですか?」
「満島君はご存知ないかもしれませんが、我が社にはその昔PLCの貸し出しサービスってのがあったんですよ」
「PLC?」
「電力線搬送通信って聞いたことない? 宅内の電力線をLAN代わりにすんの」
「ちょっと待ってください。そんなサービス……」
あるのだとしたら、自分が覚えていないわけがない。焦り始めた後輩に「まぁ、落ち着け」と誠が宥める。
会社のサービス全般ということであれば、営業部の洋人の方が圧倒的に知識を持っている。それは間違いないのだ。
新サービス導入時に開かれる保守向けの説明会は、技術的な内容に特化したもので、ユーザーが気にするであろう料金や規約などの細かい部分は割愛されることもしばしばだ。どんなサービスがあり、どのプランを選択すればお得かなんて話は二の次で、保守や、技術系社員は仕様を理解し、物理的な問題を解決するのみである。だからこそ、コールセンターにはサービス全般を担うコールグループと技術的問題を解決するテクニカルサポートグループが常駐している。
PLCの説明会は誠がネットワークセンターで働いている時に開かれたが、話の中核は分電盤を確認して異相にならないように気を付けろというものだった。『設定は説明書読めば分かるから各自確認するように』『PLCはとにかく設置前に分電盤を見て、L1、L2を確認すること。異相での使用はNG、ここ重要! じゃ、今から分電盤の確認方法説明するから、資料見て』とまぁ、こんな具合だ。
LAN配線不要という画期的な商品ながら使い勝手の悪さに「これ、売れねーだろ」と皆が顔を見合わせていた。
「二年くらいで廃止されたんだよ」
「え?」
「配線によっては速度ガタ落ちだし、電化製品のノイズの影響受けるし。だったら無線ルーターで良くない? って……」
そんなこんなでお蔵入りしたPLCだが、それこそ親元の電力会社では、自動検針装置で活躍しているし、鉄筋コンクリートの建物に居住する一部のユーザーからは重宝されていたりする——そう、まさにこの家のように。
テクサポであーでもない、こーでもないと誠が駄々を捏ねていたのが余程ウザかったのだろう。『試験機一式』と山﨑が揃えてくれた紙袋の中には、PLCアダプタも放り込まれていた。この家の構造を加味して入れたというよりは、何でもかんでも入れておけばどうにかなるでしょ、という彼女の豪快な性格が反映されているように思う。
内容物を誠が吟味する前に洋人に横取りされてしまったのも、今にして思えば僥倖だったのかもしれない。
誠はスマートフォンのライトを消した。
「使えるんですか?」
「一応」
とりあえず異相問題はクリアしている。ただ、リビングと主人の部屋は建物の対角線上に位置するため、実際に取り付けてみてどうかという話だ。距離が長く、分岐が増えればPLCはそれだけ干渉を受けてしまう。まだまだ懸案事項は残っているが、誠の隣には希望を見出したように瞳を輝かせている洋人がいた。
洋人は職場でもごく稀にこんな風に無垢な表情を見せることがある。
誠はそれを見る度にドキッとして、彼を独り占めしている尊い現実を噛みしめる。
気分が落ちてしまった今日のような日は、殊更洋人の体温だとか匂いだとかが恋しくなって、所構わず押し倒したくなったりもするのだが、さすがに今ここでそんな我儘を言ったら張っ倒されてしまうだろう。
でも、今日は一緒に居てほしい。
誠は上手く言葉にできない気持ちの代わりに、無表情のまま素早く洋人の唇を奪った。
「ちょ……何するんですか?」
「別に。何となく」
ただの精神安定剤だ。洋人はいつもフラットで誠の過去を知っても安易に同情することも、過剰な憐憫や憐みを抱くこともなかった。その距離感が誠には心地よい。その体を抱きしめて、頭も体も溶けるぐらいエロいことをして洋人の温もりに包まれたまま安心して眠りたい。
ただそれだけ。
でも、明日は二人とも朝から仕事があるし、今日は何の約束もしてないし、誠の家には弟がいるので無理なことは解っている。
……ただ、それだけ。
「繋げたとしても快適かどうかは保証できないよ。だめだったら構成変えるけど……」
真っ赤になって口元を抑えている洋人に、誠は淡々と返す。
「十分ですよ。そこまでやって無理ならパソコンを下ろすように説得するだけですから」
とにかく繋がりさえすれば何とかする、とそれを受けた洋人は自信たっぷりに頷いた。公私ともに頼りになる男である。廊下に出した掃除機を元の位置に戻し、誠が物置のドアを閉めたら、ふっと洋人が口を開いた。
「あのご主人、単身赴任明けなのかも知れませんね……」
「何で?」
意味が分からず誠が尋ねると、洋人は「ただの勘なんですけど」と答える。
「……話した感じとか全体的な雰囲気で……何となくそんな気がしただけです」
誠には全く分からない感覚だった。
キャッチできる電波の指向性が違うとしか言いようがない。誠が建物構造だの間取りを見て『これじゃ三階まで無線は飛ばねぇな』なんてことを考えていた時に、洋人は洋人で『この人ひょっとして単身赴任だったのかな』なんてことを考えていたわけだ。
「ネックは奧さんですよね……」
「どうする? 今から、一階と三階に分かれてPLCの確認するから、お前にも手伝ってもらわないといけないけど……」
「では、僕が一階で奧さんを引き受けますね。ご主人と一緒にしとくとまた揉めそうですし」
「大丈夫? あの奥さん、この家の宅内構成よりも複雑そうだけど」
「まぁ……そこは何とか」
いかにも保守らしい誠の発言に、洋人はクスっと笑った。
「誠さん、ウチの会社の社是、覚えてます?」
そして、 得意そうな顔でチラと誠を見上げる。
「えーえー、もちろんですよ」
何てったって、誠は洋人より社歴が長い。これまで幾度となく唱和して、日々テレビCMでも流れている言葉だ。
——人と人を繋ぐ会社になろう——
*****
洋人と簡単な打ち合わせを済ませて、誠は主人と共に三階にある書斎へと向かった。玄関脇のホームエレベーターで上がれば、主人の書斎はすぐそこだ。そんな利点もあって寝室や、書斎が階段から一番遠い建物の東側に配置されているのだろう。
電波の確認をした時は、三階まで届いてないことは明白だったため、誠はこの時やっと部屋に足を踏み入れたわけだが、
「え……?」
部屋の光景を目にして思わず声を上げていた。
書斎には大きな机と座り心地の良さそうな革張りの回転椅子があった。どっしりとした机の上には問題のデスクトップ型のパソコンが鎮座していた……が、しかし、誠の目は本丸であるパソコンよりも部屋の隅に積まれた二つの段ボール箱に釘付けになっていた。
書類①、書類②と書かれた段ボール箱には引っ越し会社のロゴが入っている。
「あのー……ここでインターネットを使うのは……?」
「ああ、私はずっと単身赴任をしててね、先月帰ってきたんだよ」
主人は自嘲したような笑みを浮かべながら、誠に言った。
「……七年ぶりかな。この家でインターネットを使うのは初めてなんだ」
何故? どこで分かった? あいつひょっとしてエスパーじゃないのか……。
誠は洋人の観察眼に驚きつつも、言葉に詰まり、主人とどうにかして話を繋ごうと頭を巡らせようとしたが、当然ながらスムーズで自然な会話ができるわけがなかった。
「えーっと……」
何て言うか……。
「バリューバリューのお惣菜、いつもお世話になっています」
それ以外にネタが浮かばず、バカかお前は? というぐらい間抜けな発言になってしまったが、それが返って主人の心に響いたのか、PLCの確認を進める誠の隣で主人はポツポツと自身のことをしゃべり始めた。
要約すると、妻の家系は皆優秀な高給取りばかりで、婿入り状態の自分も彼らに負けじと家業であったスーパーを大きくしたが、鼻で笑われ誰にも相手にされていない。そもそもこの家も妻が相続したものであり自分にはなにも権限がない。という入電時の勢いからは想像もできない侘しい内容だった。
「彼女自身も生粋のお嬢様で、社会に出たことがないんだよ」
主人はため息交じりに愚痴をこぼしていたが、夫がいない中で三人の子供の面倒を見ていたのだとしたら妻は妻で大変だっただろう、と誠は思った。彼氏を連れ込んだ末の娘が今大学生らしいので、そうなるとマダム一人で長男次男の受験なり就職なりを支えた可能性が高い。だが、その一方で、一介の地元スーパーを県外出店できるほどに育て上げた主人の方も並みの努力ではなかっただろうし、親族に馬鹿にされるような話ではないと思った。
「あの……。俺、年の離れた弟を育てていて……結構大変なんですよ。学校行事とか三者面談とか……。それこそ、就職した時は、弟がまだ小学生だったんで夜勤明けに旗振り当番やったりして……」
誠が弟を育てていたという事実に驚愕しつつも主人の顔には『なんだ、お前も妻と同じなのか』というあからさまな失望の色が浮かんだ。しかし、誠はそれに気付かないフリをして会話を続けた。
「なので、家の近所にバリューバリューがあって本当に良かったなって。あいつら寝る前になって突然『明日授業でストローがいる』とかぶっ飛んだこと言い出したりするし、急な残業で飯作れない時何度も助けられたし……俺だけじゃなくて、そういうママさんいっぱいいますよ」
主人は気持ち涙ぐんで、何ともいえない表情で誠を見た。
別に媚びを売ったわけでも忖度したわけでもなく、誠は事実を告げただけだった。妻の実家が金持ちだろうと、親族が揃いも揃って高給取りだろうと、目の前の男の功績が曇るわけではない。それに何と言ってもバリューバリューがなくなってしまったら誠は確実に困る。
「これでどうですか?」
最初に取り付けた場所では思ったほどの速度が出ず、一階のコンセントの位置を変更して再度確認してもらうと、ようやく主人からOKが出た。一応、PLCの特性上、通信の安定性は保証できないことを説明し、対応を終えた誠が主人と共に一階へ降りてみると、すっかり打ち解けた洋人とマダムが和気あいあい、紅茶を啜りながら談笑していた。
「本当に満島さんってしっかりしてるのね……。ウチの子にも爪の垢を煎じて飲ませてやりたいぐらいだわ」
「いえいえ僕なんて……息子さんの足元にも及ばないですよ」
「でもね、息子は思いやりが全然ないの。小包送っても返事もくれないし……」
「照れているだけじゃないですか? どうしても男は恥ずかしいって気持ちが出てしまうので……奥様がこれだけ頑張っているんですから、お子さんにもちゃんと伝わっているはずですよ」
——何これ? ——
余りの豹変ぶりに誠は絶句したまま立ちすくんでしまった。
ギスギス感も、殺伐とした空気もここには一切ない。狐につままれたような気分で誠が隣の主人を盗み見ると、主人も全く同じ顔で洋人とマダムの姿を眺めていた。
単身赴任問題に続き、マダムが洋人に懐柔されている。
一体奴はどんな魔法を使ったのか……。
謎が謎を呼ぶ事象の連続に、誠は洋人が営業の悪魔と呼ばれる所以を今更ながらに思い出したのである。
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