18話 rendezvous 5
そら見た事か。
とは誠の偽らざる本音で、リビングに揃ったクレーマー二人は易々と表示されたプロバイダーのトップ画面を見た後、急に押し黙ってしまった。
二人が案内された部屋は、廊下の先にあるLDKだった。
だだっ広い空間に足を踏み入れると庭に面した大きな窓から光が差し込むダイニングキッチンがあり、その奥には階段とリビングが見える。北側からLDKの中央に向かって階段が伸びる独特な構造で、階段がダイニングとリビングの空間を仕切るような間取りになっていた。
中は木造かもしれませんよ、という誰かさんの希望的観測を裏切る、見た目通りのRC造で、一階部分は廊下に続きキッチン、リビングに至るまで大理石の床に覆われ、室内のインテリアもそれに合わせるようにシンプルなもので統一されていた。バブル全盛期に作られたと思われる建物は、各所にデザイナーの意匠が施され華やかな空間ではあったが、周辺の家屋と同様、築年数はそれなりらしく当然インターネットにも対応していなかった。
「こちらは問題ないですね」
案の定な試験結果に心底呆れ返っていた誠の代わりに洋人が言った。こちらはという言葉の中に僅かながら二人に対する配慮が見え隠れする。
『だから最初からそう言ってるじゃないですか』とクレーマーのプライドを粉砕することもできるのに、洋人がそれをしないのは二人がこの会社の顧客だからに他ならない。あくまでも『宅内問題』であることを理解してもらい、次回は正規のルートから入電するよう調教するつもりらしい。気の長い話だが、いずれにしてもその部分については洋人の管轄だ。
機器一式が揃ったリビングには三畳ほどの毛足の長いラグが敷かれ、ガラストップのローテーブルと、それを囲むようにL字型に組まれたソファーセットが配置されていた。入口から見て正面、西側の壁にテレビボード、そして恐竜の骨格標本のような階段が設えられた北側の壁にはエアコンと背の低いキャビネットがある。一体何年前の物なのか、ずらりと並んだメタルフレームの写真立てには若かりし頃の美人マダムと三人の子供の写真がいくつも飾られていた。
この世の幸せを濃縮したスープのような温かさに、誠は特段意識したわけでもないのに、自然と目を逸らした。
リビングには、電話をかけてきた主人の姿があった。
「でも、私の部屋では繋がらないぞ!」
「三階にアクセスポイントはありますか?」
鼻息を荒くして抗議する主人に、誠は沈着冷静に切り返す。
権力に物を言わせ、非正規ルートで依頼をかけてきた張本人は、眼鏡をかけた中肉中背の男性だった。白髪混じりの髪はおでこと頭頂部の中間まで後退していたが、若かりし頃はさぞかしモテたであろうことを伺わせる、鼻筋の通った顔をしていた。ポロシャツにハーフパンツというラフな格好で、エアコンの効いた室内にいたはずだが、外からやってきた二人よりもよほど脂ぎっていて、繋がらないパソコンと格闘した痕跡が見て取れた。
「アクセスポイント?」
「無線の電波を中継する機械のことです。えーっと……例えばこんな感じの」
誠は説明しながら、ONUの隣にある無線ルーターを指でさす。主人は何のことか理解できなかったのか妻の方を見てどうなんだ? と視線で尋ねた。突如話を振られた妻は所在なさげに視線を彷徨わせた後「だけど、前は二階でちゃんと繋がっていたのよ!」と非難がましい夫を振り払うようにして二人を睨んだ。
「お宅の会社が設定したんだから、それぐらい解るでしょ⁉︎」
まるでそれが免罪符であるかのように主張する婦人に、洋人は落ち着き払った様子でなるほどと頷いて一枚の紙をテーブルの上に広げた。
設定サービスの写しだ。そこには作業日時と内容、そしてマダムのものと思われる確認のサインがばっちり残っていた。
「確かに佐々岡様は開通当初、オプションで弊社の設定サービスを利用されています。作業内容を確認致しましたが、ルーター一台、タブレット、そしてスマートフォン二台の設定ですね」
「そうよ。それよ!」
「ですが、こちらに中継機の設定は含まれてないんですよ」
洋人が指を揃えて示した作業欄を見て、妻の顔に動揺が走った。
「でっ……でも、今まで問題なく二階でも使えていたわ! ここに扇のマークが出ていたら家のインターネットに繋がっているってことなんでしょう⁉︎」
「それはそうなんですけど、この家では物理的に厳しいんじゃないかと……」
「鉄筋コンクリートの建物は無線の電波が通りにくいんです。佐々岡様のお宅は広さもありますから……」
言葉足らずの誠に、洋人が上手くフォローを入れる。
「だけど……!」
尚も食い下がろうとする妻に、誠が口を開いた。
「念のため二階と三階の接続状況だけ確認させていただいてもよろしいでしょうか?」
「部屋に入るんですか?」
「できればお願いしたいですけど、無理なら廊下だけでも」
クレーマー二人は顔を見合わせ、不承不承頷いた。
「測定器、持ってきたんですか?」
「いや。でもまぁ、なんとか……」
こっそり耳打ちしてきた洋人の問いに誠は首を振る。
測定器の類はテクサポにある程度準備はあるが、ダイレクトに無線の状況を調査してほしいという要望でも無い限り持参することはない。大きな家に住んでいる顧客がいたとしても、何となく繋がらないぐらいの話であれば、ルーターがあれば事足りる。RC造三階建てで中継器があるかないかも伝えないまま、ギャーギャー文句を言う顧客などそうそういないのだ。
とは言えがっちがちの調査でもないので測定器が必須かと言われればそうでもない。要するに、実際に無線の減衰具合を可視化して二人が納得できる形で提示すれば良い。
クレーマーに許可を得て試験用パソコンを接続した誠は、全員が見守る中コマンドプロンプトを起動した。黒い画面にカタカタとコマンドを打ち込んでエンターキーを押すと白い文字が表示された。
「ここに表示されている数値が電波の強度です」
画面を二人に見せて、その強度が八十八パーセントであることを確認してから二階へと移動する。
部屋の中央にある階段は北側の壁に当たった所で九十度西側に折れ、二階へと続いていた。丁度リビングの真上に出るような間取りだ。そこから三階へ、今度は南側の壁に沿うような形で階段が設置されている。階段の開口部すらも最上階まで一続きではいない。とことん無線接続には不向きな家だった。
各所で無線の状況を確認した結果、二階は階段に一番近い次男の部屋だけがギリギリ使える状態、そこから東に向かうにつれて電波の低下が著しく、娘の部屋は要確認、東側の夫婦の寝室には全く届いてない状態であった。二階の廊下でこの結果なのだ。夫婦の寝室の上にあるという三階の書斎は確認するまでもなかった。
「もし、二階の寝室で問題なく使えていたのであれば、やはり中継器があったんだと思います。息子さんの部屋とか……」
「次男はインターネットについては特に何も言ってなかったし、掃除の時もそんな機械見たことないわ」
妻は必至になって首を振る。
「……となると娘さんじゃないですかね。本人が無理でも……例えば友達に設定してもらったとか……」
誠がそう言った瞬間、妻と夫はハッとしたように顔を見合わせた。
「何かあるんですか?」
すかさず洋人が二人に声をかける。
「いえ……あの……」
「おい、今すぐ電話を掛けてみろ」
しどろもどろになる妻の尻を叩くように夫が指示を出す。妻が電話をかけ、娘が出ると夫は妻から電話をもぎ取るようにして娘と話を始めた。
「メグミ。今、インターネットの会社の方が見えられているんだが、お前の部屋にインターネットの機械はあるのか?」
『何それ? そんな物知らないわよ』
スピーカーから僅かに漏れてきた声を受けて誠が小声で主人に話しかけた。
「ランプがピカピカしてる機械なんですけど……最近模様替えしたとか、どこかのコンセントを取り外したとかもないですか?」
誠の言葉を父親がそのまま繰り返すと電話の向こうで何か反応があったようだ。
「あるのか? それがあれば二階でインターネットが使えるって会社の人が言っているんだ。メグミ、どうなんだ?」
「あなたいつの間にそんなものを取り付けたの? どうやって? まさか、まだあの子と……」
『お母さんには関係ないでしょ! あっくんのこと悪く言わないで‼︎』
夫から電話を取り戻した妻が声を荒げると、それを上回る勢いで娘が反論する。
誠と洋人は気色ばむ夫婦に気付かれないように、アイコンタクトを取った。
どうやら娘の部屋には『あっくん』とやらが持ち込んだ中継機があるらしい。もはやインターネットなどそっちのけのマダムは電話に向かって怒鳴り散らしていたが、障害対応にやってきた二人にはその事実が判明しただけで充分だった。
「中継機の話は娘さんとしていただくとして、問題はご主人のパソコンですよね?」
洋人が妻を見守っている主人に話しかけ、誠もそれに続いて頷きながら会話を進めた。
「一階に下ろせば問題なく使えると思いますが……」
「ちょっと! 勝手に話を進めないでよ! 一階で仕事なんて冗談じゃないわよ! 家族の場所に仕事を持ち込まないで!」
娘の不純異性交遊発覚で怒りが再燃したらしい妻が三人の会話に割って入る。
「そんなこと言っても仕方ないだろ。報告書を読んで決済を回さないと仕事が間に合わないんだ」
クレーマーその一である主人は年齢相応に弛んだ頬を窄めて妻の方を見る。どうやら主人の方はもうこの問題に拘泥する気はないらしい。しかし、仕事のためにパソコンだけはどうにかしてくれ、という事情だけは会社勤めの二人には理解できた。
「いつもいつも仕事仕事って! メグミの将来が心配じゃないの⁉︎ あんなチャラチャラした男とまだ付き合ってるのよ?』
「それとこれとは別の問題だろう?」
「あの……佐々岡様……」
本格化しつつある夫婦喧嘩を仲裁したかったわけでもないだろうが、洋人が遠慮がちに声をかける。しかし、ヒートアップしていくマダムを止められる人間はいない。主人の目的はインターネット。しかし、妻の不満はきっともっと別の場所にあるのだろう。
「この家の問題でしょ⁉︎ どこがどう違うって言うのよ!」
「その話はまた改めて……」
「いつもいつもそうやって逃げるじゃない! 何でもかんでも任せきりで、少しは私の身にもなって頂戴よ!」
「後で話をしようと言っているだけだろ! 今期ももう一店舗増やす予定なんだ! 今それどころじゃないんだよ!」
二人が言い争う姿に誠の背中に嫌な汗が滲む。
だったらまだゴキブリや蝉の方がマシだと思える程に、誠は人が激しく言い合いをしている場面や大きな音が苦手だった。そういう場面に出くわすと恐怖で心臓がドキドキして、その場から逃げたくなる。幼少期の体験からくる
誠はうんざりした気持ちで喧嘩する二人の会話に割って入った。
「お取り込み中のところ申し訳ありませんが、分電盤を確認させていただいてもよいですか?」
突然何を言い出すんですか? という洋人の訝しげな顔はこの際気にしない。
兎にも角にもとっととこの仕事を終わらせることが先決だ。
誠はポカンとしたクレーマーの顔を冷たく見やって、小さなため息を吐いた。
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