11話 蛇足のエスケープ 4

 懇親会にたっぷり遅れて帰還した誠は、その後、古巣メンバーと共に居酒屋に向かった。

 年長の山﨑を筆頭に、二年上の先輩社員が一人と同期と後輩がそれぞれ一人ずつ。案の定、誠達が移動を開始するとその後を追って女性の集団がゾロゾロくっ付いてきたが、山﨑の機転で全席個室の居酒屋に入り、どうにか難を逃れることができた。

 集まったのは年齢も性格もてんでバラバラなのに、何かあると自然に集まって話をするお馴染みのメンバーである。誠は談笑に耽りながら、自分だけが違う職場に来てしまったのだと、改めてその事実を痛感した。

 経営計画発表会なんて、慣れない場所に来てしまったせいなのか、馴れきったメンバーと話をしているせいなのか、いつも影のように足元に纏わりついて離れない寂しさが、今日はやたらと心に沁みてくる。強く自分にバイアスをかけて見ないフリをすればすり抜けられるのに、今日に限ってそれが効かない。上辺だけ取り繕って話を合わせているうちに時間だけが過ぎていった。

 家族のように接してくれる大切な中間たちがここにいる。でも、一番傍にいて欲しい人物がここにはいない。それで、誠は半分救われ、半分落っこちた。

 三次会の話も出たが到底そんな気分にはなれず、誠は同じく帰路に着いた家庭持ちの山﨑と同期の定森と共にバス停へ向かった。


「あれ? 星野こっちだっけ?」


 帰路とは反対側のバス停で立ち止まった誠に定森が声を掛けてくる。ここで別れて、この先にある横断歩道を渡ると思っていたのだろう。平常時であればそれが正規の誠のルートだ。


「あー……今日は」


「ほほー」

 

 ふわっとした答えを返した誠に、山﨑は目を三日月型に細める。

 照れ臭さのあまり「留守番頼まれただけですよ」と補足しながらも、誠は洋人との関係は否定しなかった。気の置けないメンバーに事実を隠す必要はないし、山﨑に至っては、嫁が誠と同じ職場で働いているのでコールセンターでの出来事は筒抜けだ。


「あの噂、本当だったんだ?」


 定森は今更のように感心した顔で誠を見ていたが、情報に疎いわけではなく、本人から直接話を聞くまでは信じないという慎重な、いかにも彼らしい反応だった。

 さすがに古巣のメンバーである。

 この二人に限らず、本当は『実のところどうなの?』と誠に直接聞きたくてもそうしなかった残りの二人も誠のことをよく理解している。中でも定森は、数々の面倒事に巻き込まれ同期と距離を置いた誠が唯一繋がっている貴重な人間だ。職場内にとどまらず、プライベートで起こった諸々も彼は全て知っている。きっとこういう人間のことを友人とか親友とか言ったりするのだろう、と誠は思う。家族ぐるみで付き合いがあるのも同期の中では唯一定森だけだ。


「まぁ……そうね。ミイラ取りがミイラになった感はあるけど」


「へー。良かったじゃん」


「マジでそう思ってる? 相手だぜ?」


 性別もアレだし、性格もアレだ。

 保守の間で悪魔と呼ばれる厄介この上ない年下の営業マン。異動前は誠自ら洋人の事を罵っていたぐらいなのに、コールセンターへ異動した途端『僕たち付き合い初めました』なんて、ネットワークセンターに対する裏切りではないのだろうか。


「思ってるよ。星野って態度はクソデカいのにやたらセンシティブじゃん。あっちでうまくやってんのかなって何気に心配してた」


「そうそう。お前めちゃくちゃ危なっかしいからな」


 二人してフムフムと頷かれ、誠はすーんと気が遠のいて倒れそうになった。


 まさか、今までそんな風に思われていた?

 そんなに心配されてた?

 心配される事が苦手なことも見越されて、それでいてそーっとそーっと遠くから気遣いながら見守ってくれていた?


 誠自身、彼らは大切な仲間だと感じていたが、そうは言っても所詮は他人である。その思いは誠の心の中だけに存在するもので一方通行なのだと思っていた。しかし、目の前の二人はまるで父親のような顔で、バカにするでもなく可哀想がるでもなく誠を見ていた。

 誠は生まれてこの方父親という存在を知らずに育った。

 唯一知っているのは、戸籍上でも繋がることがなかった男であり、それを『父』と呼ぶなんて死んでもあり得ないことだった。

 本当の父親がいたらこんな感じなのかな、とそんな考えが一瞬頭を過り、誠は僅かに滲んだ視界を誤魔化すように市街の喧騒に目をやる。

 センシティブだの、危なっかしいだの、好き勝手なことを言ってくれているが、正論過ぎて反論の余地もない。それに加えて、洋人とのことも今まで何も言わず温かく見守ってくれていたのだと思うと、恥ずかしさを通り過ぎて誠は尻の辺りがこそばゆくなるような感覚がした。


「今日も途中から落ちてただろ、お前? 何かあるならちゃんと相談しろよ。話ぐらいは聞いてやるから」


 大して話もしてない割に定森には気分が落ちていることもしっかりバレていた。流石は十年来の付き合いである。


「まぁなぁ……。お前がいろんなことうまく処理できないのも分かるけど、父ちゃん末っ子のこと一番心配してるんだよ」


 そして、同じく何かを悟っていたらしい山﨑に頭をポンポンと撫でられた——が。


「え? ……ちょっと待って、何その設定? 誰が父ちゃんで、誰が末っ子?」


「いやいや、俺が父ちゃんでお前が末っ子じゃん?」


 思わず突っ込みを入れた誠に、山﨑が自分の胸に手を当てながら説明した。


「ちなみに、長男は俺で、鳥飼さんが次男ってことらしい」


 そして、何故か当然のように定森も自分の役どころを理解している。

 いやいやいやいや。聞いてない。そんな設定微塵も知らない。誠がネットワークセンターで働いていた時は事務所内でミニ四駆の改造が流行っていたが、今はホームドラマごっこがトレンドなのか?

 誠の頭にグルグルと色々な考えが巡る。

 巡り巡って周り過ぎた結果、


「序列がおかしいだろ! 何で鳥飼さんが次男なんだよ」


 もっとも基本的な部分に気が付いた。


「いや、年功序列じゃなくて性格だから。長男しっかり者。次男自由人。末っ子甘えん坊」


「甘えん坊? 俺が!? そんなことした覚えありませんけど?」


「そうそう。だから心配してるんだって。何でもかんでも一人で頑張らなくていいから無理な時は無理って言えよ。俺達でも満島君でもいいから」


 定森は真顔でそう諭して、僅かに笑みを浮かべながら続けた。


「俺、お前に借りがあるし。……左遷先で恋人見つけたって言われたらこっちも気が楽になるわ」


「別に借りとかじゃねーだろ。……俺が勝手にやったことじゃん」


 人に弱みを吐露できない誠を慮ってくれたのか冗談交じりに言いながら、定森は誠の心理的負担を軽くしようと努めているようだった。

 誠がコールセンターに左遷されたのは定森のせいではない。定森はきっかけになる事件に巻き込まれただけで、すべては誠がやったことだ。

 誠はネットワークセンターの勤務も長く、入社当初から弟のことがあってかなり優遇されていた。そんな状況で誠が上司と揉めたものだから、上層部も何等かの処分を下さなければならなかったのだ。


「…………てかさぁ、春日は?」


「え?」


「いや、春日は俺より下じゃん? ってことは末っ子は春日だろ? 年齢的にも、性格的にも。あいつ俺よりバカだし、落ち着きないし」


 誠の問いに、二人は顔を見合わせた。

 そして、同時に誠を振り返り、声を揃えて言った。


『春日はペット枠』

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