【NWC】6月 蛇足のエスケープ 3

 あのバカモノは本当に何にも気づいてないんだな……。


 ベンチで一人佇む誠は、短く息を吐いて空を見上げた。

 人のことはあんなに細かい部分まで気付くのに、自分のことはまるで見えてない。スーツがどうだなんて心配する前に、自分の脇を固めるのが先じゃないのか。


「統括ねぇ……」


 誰ともなしに呟く誠の頭には、創業以来の奇才と名高い男の姿があった。

 東嶋幹雄とうじま みきお営業部統括部長。彼がその座に就いたのは、二年前の事だ。それまで東嶋は第一営業部の部長として、法人相手に取引をしていた。

 競合他社がひしめき合うこの世界で、地場企業である強みを生かして様々な企画を立ち上げ、そのことごとくを成功させてきた功労者である。

 東嶋のおかげで他社との差別化が進み、会社は提供エリア内で顧客満足度ナンバーワンの栄光を手にすることができた。月額料金が拮抗してきた近年では、電力系というブランドの信頼性もあって、ジリジリと顧客数が伸びていると聞く。

 強いカリスマ性も然ることながら、皆を巻き込む才能にかけては天才的で、あの男を置いて他に統括部長に相応しい人間はいない。

 それは皆が認めるところだった。


 東嶋はどこにいてもすぐに居場所が分かるぐらい賑やかな男だ。顔のパーツの一つ一つが大きく、南国系のはっきりした面立ちをしている。見た目通りの朗らかな性格に、ジムで鍛えた立派な体躯も相まって、四十代とは思えないほど若々しい。

 社会人としての礼節は当然のことながら完璧で、誰に対しても紳士に振る舞う姿には大人の余裕と色気が漂っていた。

 付き合いたての頃、洋人が散々口にしていた『理想の男』の条件にことごとくヒットしているのが東嶋だ。果たして、洋人の好みに年齢制限があるのか誠は承知していないが、あの猫被りが忖度なしに東嶋を尊敬していることは明白で、東嶋も保守から『悪魔』と囁かれる期待の若手をあれこれ気にかけている。


 ——相思相愛——


 そんな言葉が頭に浮かぶ。


 誠はその昔、ARROWSアローズで東嶋を見かけたことがあった。

 繁華街にあるそのバーは、誠や洋人のような性的指向持つ人間が集まる場所で、同士の間では有名だった。一夜の相手を求めて店に出向いた誠は、そこにひょっこり現れた東嶋を目撃した。

 洋人が入社する前、東嶋がまだ第一営業部にいた時の話だ。

 場所が場所なだけにお互い声を掛けるようなことはなかったが、マスターと親しげに話をする様子を見て、東嶋が馴染みの客であることが分かった。その後、彼が誰と会い、どこに消えたのかは知らない。

 東嶋が離婚した、という話を耳にしたのはそれから数年後のことだった。


 東嶋のことなど喋る機会もなかったので、洋人にはそのことを伝えてはいない。

 建前としては、個人情報に当たる部分なので『見聞きした他人の情報は不用意に口にしない』ではあるが、実際のところ洋人にその話をしないのは誠の都合に他ならない。

 それをフェアではないと洋人がなじったとしても、自分も同じことをされて過去に嫌な思いをした、と伝えればすんなり引いてくれるだろうという打算的な思いもあった。誠は自分の意思で洋人に対して正直ではない状況を作り出している。

 そうせざるを得ないほどに東嶋の存在は厄介で重たい存在だった。


 今日は、そこら中に会社の人間がいるため、誰とどこで遭遇しても不思議ではない。しかし、定食屋で東嶋と出会った洋人がそこから離脱できなかったというのは、近況報告の名の下に東嶋がそうさせたからではないのだろうか。

 そんな気がしてならない。

 

 誠はバイセクシュアルで女性との性交渉も可能な人間だが、家庭を持ちたいとか子供が欲しいといった願望は全くない。

 女性か男性かと言われれば、男性と一緒にいる時の方が落ち着くし、気を使わない。それは友人関係でもそうだったし、セックスにおいてもそうだ。

 女性と事に及ぶとどうしても母親のことが頭を掠める。それが原因でイケないこともある。だから、昔から性欲処理の相手に男性を選ぶことが多かった。それを恋人関係と呼ぶのか、体だけの関係と呼ぶのかは気にしたことはない。呼称がどうであれ、心はいつ平坦で一人に固執する感情がなかったからだ。

 コールセンターに異動になった時、洋人にちょっかいをかけたのもそんな流れからだった。悪魔の異名を持ち、巨大なネコを被っている洋人が相手なら周りに吹聴される恐れもないし、後腐れもなくコンビニエンスに性欲処理ができそう——ただそれだけの理由だった。


 こんな気持ちが生まれるなんて想像もしなかった。


 洋人の口から東嶋の名を聞いたときに、何とも言えない嫌悪感とともにはっきりと自覚したそれは、嫉妬であり、独占欲だった。

 洋人を誰にも取られたくない。

 しかし、その一方でこんな自分に、そんなことを言う資格があるのだろうかと反問する声が聞こえた。負ける前に逃げてしまえ、と。

 そして、気づいた。


 同じ感情を母親に対して抱いて、届かなかったことに。


 結局そこに帰結してしまうのか、と誠は暗澹たる気分で天を仰ぎ、大きなため息を一つ吐く。

 大事な物は何一つ残さなかったくせに、弟と共に誠にこんな宿題を丸投げした親をどうしても許すことが出来ない。

 そして、母親に対する黒々とした思いと共に、後から後から湧いて出てくる洋人に対する思慕の念を、本人に話すべきか迷ってしまう。理想の男を前にした洋人の手を「待ってくれ」と引っ張ってしまっても良いのだろうか。

 誠はポケットの中に手を突っ込んだ。

 スマホを取り出すと、そこにあったキーケースがチャラっと音を立てる。

 その音だけが、萎えて挫けてしまいそうな誠の勇気を支えてくれていた。


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