【NWC】8月 rendezvous 2

 時は金なりって言葉知ってます?


 エレベーターのボタンを押し、ドアが閉まるや否や低く呟かれた言葉に、誠はげんなりしながら隣の男を見た。


「こうなることが分かっているのに、よくもまぁ、無駄な抵抗をしますよね?」


 剣呑な視線と共にやれやれと呆れたように肩を竦めるスーツの男はつい今しがた、しおらしくテクサポに障害対応の依頼をかけていた満島洋人その人である。受電チームのメンバーが……否、この会社の誰が見ても唖然とするであろう本性を曝すのは、その相手が星野誠だからに他ならない。


 コールセンターではもはや周知の事実になっているが、彼らは職場の先輩後輩のみならず、恋人という肩書きも共有していた。

 そんなこんなで誠は、先ほどの『四面楚歌、孤軍奮闘中の無力な営業』の姿が、ただのまやかしであることを早々に見抜いていたわけだが、舞台裏バックヤードを知らない人間には違う世界が見えていたことだろう。

 皆、まんまと洋人の術中にハマっている。

 詐欺だ。弱者ビジネスだ。

 一体どちらが四面楚歌だと言うのか。

 洋人は後輩の立場を最大限に活用して、保守であり、先輩である誠を強制的に責任分界点の向こう側に越境させたのだ。

 『だから営業は信用らならいのだ』という至極もっともな言葉も、古巣のネットワークセンターであれば大いに共感を得たかもしれないが、ここではそれも適わない。何故なら洋人が被った猫は巨大で強靭で、こんな所でボロを出すようなことは万に一つもないからだ。

 誠は以前『社内の人間をペテンにかけて、お前の良心は傷まないのか?』と洋人に尋ねたことがあったが、『そっちこそ、無駄に綺麗な顔面で人を騙してるじゃないですか』と卓球選手のように速攻で打ち返されてしまった。

 身体的特徴を指摘するのはセクハラまたはモラハラの領域であるが、技術畑で純粋培養のような生活を送っていた誠と、海千山千の営業部で特殊な生態を磨き上げた洋人とでは端から喧嘩にならなかった。


 洋人はエレベーターの中で今回のクレームの詳しい状況を説明した。

 家は三階建で、主人がインターネットを繋ごうとしたが繋がらなかった。主人のパソコンはデスクトップで移動はできない。ほかの家族もインターネットを利用しているが、最後に誰が使ったのか、それがいつ頃の話だったかは定かではなく、タブレットを利用しているという妻も非協力的で、電話の背後でヒステリックな声を上げ、終いには夫婦喧嘩を繰り広げていたらしい。


「Wi-Fiは飛んでんの?」


 切り分けを行った誠は回線のセッションが張られていることを確認している。宅内にはルーターがあり、原因があるとすればそれから先だ。正常性が確認できている以上、誠ができるのは有線接続を試すぐらいだが、わざわざ二人がかりで対応する話でもない。テクサポには、ここ数日のゲリラ豪雨の影響で今日もあちらこちらから障害対応依頼が舞い込んでいるのだ。営業部のすったもんだに巻き込まれている場合ではない。


「それも確認できなかったんですよ。そっちが設置したんだから、早くどうにかしろって」


「ん? ルーターあっち持ちじゃないの?」


「あっち持ちだと思ってこっちも切り分け案内したんですけど、それでさらに激高してしまって……第一営業部に確認したらどうも開通当時にサービスでつけてるみたいなんですよ。故障についてはご自身で交換してくださいって言質は取ったって、担当は言ってますけど……」


「出た出た。言った言わない問題。こういうのぜーったい問題になるんだから書面で免責取っとけって。バカなの営業?」


「ま、書面があっても文句言ってきそうなお客さんなんですけどね……。開通当時から色々あったみたいですよ」


 地下一階の駐車場までやってきた洋人は、社用車まで足早に移動すると誠の荷物もまとめて後部座席に放り込み、運転席に座った。


「夫婦喧嘩するぐらいなら切り分けに協力してほしいんですけどね……」


 エンジンを始動してエアコンを効かせながら、ミラーの位置を調整する。


「分かってるならそう伝えろよ。それこそお前らの得意分野だろ?」


「言ってみたけどダメだったんですって。第一営業部はこっちに丸投げしてくるし、グループ長は悲壮な顔してるし……ったく」


 苛立っているらしい洋人に誠が声をかける。

 確かに、洋人が対応する案件ですらない。その第一営業部の担当とやらが試験用PCを持って行って繋いで見せれば終わるはずだ。


「ニコチン切れ? 一服してく?」


「訪問前なのでタバコは控えます」


 文句は言っても、洋人は営業部の人間である。入社からトップの成績を収めてきただけあって、お客様対応をする際のマナーに関しては徹底していた。


「俺に当たるな」


「誠さん以外こんな話できないんだから仕方ないでしょう?」


「はいはい。じゃ、キスでもしとく?」


 冗談めかして尋ねた誠は、すっと横から伸びてきた手に顎を取られた。

 素早い動作で唇を奪われる。


「ダメですね。あんま効果ないみたいです」


 洋人は悪びれる風でもなくそう言ってひょいと肩を竦めた。

 この適当さ、この軽薄さ。

 誠は運転席の恋人を見た。


「テクサポが大変なのは分かってます。だからこそいつまでもこんなことで引っ張りたくなかったんです。……すみません」


 洋人も仕事人である。テクサポに無理を言ったことを反省しているらしい。表面上では全く分からない微妙な声の質感の変化を悟って、誠は「ま、いっか」と矛を収める。


「そっちも被害者ならしょうがねぇもんな。よしよし。頑張れ頑張れ」


 誠は言って、洋人の髪をぐしゃっとかき混ぜる。


「あぁっ……もう、やめてくださいよ」


 迷惑そうに顔を顰めて乱れた髪を整える洋人の頬が、ちょっとだけ赤くなっていた。


「誠さん。理不尽なことを言われても絶対態度に出さないでくださいよ。会話は僕に任せて、誠さんは傾聴と共感に徹してください」


 照れ隠しなのか、洋人はしかつめらしい顔で誠に向って忠告して、


「了解。元から喋る気ないから安心しろよ」


 誠の返答に今度は素直に頷いて、シートベルトを締めた。


「とにかく、さっさと訪問してあの二匹を始末しちゃいましょう。これ以上業務に支障をきたすわけにもいきませんからね」


「ん? お前、今、二匹っつった?」


 看過できない『会社の鑑』の発言に、誠は思わず声を上げた。


「え? そう聞こえましたか?」


「言った。今、言った! 間違いなく言った!」


 常日頃から客は大事にしろとか、暴言吐くなとか散々言っている人間が!


「聞き間違いじゃないですか? こんなに蝉も鳴いてますし」

 

 洋人はシャランとした顔で言って誠の糾弾を右から左に受け流してしまった。

 誠に不満をぶつけて多少機嫌は良くなったようだが、ハンドルを握る横顔に剣呑な光が宿っている。どうやら本気でクレーマーを討伐する気らしい。

 蝉を英語で発音すると『死刑だ』という言葉によく似ているんだよな、などとどうでもいいことを思い出しながら、二匹のクレーマー駆除に強制連行されることになった誠は、スケープゴートとなった自身の身体を荷馬車より少しだけマシな助手席に預けたのである。

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