8月

14話 rendezvous 1

 保守と営業は相性が悪い。

 他の会社がどうだかは知らないが、少なくとも満島洋人と星野誠が籍を置くこの通信会社ではそうだ。

 数字を上げてナンボの営業グループと、設備の保全に尽力する保守グループ。どちらが欠けても会社は成り立たない……にもかかわらず、矛と盾のような相反する二つの部署はいつもかつも歪みあっていた。

 これは、ニワトリが先かタマゴが先かの水掛け論と同じで、互いの主張をぶつけ合ったところで答えが出るものではない。手を取り合って協力すれば営業利益が伸びることは明白なのに、今日も今日とて両者は喧々囂々けんけんごうごうの争いを繰り広げていた。


 そんな不毛な戦いの激戦区とも言えるのが、街外れの湾岸エリアにあるコールセンターである。

 ここにはコールグループ、テクニカルサポートグループ、料金グループと、三つの部門が存在し、各地から入ってくる問い合わせの対応に当たっていた。受電の一次対応はコールサービスを専門とする提携会社のリンリンシステムズの従業員が行い、彼らに判断、処理できない案件については事務所に控えている通信会社の社員、及び派遣社員が処理を行う。

 どのグループがどんな案件を処理するのかは掲げた部署名を見れば一目瞭然だが、補足として、洋人が所属するコールグループはサービス全般に関する一般的問い合わせに加え、時として専門性の高い他の二グループからこぼれ落ちた案件のフォローも担っていた。当然、そこにはお金や技術だけでは解決できないクレーム処理なんかも含まれてくるのだが、他の二グループに比べ業務に明確な線引きがない分、コールグループの社員はより広範囲の対応を迫られることもしばしばだった。


 技術的な問題ならテクニカルサポートグループ——テクサポが最後まで処理をするのが筋なのでは?


 素人考えでは当然の疑問も、保守には『責任分界点』という言葉が存在する。

 お客様は決して神様なんかではないし、通信会社も『インターネットのことなら何でもお任せを!』のオールマイティーではない。

 たとえそこにいる社員に問題を解決する知識と技能があったとしても、保守が安易にお客様の設備を触ることはないし、アドバイスも一般論に留まるのみだ。顧客の領域に踏み込むことを良しとしないのは『責任分界点』を堅守する保守グループの不文律であり、光回線の保全と共に会社の信頼性を守る彼らの務めでもあった。

 ところが、である。

 そんな保守の矜持を平気で踏みにじる部署が存在する。

 それがお客様至上主義の営業部だ。


「技術的な話以外はこちらで引き受けますので……」


 洋人は心底困った様子で、事務椅子にふんぞり返るテクサポの美丈夫——星野誠を見下ろした。


 オーシャンビューを臨む見晴らしの良いオフィスビル。二人が所属する通信会社は二十年ほど前にビルのワンフロアを丸ごと借り上げてこの地にコールセンターを設立した。

 休憩室やロッカールーム、それに光回線を集約する局舎もあるこのフロアで、先述した三つのグループは二つの部屋に配置され、コールグループとテクニカルサポートグループが最も大きな一室をシェアする形で利用していた。業務の都合上それが最も効率的という会社の判断だが、コールセンターが営業と保守の激戦区と言われる所以はそこにあった。

 東西に伸びるだだっ広い事務所の東側にコールグループの社員席、そこから三十メートルほど離れた西側にテクニカルサポートグループがそれぞれ陣を構え、両グループの間には受電を担当するリンリンシステムズのオペレーターたちがずらりと席を並べている。部屋の中間あたりの壁には大きな掛時計と、液晶パネルが掲げられ、業務中は両チームの入電件数や応答率が常に表示される仕組みになっていた。

 コールグループは入電は多いものの、一般的な問い合わせのみの対応となるため、案件としては軽い物が多い。一方のテクニカルサポートグループの方はネットが使えない、電話が使えないといった技術的な問題になるため、重たい案件を抱えることもしばしばである。

 顧客情報のみ閲覧可能な業務用パソコンしかないコールグループとは違い、コンパートメントで仕切られたテクサポのブースには各種試験機に加え、サーバーラックと三台のノートパソコンが並ぶ長机があり、課員のデスクとデスクの間にも、ネットワークセンターに繋がる専用の端末が設置されている。物々しい雰囲気が漂う中、洋人は顧客情報をプリントした用紙を携え敵地に乗り込んでいた。

 上座に座るグループ長のますの背後で、サーバーラックに据えられた黒い機械がチカチカと点滅を繰り返している。のみならず、各種試験機と無機質なキャビネットが課員を取り囲み、そこはまるでテクサポの要塞のように思えた。

 黒々とした機械類が彼ら守る護衛のように威圧感を放つ中、洋人は他部署から舞い込んできたクレーム処理の相談を持ち掛けたが、保守が嫌がる終端装置より先責任分界点の話に及ぶと、誠の表情はガラリと変わり、絶対零度の冷たさで拒絶の意思を伝えてきた。

 なまじ顔が良いだけに、表情を失った誠の顔には迫力がある。厄介ごとを持ち込む営業に嫌悪感を隠そうともせず、けんもほろろのド正論責任分界点を翳されたら、新人でなくとも涙を浮かべ尻尾を巻いて自陣に帰るところだが、洋人は違った。


「そもそも宅内問題はウチの管轄じゃない。コールで処理する案件をこっちに持って来るな。それでも何とかしろって言うなら業者手配で最短明日。もちろんそれも確約は出来ない」


 誠は客の目の前でシャッターを閉めるような非情を、ちらと気にする様子もないまま洋人に突きつける。下から睨まれた洋人がシュンと音がしそうな程肩を落とすと、方々から悲痛なため息が漏れた。

 ここはテクサポの本拠地で、コンパートメントの向こう側にある三つの島には、技術部門テクニカルの受電チーム二十名余りが待機していた。

 委託先の従業員とは言え、技術部門の一次対応を行う彼らは誠の言葉の正当性を理解できていた。クレーマーの苦情を抑えきれずテクサポに無理を言う営業に同情の余地などないはずなのに、うなだれる洋人の背中を心配そうに見守る視線の数は時間を追うごとに増える一方だ。

 それもそのはず。リンリンシステムズとの業務提携はコールグループが主体となって動いている。毎月の業務打ち合わせや人員配置等の細かい調整、そういった諸々を通して受電チームとコールグループの結びつきは想像以上に深く、部門を超えたからと言ってその繋がりが絶たれるわけでもない。

 受電チームにしてみれば、白か黒かの判断はしてくれても、日々何百件という案件を処理する担当者の心のケアまで手が回らないテクニカルサポートグループよりも、部門こそ違えど、受電チームの痛みを理解し労りの言葉をかけてくれるコールグループに心が動くのも無理からぬ話である。

 そんなコールグループの若手が……しかも、その中でも一際受電チームの心情を理解してくれている満島洋人が果敢にも一人でテクサポに乗り込み、社内一のイケメンにしてクセあり難ありの先輩社員にケチョンケチョンに言い負かされている光景なんぞを目の当たりにしてしまったものだから、受電チームは皆業務どころではなくなってしまった。

『ああ……満島さん!』

 声なき悲鳴がそこかしこで上がる中、洋人は今にも消えてしまいそうな儚げな笑みを浮かべた。


「もちろん、それは承知しています」


「だったら……」


「こちらもできる限りの説明はさせていただいたんです。でも、仕事で使うから今日中に復旧しろの一点張りで……」


 洋人の言葉に、四十数個の瞳が一斉に誠の方を見た。コンパートメントが邪魔して大半は隠れていたが、上座に座る受電チームのマネージャ、富岡の席周辺からはばっちりその様子が見えている。

 洋人はコールグループの対応に非があることを分かっている。それでも二進も三進も行かない客を前にして困っているのだ。どうしてテクサポにはそれが通じないのか? なぜ味方であるはずの社内の人間をここまで邪険にしなければならないのか⁉︎


 まして、あなたたちは……あなたたち二人は——


 受電チームの面々は皆一様に同じことを思ったが、敢えてそれを口に出す者はいない。しなしながら、洋人を応援する眼差しは一層熱を帯び、ちょちょっとパソコンを操作しただけで「これ宅内問題」と試験結果と共ににべもなく洋人の要求を跳ねのけた誠に、もうちょっと譲歩してあげてもいいのではないかと無言の圧力を伝えてきた。


「この方、バリューバリューの役員の方なんです……」


 洋人は取り付く島もない誠からすっと視線を逸らした。『別に同情してほしいわけではないんです』と強がる健気な姿に富岡率いるテクニカル受電チームは皆胸を打たれた。


「バリューバリューって、あのスーパーのことですか?」


「はい……」


 そんな中、テクサポの紅一点、派遣社員の山﨑志穂里が反応した。

 バリューバリューはこの地方では有名なスーパーである。お惣菜の味に定評があり、昔から主婦層から絶大な支持を得ていたのだが、数年前テレビ番組の特集でお惣菜の話題が取り上げられて以来、営業店舗は増え続け、今では県外にまで出店するほどの企業へと成長した。今まさに右肩上がりのスーパーなのだ。


「それは大変だね」


 自身も子育て中で、バリューバリューには馴染があったのだろう。山﨑はパソコンから目を離すことなく洋人の言葉に頷いた。


「こっちに直接電話があったの?」


 志穂里の向こうで、心配そうな表情を浮かべたのはテクサポのグループ長、桝だ。黒縁の眼鏡をかけた彼は、掴みどころのない表情でポリポリと白髪交じりの頭を掻いた。


「いいえ。第一営業部を経由して来ました。個人契約なので、こちらで対応できないかと……」

 

 それで、問題点を洗い出すために電話確認で切り分けを行ったが、問題は見当たらず宅内設備を確認するよう伝えたところ、温度感が一気に高まったのだと洋人は説明する。


「これ以上交渉の材料がないんです。テレワークで使うから、今日中に何とかしろと仰られているんですが、訪問するにしても障害の切り分けをしなければならないので、営業だけでは対応が厳しくて……どなたかに同行していただけると助かるんですけど……」


 洋人は眉を寄せ、縋るような目で桝を見る。


「そうか……困ったものだね」

 

 うーん、と桝が首を傾げた。


「家にいる時ぐらいゆっくり休めばいいのに。こうなってくると、テレワークも考えものだよね。満島君、完全に板挟みじゃん。可哀想」


 そして、反目し合う両グループの事情など全く気にしていない派遣社員の山﨑は、洋人を気遣うように言葉を掛けて席を立ち、入り口付近にあるキャビネットへと移動した。大きく口を開けたスチール製の棚の中は、書類ではなく様々な機器が並んでいる。まるで、電気店の売り場のようだった。


「第一営業部からの依頼で断ることもできなくて、お客様からは督促の電話も入るし、ウチのグループ長もどうにかしろって、ずっとピリついてて……」


 圧倒的に不利だったはずのコールグループの形勢は、洋人の登場から五分も経たないうちに逆転し始めていた。この会話の主導権を握っていたはずの誠の顔にも明らかな焦りの色が見える。洋人の攻撃対象が、自分からグループ長に変更されたことにいち早く気付いた誠は野良猫のように反応して、洋人を指さした。


「だからそれ。そんなクソの役にも立たないしがらみここで出すな! こんなんで一々社員が対応してたらこっちの身が持たねえだろ」


「どっちにしてもウチのサポート外の話ですもんね……」


 キャビネットをゴソゴソ探りながら横やりを入れる山﨑の言葉に、誠は大きく頷いた。


「山﨑さんの言う通り! これはコールグループの管轄!」

 

 しかし、そんな情勢とは裏腹に、誠の焦りの色はさらに濃厚になっていく。


「星野君、今日早番だよね?」


 壁に取り付けられた行動予定表を確認した桝が、いつもと変わらないのんびりとした口調とともに戦々恐々としている誠を振り返った。


「グループちょ……」


 その瞬間、賽は投げられた。


「対応終わったら、そのまま直帰していいから」


 ね、と桝は目を細めて念を押し、コンパートメントの向こう側では、受電チームが安堵のため息を漏らしていた。

 

「ちょっと待ってください! 俺が行っても相手の設備問題なら出来ることは何も……」


「はい。これ」


 山﨑が紙袋いっぱいの各種試験機を誠に差し出した。味方だと信じていた山﨑も何のことはない。洋人が話し始め、桝が動いた時点で、こりゃ引き受ける方に転ぶな、と早々に見切りをつけて障害対応の試験機一式を準備していたのだ。


「山﨑さん、ありがとうございます」


 よもやの裏切り行為に唖然とする誠の代わりに礼を言ったのは、洋人だった。紙袋を受け取るや否や、さっと背後を振り返り、


「あ、富岡君、この方に今から訪問させてもらいますって伝えて。えーっと……一時間後ぐらいかな」


 受電チームのマネージャーにサクサクと指示を出す。

 先ほどまでのしおらしい態度はどこへやら。誠の向かいに座っていた後輩社員は怖い物を見るような目つきでその様子を伺っていた。


「お前らなぁ……!」


 誠は必至になって抵抗しようとするが、もはやそんな言葉に耳を貸すものはいない。


「星野さーん、もし今日持って帰れない機器があったら、連絡くださいね。あ、ちなみにルーターの設定はしてないので、現地でお願いします」


 自席に戻った山﨑がタカタカタカと指を走らせ、試験機の管理表を打ち込みながら誠に言った。


「こんな時こそ互いに協力しないとね」


 二つのグループが手を取り合う感動的な瞬間に立ち会った桝は好々爺そのものの笑顔でうんうん、と満足そうに頷いた。


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