【NWC】8月 rendezvous 1
保守と営業は相性が悪い。
他の会社がどうだかは知らないが、少なくとも星野誠が籍を置くこの通信会社ではそうだ。
数字を上げてナンボの営業グループと、設備の保全に尽力する保守グループ。どちらが欠けても会社は成り立たない……にもかかわらず、矛と盾のような相反する二つの部署はいつもかつも歪みあっていた。
これは、ニワトリが先かタマゴが先かの水掛け論で、互いの主張をぶつけ合ったところで答えが出るものではない。手を取り合って協力すれば営業利益が伸びることは明白なのに、今日も今日とて両者は
そんな不毛な戦いの激戦区が街の外れの湾岸エリアにあった。それが、お客様からの電話を一手に引き受けるコールセンターだ。
深い知識と技術力の高さを持ち『保守の神』と呼ばれる星野誠と、その保守グループから『悪魔』という不名誉なあだ名をつけられた営業の超新星、満島洋人は同時期にこのコールセンターへ異動してきた。
ここにはコールグループ、テクニカルサポートグループ、料金グループと、3つの部門が存在し、お客様からの各社問い合わせの対応を行っていた。
受電を担当するのは、外部のコールセンターサービスの従業員だが、それだけでは解決出来ない案件は全てコールセンターに勤務する社員が処理する流れになっている。
どのグループがどんな案件を処理するかは掲げた看板を見れば一目瞭然だが、補足として、洋人が所属するコールグループはサービス全般に関する問い合わせに加え、専門性の高い他の二グループからこぼれ落ちた案件のフォローも担っていた。当然、そこにはクレーム処理なんかも含まれてくるのだが、他のニグループに比べ、業務にこれといった明確な線引きがない分、彼らは専門外の対応を迫られることもしばしばだった。
技術的な問題ならばテクニカルサポートグループ——テクサポが処理するのでは?
素人考えでは当然の疑問も、保守には『責任分界点』という言葉が存在する。
お客様は決して神様なんかではないし。通信会社も『インターネットのことなら何でもお任せを!』のオールマイティーではない。
自分に知識があるからと言ってテクサポの社員が安易にお客様の設備を触ることはしないし、アドバイスも一般論に留まるのみだ。
たとえ問題を解決する知識と技術があったとしても、そこに踏み込むことを良しとしないのは保守の不文律であり、光回線の保全と共に会社の信頼性を守る彼らの務めでもあった。
ところが、である。
そんな保守の矜持を平気で踏みにじる部署が存在する。
それがお客様至上主義の営業部だ。
「技術的な話以外はこちらで引き受けますので……」
コールグループ所属の洋人は心底困った様子で、事務椅子にふんぞり返るテクサポの美丈夫——星野誠を見下ろした。
同じ事務所でありながら両グループの席は二十メートルほど離れている。仕事用のパソコンしかないコールグループとは違い、コンパートメントで仕切られたテクサポのブースには各種試験機に加え、サーバーラックと三台のノートパソコンが並ぶ長机があり、課員のデスクとデスクの間にも、用途の違うデスクトップパソコンが設置されていた。
グループ長の
物々しい雰囲気の中、怜悧な表情を浮かべる誠の横顔は、元の美しさもあって絶対零度の冷たさで拒絶の意思を示している。これがコールグループに配属された新人社員であったら、横目で睨まれただけで震え上がり、尻尾を巻いて帰るところだが、洋人は違った。
「そもそも宅内問題はウチの管轄じゃない。コールで処理する案件をこっちに持って来るな。それでも何とかしろって言うなら業者手配で最短明日。もちろんそれも確約は出来ない」
誠は客の目の前でシャッターを閉めるような非道を、ちらと気にする様子もないまま洋人に突きつける。下から睨まれた洋人がシュンと音がしそうな程肩を落とすと、方々から悲痛なため息が漏れた。
ここはテクサポの本拠地で、洋人が背にした二つの島には、
彼らは皆、誠の言葉の正当性を理解できている。客の苦情を抑えきれず無理を言う洋人に同情の余地などないはずなのに、うなだれる背中を心配気に見守る視線の数は時間を追うごとに増える一方だった。
白か黒かの判断はしてくれても、テクサポには朝から晩まで客と話し続けて疲弊する受電担当の心をケアする力はない。しかしコールグループの社員は——その中でも満島洋人は特に敏感にその気配に気づいてこまめに声をかけてくれていた。
彼らにとってテクサポは敵ではない。しかし、自分たちの上司が誰かと言えば、それは業務提携上の窓口となっているコールグループである。試験結果ではなく、血の通った対応を……心の通った
そんなコールグループの若手が、果敢にも一人でテクサポに乗り込み、社内一のイケメンにしてクセあり難あり保守社員である星野誠にケチョンケチョンに言い負かされている。
『ああ……満島さん!』
声なき悲鳴がそこかしこで上がる中、洋人は今にも消えてしまいそうな儚げな笑みを浮かべた。
「もちろん、それは承知しています」
「だったら……」
「こちらもできる限りの説明はさせていただいたんです。でも、仕事で使うから今日中に復旧しろの一点張りで……」
洋人の言葉に、四十数個の瞳が一斉に誠のを見た。
彼は自分に非があることを分かっている。それでも二進も三進も行かない客を前にして困っているのだ。どうしてテクサポにはそれが通じないのか? なぜ味方であるはずの社内の人間をここまで邪険にしなければならないのか⁉︎
まして、あなたたちは……あなたたち二人は——
受電チームの面々は、皆一様に同じことを思ったが、それを口に出す者はいなかった。
しかしながら、洋人を応援する眼差しは熱を帯び、直接電話で話したわけでもなく、ちょちょっとパソコンを操作しただけで「これ宅内問題」とにべもなくはねつけた誠に、もうちょっと譲歩してあげてもいいのではないかと無言の圧力を伝えてきた。
「この方、バリューバリューの役員の方なんです……」
洋人はけんもほろろの誠からすっと視線を逸らした。別に同情してほしいわけではないんです、と強がる、健気な姿に受電チームは胸を打たれた。
「バリューバリューって、あのスーパーのことですか?」
「はい……」
そんな中、テクサポの紅一点、派遣社員の山﨑志穂里が反応した。
バリューバリューはこの地方では有名なスーパーである。お惣菜の味に定評があり、県外にも店舗があり、数年前テレビ番組の特集で取り上げられて以来、営業店舗が増え続けている右肩上がりの企業だった。
「それは大変だね」
山﨑はパソコンから目を離すことなく洋人の言葉に頷いた。
「こっちに直接電話があったの?」
志穂里の向こうで、穏やかな表情と共に尋ねてきたのはテクサポのグループ長の枡だ。黒縁の眼鏡をかけた枡は、掴みどころのない表情でポリポリと白髪交じりの頭を掻いた。
「いいえ。第一営業部を経由して来ました。個人契約なので、こちらで対応できないかと……」
それで、問題点を洗い出すために電話確認で切り分けを行ったが、問題は見当たらず宅内設備を確認するよう伝えたところ、温度感が一気に高まったのだと洋人は説明する。
「これ以上交渉の材料がないんです。訪問するにも問題特定しなければならないので、営業だけでは厳しくて、テクサポからもどなたかに同行していただけないかと思っているんですが……」
洋人は眉を寄せ、縋るような目で枡を見る。
「そうか……」
うーん、と枡が首を傾げた。
「家にいる時ぐらいゆっくり休めばいいのに。こうなってくると、テレワークも考えものだよね。満島君、完全に板挟みじゃん。可哀想」
そして、反目し合う両グループの事情など全く気にしていない山﨑は、洋人を気遣うように言葉を掛けて席を立ち、入り口付近にあるキャビネットを開いた。
大きく口を開いた扉の中は、書類ではなく細々とした機器が並んでいる。まるで、電化製品売り場のようだった。
「グループ長もピリついてて、何としてでもこの問題を収めろと……」
圧倒的に不利だったはずのコールグループの形勢は、洋人の登場から五分も経たないうちに逆転し始めていた。
主導権を握っているはずの誠の顔にも明らかな焦りの色が見える。洋人の攻撃対象が、自分からグループ長に変更されたことにいち早く気付いた誠は野良猫のように反応して、洋人を指さした。
「だからそれ。そんなクソの役にも立たない
「どっちにしてもウチのサポート外の話ですよ」
「山﨑さんの言う通り! これはコールグループの管轄!」
キャビネットをゴソゴソ探りながら横やりを入れる山﨑の言葉に、誠は大きく頷いた。しかし、その仕草とは裏腹にが、焦りの色はさらに濃厚になっていた。
「星野君、今日早番だよね?」
行動予定を確認した枡が、戦々恐々としている誠を振り返る。
賽は投げられた。
形勢は完全にコールに傾いたのだ。
「対応終わったら、そのまま直帰していいから」
ね、と桝は目を細めて確認を取る。
「ちょっと待ってください! 俺が行っても相手の設備問題ならテクサポには何も……」
「はい。これ」
山﨑が紙袋いっぱいの各種試験機を誠に差し出した。味方だと信じていた山﨑は、何のことはない。洋人が話し始めた時点で、こりゃ引き受ける方に転ぶな、と早々に見切りをつけて障害対応の試験機一式を準備していたのだ。
「ありがとうございます」
よもやの裏切り行為に唖然とすり誠の代わりに礼を言ったのは、洋人だった。紙袋を受け取るや否や、さっと背後を振り返り、
「あ、富岡君、この方に今から訪問させてもらいますって伝えて。えーっと……一時間後ぐらいかな」
受電チームのマネージャーにサクサクと指示を出す。
先ほどまでのしおらしい態度はどこへやら。誠の向かいに座っていた後輩社員は怖い物を見るような目つきでその様子を伺っていた。
「おい、お前らなぁ……!」
誠は必至になって抵抗しようとするが、もはやそんな言葉に耳を貸すものはいない。
「星野さーん、管理表付けておくのでもし今日持って帰れない機器があったら、連絡くださいね。あ、ちなみにルーターの設定はしてないので、現地でお願いします」
タカタカタカと自席に戻った山﨑の指が軽快に動く。
「こんな時こそ互いに協力しないとね」
二つのグループが手を取り合う瞬間に立ち会った枡は好々爺の表情でうんうん、と満足そうに頷いた。
(続)
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