16話 rendezvous 3〜食事中に読むべからず〜
短命な割にやかましく、それでいて光ケーブルに全く良い影響を生み出さない蝉という生物を、誠は心の底から毛嫌いしていた。
誠がネットワークセンターに入社した時には蝉対策の光ケーブルが普及していて、蝉害と呼ばれる事例はほぼなくなっていたが、直属の上司であった山﨑凰介は正にその渦中で対応した当事者の一人だった。
『——でさあ、交換した光ケーブル見たら、何十個って穴が空いてるんだよ』
ある夜勤の日、昔話のように蝉害の状況を語った山﨑の言葉に、誠は心の底から震え上がった。蝉が光ケーブルを木の枝と勘違いして産卵するという話も、光ケーブルの中にある孵ることのないその命も全部、気持ち悪いと思った。
あまりのおぞましさに吐きそうになり、その日から誠は蝉が嫌いになった。
誠には男子にはありがちな、蝉取りをして遊んだ記憶がない。子供時代の誠は、母親のネグレクトによる空腹で、いつも食べ物のことを考えていた。公園に行っても同級生と遊ぶことはなく、蝉本体はマズそうだが、殻ならスナック菓子みたいに食えるのではないか……なんてことを想像する毎日だった。もともと碌な思い出がない上に、山﨑の話を聞いてしまったものだから、それが決定打となったのだ。
地面に転がる蝉が、一歩近づいた途端ゾンビのように生き返りジジっと声を上げようものなら、色々な感情と共に湧き上がってくる思い出ごと、すぐさま踏んづけてとどめを刺したくなる。
気持ち悪さのレベルで言えばもう一つ、誠は昨年の障害対応で
ネット接続不安定という内容で、実際光回線も頻繁にアップダウンを繰り返している家だった。宅内にある余剰ケーブルの屈曲かドロップケーブルの接続不良が原因だろうと工事会社を派遣し、まず宅内を確認してもらったら詳しい説明もないままいきなりONUの交換を打診された。歯切れの悪い電話対応に何か事情があったことを察しつつ現地対応の要請に従うと回線は安定し、無事に対応を終えたのだが、その数分後、担当から入電があった。
『星野さんっっっ‼︎ あの部屋マジヤバかったっす! 一歩踏み入れたらゴミだらけで、ONUの中にゴキブリがいっぱい詰まってガサガサしてて……!』
報告というより悲鳴に近い訴えだった。
電話をかけてきた担当者に事の顛末を聞くと、屈曲の原因はGだった。しかし、屈曲云々以前に、ゴミに埋もれ、Gの巣窟と成り果ててしまった装置の汚れがあまりにも酷く、それを客の前で明け透けに報告するわけにもいかず粛々と汚損した機器の交換を済ませたのだとか。
ゴミ屋敷とは言えGを部屋の中に解き放つのは憚られたので、ゴミ袋の中に電源を抜いた機器を入れて殺虫剤を噴霧してから処理したと言う。
復旧後、客には装置を清潔に保つようお願いし、場合によっては機器の移設を検討するようアドバイスしたらしい。正気を保ちつつよくそこまで対応してくれたなと誠は現地の担当者に感謝を伝えた。最後の最後に交換した装置はそちらに戻した方が良いか? と訊かれたが、誠は即座にそれを否定し、もう一度殺虫剤で丁寧にお焚き上げしてから産廃に出すよう指示を出した。
誠の家にだってGが出ることはある。部屋が一階にあるせいか、専用の薬剤なんかも置いたりはしているが、それでも奴らはやってくる。そんな時誠は弟と二人がかりで駆除に乗り出し、平穏な日常を取り戻すわけだが、それでもターゲットは一匹だ。二匹以上を相手にしたことはない。ONUの中が共食い必至のGの放牧場になっていたなんて、もはやホラーの世界だった。
*****
今日は、蝉のようにうるさく、Gのようにしぶとい二匹のクレーマーの相手をしなければならない。しかも、弟とだって経験したことのない未知の領域、二匹同時駆除を決行する。弟よりも遥かに切れ物で、殺虫剤とは比べ物にならない程殺傷力のある男と一緒ではあるが……。
近くのコインパーキングに車を停め、二人は現地まで徒歩で向かう。
小高い丘を切り開いて作られたこの土地は市内でも有数の高級住宅街だ。古くからの地主が多いせいか周辺の家はどれも立派ではあるが真新しい建物ではない。ただ、大きな庭と車庫が標準仕様のように完備され、そこにはもれなく高級車が停まっていた。景観も環境も申し分ない場所ではあるが、ここに至るまでの道は坂道だらけで、車での移動は必須だ。年を取った時に絶対困ると分かっているのに、どうしてわざわざこんな場所に住みたがるのだろう、と庶民な誠は不思議でならなかった。
かくして辿り着いた家の前に立ち、誠はその全容を見て無になった。
三メートルの外壁がぐるりと取り囲むその屋敷は敷地面積三百坪を超える豪邸だった。分厚い門扉の隣には、車が二台並ぶシャッター付きのガレージ、塀の向こうには手入れされた庭木と白いコンクリート製の建物が構えている。二人の位置からギリギリ見える三階のルーフバルコニーは奥行きがあり、そこには洗濯物ではなく、テーブルセットらしき影が見え隠れしていた。
いや、三階建とは聞いていたけど……
そりゃ繋がんねーよ。
切り分けの時はセッションも張られていたので、詳しい顧客情報や住居の構造など気にもとめなかった。折り返しの架電担当に宅内を確認してもらうよう伝え、テクサポの対応はそれで終わるはずだったのだ。
だから無線の電波が飛んでいるかぐらいは電話で教えろと言ったのに……。
もはや、宅内設備すらも正常かもしれない状況だ。
「なぁ、洋人……これ、どっからどう見ても鉄筋コンクリートじゃん?」
オヤジのパソコン三階っつてなかったっけ?
電柱の位置からドロップケーブルの位置は何となく想定できるが、ここからは引き留め点も確認出来ない。まさか引込み口が一階にあるとかいうオチじゃないでしょうね?
「……そーですか? 外側がそう見えるだけで、中身は案外木造かもしれませんよ?」
んなわけねーだろ。
外観からしてゴッリゴリの
洋人は誠の言わんとするところを理解できているのだろう。それ以上追及はするなとでも言いたげに半眼の棒読み状態で適当なことを答えている。
「……そう言えば、この前『ウチ、混構造なんですけど開通できますか?』っていう電話があったんですよ。一つの建物に複数の構造が混在する場合そう呼ばれるらしいですね」
「そういうコール雑学はいいから。第一営業部が渡したルーターって中継器ついてたの?」
「…………そんな気の利いたもの進呈すると思いますか? 準備したって言っても、どうせ何かのキャンペーンで配布していたルーターを横流ししただけでしょう」
誠は俄然やる気を失い、しらけた顔のまま洋人の後について行った。
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