12月
33話 黒いサンタが来る夜は 1
全社メールで一斉配信された広報からの社内連絡に、カーソルを合わせた誠の指が窄まった。
一週間放置すれば百を超えるメールが溜まることも珍しくないこの会社で、誠のメールボックスはいつ見ても綺麗に整理されている。自分に関係あるものないものの線引きが明確で、後から読もうだのひょっとしたらこれは役立つかも、などという迷いも生じない誠は、タイトルと差出人だけで判定して中身も見ずに削除することもしばしばだ。入社以来十年以上もそんな風に片づけてきた割に特段支障も起こってないということは、いかに無駄なメールが送受信されているかという証明に他ならない。
ところが、今日の誠は違った。
いつもようにタイトルを見て
初めて、自身の中に迷いが生まれた。
『クリスマスアドベント参加のお願い』
それは、広報からのクリスマスマーケットの告知だった。
市が中心となって毎年開かれるこの催しは、観光スポットや市街の広場や公園などを使った一年で最も大きなイベントである。
会場となるスポットには煌びやかなイルミネーションの装飾が施され、毎年市民の目を楽しませていた。殊、大々的なクリスマスマーケットが開かれる駅前と市役所前の広場は週末になると人でごった返すほどの人気ぶりで、会場に設置されたステージでは連日音楽やダンス等のイベントが開かれている。
二週間前の十一月下旬に足並みを揃えたようにそこここで会場の設営が行われ、街の至る所でイルミネーションを目にするようにはなったものの、十二月に入ったばかりのこの時期にクリスマスと言われても気分はちっとも盛り上がらない。
ヨーロッパの伝統に則り一ヶ月前から準備を重ねています、という大義名分の裏で経済効果を試算しているであろう役所の努力は理解できても、ハロウィン同様、一部の人間の意図によって不自然な盛り上がりを見せるこの手のイベントが誠はどうにも苦手だった。
斜に構えているとかノリが悪いとか言われてしまえばその通りだが、クリスマスアドベントどころかクリスマスそのものとも無縁の生活をしてきた誠にしてみれば、カップルだの家族連れだのがひしめき合う人ごみの中でホットワインを飲む必要もなければ、ソーセージにかぶりつく理由もない。
会社が協賛していることもあって、広報のメールには『今なら席にも余裕がありますので、皆さま奮って参加を!』とポジティブな文面が綴られていたが、裏を返せば『平日は人が集まらないので賑やかしに来い』という業務に
もともとのテンションの低さに加えて、目下節約中の誠はそんなものに興味はないと、最終的にメールを消去してしまったが、その後『洋人は行くのかな?』と、本日非番の恋人のことが再び頭を過ったのであった。
満島洋人は誠より三歳下の後輩だ。
二年前の異動で現在の職場であるコールセンターにやってきた二人は、紆余曲折を経て今ではカップルとして周囲の人間に認知される関係にまで発展した。
しかし、二人の実情はどうかと言うと、身体だけの関係という前提に変わりはなく、出会った当初から洋人が口にしている『生涯の伴侶を見つける』という目標も、誠が否定することもなかった。二人の付き合いはどちらかに正式なパートナーが出来れば即刻解消することを前提としたセフレ契約なのだ。
当事者たちの現状度外視で周囲の認知が先に進んでしまったわけだが、こうなってしまうとそれはそれで、今更否定するのもあれこれ言い訳するのも面倒くさい。そんなこんなで公認カップルとして何となく見守られているうちに、丸二年が経過していた。
来春になれば丸三年。コールセンターでの勤務歴も同じということになる。
ここまで長く続くなんて考えていなかっただけに、誠はいい加減何某かの答えを出す必要があると感じていた。五つの県をエリアに持つ会社なので、異動の可能性は常に存在する。洋人は営業部が注目する若手で、本人も上層部の期待に応えるべく、この会社での成長を望んでいる両想いの関係だ。コールセンターに異動になった背景は定かではないが、短期間のうちに色々な部署を回らせて洋人を育てながら、今後どの部署でどう活かしていくかという適性を見極めようとする営業部の意図が働いているものと思われた。
こればっかりは会社の判断なので二人が希望を出したところで思い通りに叶うものではない。
営業マンとしてこれ以上ないほど優秀で伸びしろのある洋人を欲しがっている部署は多く、一方の誠は古巣であるネットワークセンターに帰りたいと願っている。
いずれ離れ離れになってしまうことは必然で、だからこそ必要以上に干渉しない『セフレ』が丁度よかったのに、洋人に対する気持ちの変化を自覚しながら、どうしても次の一歩が踏み出せないまま誠はここまで来てしまった。
弟のこと、星野家の過去、自分のことも、誠には抱えるものが余りにも多すぎた。そこに洋人を巻き込むのかと思うと、それだけは絶対にやってはいけないと真っ当な感覚を持った別の自分が必死に訴えてくる。
嫉妬深く暴力で人を支配しようとしたあの男と、それを『愛』だと勘違いして死ぬまでそんな男に依存しようとした母。その依存体質な女の血が誠の身体の中にも流れているのだと思うと、洋人に対する気持ちにも翳りが見える。洋人と一緒に居たいのは自分が楽をするためではないのか、と。確かに洋人と一緒にいるのは楽だ。食事も奢ってくれるし、タバコに関しても文句は言われるがそれに対して制裁を加えられたことも一度もない。
自分で稼いだお金を自分のためだけに使えるんだろう? だったら少しぐらいいいじゃん。そう思っていた——そんな風に洋人を侮っていた自分のダメさ加減が最近特に鼻について、誠はふとした瞬間に落ち込むことがあった。洋人にはもっと相応しい相手がいるのでは、とそんな諦めが胸を掠めてしまう。
それもこれも気ままなセフレ関係に甘んじてもっと早い段階で手を打たなかった誠の失態だ。万が一来年の春、どちらかが異動するようなことになったら、その時は感謝の気持ちを伝えて、煮え切らない現状に終止符を打とう。
三月は洋人の誕生日がある。
そこがタイムリミットだ。
誠は小さくため息を吐いた。
来年の春というのは誠にとっては大きなターニングポイントであった。専門学校に通っている
九月の試験で見事合格した実は、ここから遠く離れた地方の役所に就職することが決まった。公共交通機関が発達してない土地のため、運転免許が不可欠ということで実は貯金していたバイト代で自動車学校に通い始めた。それ引っ越し費用じゃねーのかよ? と誠は思ったが致し方ない。そして、案の定引っ越しする金がないと言い出した弟に手を差し伸べるのは、星野家の長男であり、唯一の家族である誠の義務なのだ。
今月にはボーナスが支給され、出来ることなら全て洋人のために使いたと誠は考えてはいるが、こんな状態の弟を抱えていては予断を許さない状況である。
誠は洋人にも会社にも隠れて夏ごろからちょっとしたバイトで小遣いを稼いでいたが、昼食代が若干浮くぐらいの収入しかないため、こちらも今すぐ洋人にどうこうというのもできない。広報から泣きのメールを受け取ったところで、無駄な出費しか発生しないクリスマスマーケットなんぞに足を運ぶ気は全くなかったのだが……。
『全社メール見ました? 今日、一緒に行きませんか?』
仕事を終え、ロッカールームで自分のスマホに届いたメッセージを見た誠は、途端にその決意を翻し『了解』と返信していた。
「はぁ…………」
スマホをしまった後、深いため息を吐いていた。
会社の都合は速攻で無視するのに、洋人の要請には簡単に応じるのか? とか、自分も世の中の浮かれ頓智気共と同じように、この手のイベントに参加して喜ぶような人間だったのか? とか……。
色々落ち込むことがあり、しかもその行動の全ては洋人発端だという辺りに、もう引き戻すことはできない自身の心を知る。
こんな風になるつもりはなかったのに。
最初に粉をかけたのは誠の方だ。
同じ職場で都合がいいと軽い気持ちで洋人に手を出した。
近場でセフレが見つかってラッキーと軽い気持ちで喜んでいた、二年前の自分に言ってやりたい。
——それ、ミイラ取りがミイラになるやつだぞ——
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