34話 黒いサンタが来る夜は 2
待ち合わせの場所に到着した誠は、大通りのバス停から目と鼻の先の市役所の正面口に佇む洋人を見て足を止めた。
人の印象は最初三秒が肝心。服装は自分のためではなく相手のためにあるものだ。初対面で得られる情報は視覚が九割。だから身だしなみに気をつけろ。……というのは新人時代のマナー研修で耳にした話だが、その教訓を地でいく人間がここにいた。
一八〇を超える身長に加え、生まれ持った類まれなルックスで否が応でも人目を惹いてしまう誠に対し、洋人はごくごく普通の青年だ。顔の造作こそ悪くないものの、誠のように華やかなオーラがあるわけでもなく、特筆すべき点もないように思える……にも関わらず、人ごみの中で人待ちをする洋人は一際異彩を放っていた。
カジュアルな服装に身を包み、ワックスを揉み込んで流しただけのナチュラルなヘアスタイル。白シャツにベージュのセーター、そしてスキニーデニムと無難なコーディネートでまとめているはずなのに、周囲の風景に同化しないある種の清涼感のようなものが漂っていた。
洋人は過去のイジメの反動で並み外れた対人スキルを身につけている。その能力が存分に発揮されるのが現在の営業職で、入社後から新人とは思えない成績を上げてきた。客が何を求めているのか、本心はどうなのかそれを見抜く観察眼はもちろんのこと『自分の見せ方』というのもよく理解していて、会社では品行方正な非の打ちどころのない優等生を演じているのである。……そう、洋人は会社では巨大な猫を被り、『社員の鑑』と絶賛される『満島洋人』を演じている。それが習い性になっていて、もはや本人もその境目が解らなくなっている感はあるが、猫が剥がれ落ちた姿を知っている誠には、社員の鑑などと呼ばれてちやほやされている洋人は、皆をペテンにかけている詐欺師にしか見えなかった。
そんな詐欺師の言葉に誘われてホイホイこんな場所までやってきたわけだが、顔認証システムが搭載されたマシンの如く、一瞬で洋人を見つけてしまった誠は心中複雑な気分になった。
今日は休日仕様で、且つ相手が誠であるにも関わらず、この仕上がりである。服装に頓着しない誠であっても、洋人の服装が休日仕様の中でも特別なものだということが理解できた。今日は最初からこの服だったのか、或いはこのイベントに参加しようと思って途中で着替えたのかは定かではないが、普段のカチッとした印象のスーツとは違い、明るめの色や柔らか風合い、それを纏った洋人の表情もよりプライベートに近く、顔立ちまで幼く見える。誠だけが知る化け猫スイッチOFF状態だった。
洋人がリラックスしていることは明白で、こちらに気付いて駆け寄る笑顔が余りにも無防備すぎたため、誠は挨拶もそこそこに「スーツじゃないの?」とアホな質問をぶつけていた。
「え? 何でですか?」
不可解な質問に眉を顰め「今日、休みですよ」と当然の返答を寄越した洋人は、ダウンジャケットのポケットにスマホを仕舞った。
これが二人きりの時なら何ら問題はない。しかし、会社の行事であれば話は別だ。今日の洋人からは、いつも両肩に乗っけているはずの巨大化け猫の気配が感じられない。スーツと一緒に家のクローゼットに押し込めてきたのではないかと、誠はますます不安になり、帰路とは全く逆方向の市の中心部まで足を運んでおいて今更ではあるが、洋人を連れて今すぐ引き返そうかと本気で考えた。
「だって、これ仕事じゃん」
「そうかもしれませんけど…………」
誠の言葉に何故か洋人は憮然とする。
「仕事する気はありません」
技術畑で育ち、人の心の機微にとんと疎い誠はその言葉を額面通りに受け取り、ますます不機嫌になった洋人の真意を考えようともしなかった。『なるほどスーツの指摘がそんなに気に食わなかったのか』とまるで違う方向で納得し、洋人が落胆したことにも気づかない。
「……さすがの僕でも休みの日までスーツは着ませんよ」
そう言ってクルリと方向を変え、クリスマスマーケットが開かれている広場へと歩き出した洋人の背を見て、何かやらかしてしまったことは理解したが、コミュ障の誠にはコロコロと表情を変える洋人について行くだけで精一杯だった。
「相変わらず仕事熱心だなと思っただけだよ。休みなのに会社の事務連絡に付き合う必要ないのに」
「だって……。こんなことでもないと誠さん、来ないでしょう?」
誠は大股で洋人の横に並び、チラリと隣の様子を伺う。
「……クリスマスも夜勤じゃないですか。他に入れるメンバーいなかったんですか?」
洋人はツンとした顔で、唇の等高線だけを僅かに変化させた後、ふいっと視線を逸らして再び歩き出す。
どうやら、洋人が拗ねている原因はクリスマスのシフトにあるらしい。
洋人の指摘通り、テクサポの中でクリスマスイブに夜勤に入れる人間は他にもいた。イベント時における夜勤シフトは昔からの慣習で独身の若手がやるものだ、となんとなく決まっていた。自己申告がない限りまず家族持ちが除外される。入社から十年以上が経過した誠は若手からすると中堅どころかベテランの域で、除外枠の対象ではあるが、誠自身がいつもそれを否定していた。
誠の中でクリスマスは特別な日ではない。
仕事をしていた方が余計なことを考えなくて済む上に、テクサポ独身メンバーの中で唯一予定を調整しなくても恋人に会えるのは誠だけなのだ。そう思ったら、毎日顔を合わせている恋人と一緒に過ごしたいので夜勤はできません、とは言えなかった。
「いたけど……あいつらだって、ワイワイ騒ぎたいお年頃じゃん?」
洋人を蔑ろにしたつもりはない。
それはワーカホリックの洋人なら理解できる感情だろう。
「……じゃぁさ、サンタの恰好してチキン持ってきてよ」
「当日は大学の友人と飲みます」
「なんだ。お前も予定入れてんじゃん」
誠が笑ったら、不満げな瞳で見上げた洋人が、脇腹をドスッと肘で突いてきた。
「痛い」
「無理矢理入れたんです。誰かさんが仕事入れるから」
あれ? と誠はそこでようやく違和感を覚えた。
洋人の不機嫌の理由と自分の考えに微妙なズレが生じているのではないかと、疑問を持ったのだ。洋人は顔も広いし友達も多い。無理やりでなくとも、クリスマスの予定ぐらい秒で埋まるだろう。
「…………ひょっとして怒ってる?」
洋人に断りもなく、勝手にクリスマスの日にシフトを入れてしまったこと。
「怒っていません。後悔しているだけです」
「え? 何を?」
まさか、自分と付き合っていることを?
誠は内心焦りながら洋人に尋ねた。
「先月、誠さんの予定を押さえなかったことを」
横目でにらむ洋人がボソボソと後悔を口にした。
アラサー男子相手に、惚れた欲目全開の誠は『うっわー! かっわいいー!』と有るまじき感想を抱きながら、今すぐこの場で洋人を抱き締めたい衝動に駆られた。 そのやにさがった恋人の気配を敏感に感じたのか、洋人はますます不機嫌になってズカズカと前を歩き出す。
「お前さぁ、猫落ちてんぞ?」
やっぱり今日の……否、最近の洋人は少し様子が違う、と誠は思った。
以前より我儘を言うようになった。そして雰囲気も何だか違う。そのせいか、瞬間的に見せる表情に誠はドキっとすることが多くなって、ますます目が離せなくなっていた。セックスの時の変化はもっと顕著で身体で享受できるものだけでなく、言葉でも甘えてくる。「大好き」だとか「愛してる」だとか……持ち前のリップサービスだろうと思いつつも、誠は結構本気でそれに応えている。
「これも、仕事なんだからさぁ……」
しっかり猫を被って、いつも通り皆をペテンにかけて、しらっとした顔をしていてほしい。二人だけの時間に洋人が甘えてくるのは大歓迎だが、洋人の脇が甘くなっているのではないかと見ていて不安になるのだ。
「仕事仕事って言わないでください!」
そんな気持ちを知ってか知らずか、年がら年中ワーカホリックのはずの洋人から思わぬ反論があった。洋人が仕事を否定する姿を誠は初めて見た。よほどクリスマスのことが気に食わなかったのだろうと驚いて、慌ててフォローを入れる。
「分かった。来年はちゃんと休み合わせよう」
誠が宥める様に言ったら洋人は何とも言えない複雑な表情をして、口を閉じた。
「その代わり、お前サンタの恰好してよ。チキンは俺が準備するから」
「…………何ですか、そのコスプレフェチ」
それで納得したのか、低い声でボソっと呟きを漏らした洋人が次に顔を上げた時には、キリリと引き締まったいつもの猫被りに戻っていた。
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