【NWC】4月 あなたはどっち派?

 小石真奈美は欠伸を噛み殺しながらモニターを眺めていた。

 日々の業務をこなす傍ら、来る六月に開催される経営計画発表会の準備に追われ、多忙な毎日を送っていた最中の出来事であった。

 発表会は全員参加の社内行事という位置付けになっており、業務上どうしても持ち場を離れられない社員については、オンラインで発表会の様子を視聴できるようになっていた。

 年に一度、ほぼ全ての社員が集結する一大イベントということもあって、それを下支えする広報課も期始めのこの時期からてんやわんやの大騒ぎだ。

 しかも、今回の経営計画発表会は創業三十五周年の節目ということもあって、昨年とは少し違った趣向を凝らしていた。

 その一つとして企画されたのが、年鑑誌イヤーブックに掲載するアンケートだ。アンケートの質問は会社に関わるものと、社員の人となりを掘り下げるものを織り交ぜ、全部で十問。真奈美は今正に、そのチェックに追われていた。


 二ヶ月ほど前、グループウェアの掲示板に公開されたアンケートは、二十日の期限を設けてより多くの社員に回答を貰えるよう、締め切り間際にリマインドメールも送信した。

 努力の甲斐あって約九割の社員が返答してくれたのだが、広報課の社員にはその集計作業が待っていた——と言ってもWebサイトを利用しているため、どの質問に何票という数字はアンケート締め切り時点で既に結果が出ている。問題はアンケート結果に彩を添える自由筆記の内容で、真奈美と後輩は何百という返信の中から、各質問毎に「これぞ」というウィットの効いた回答をピックアップしなければならなかった。

 年鑑誌は社員間のコミュニケーションを促進する狙いもあるため、堅苦しい雰囲気は程々にする一方で、冊子になって後世に残るものである以上、砕けすぎてもいけないという、繊細なバランス感覚が要求されるものであった。掲載する内容はたたきがあるが、今回のアンケートの結果のについては、一からレイアウトを作成する必要がある。上長からも年鑑誌のテーマや構成は事細かに指示されているため、こちらの意図に見合った回答を見つけ出すのは骨の折れる作業であった。

 昼食後で眠気が増す中、十把一絡げの回答を目視で確認なんて拷問以外の何物でもない。更には、普段大人しくしている人間に限ってこんな時こそ目立ってやろう、という自己主張バリバリの回答をしてくるから、尚面倒だ。


「今年の社内の重大ニュースって言ったら、やっぱ一位はですよね……」


 真奈美の隣で作業していた後輩の池田が画面をスクロールさせながら話しかけてきた。眠気覚しのコーヒーカップの隣には、チョコレートの紙屑が転がっている。


「あー、『誠ロス』? 全体の三割だっけ? 年鑑誌に掲載出来ないって分かってるのに、皆よく回答するよね」


「それだけ衝撃が大きかったってことですよ。経理一課の奥枝さん、ニコニコしながら探り入れてくるんで躱すの大変で。……あれはかなり焦ってますね」


 辟易した様子の後輩を見て、苦笑する真奈美の脳裏に一人の女性の姿が浮かぶ。

 経理一課の奥枝美保子は、真奈美より二つ上の先輩社員だ。特別美人というわけではないが、自分の容姿に並々ならぬ自信を持っており、この世の男は皆自分を好きになる、と勘違いしている節がある。次期お局筆頭株の彼女は人に媚びることを恥とも思ってない上に、自身の中に確固としたカースト制度を設け、下位と見なすや否や誰彼構わずマウンティングしてくるような灰汁の強い女性だった。

 美保子は権力、財力、見た目、学歴と傍から見ても非常に分かりやすい基準に沿って行動している。イライラすることはあっても、正しい取り扱いさえ覚え、適切な距離を保っていれば対処に困ることはないのだが、広報課の人間は仕事柄、派手な仕事がメインで、上層部の人間と接触する機会も多いため、美保子のすり寄りのターゲットになっていた。中でも、池田は広報課で最も社歴が浅く、まだ脇が甘い部分もあるため、美保子にロックオンされてしまったようだ。


「そりゃね。淑女協定を結んだ推しメン二人がくっつくなんて、女史にとっても想定外だったでしょうよ」


 そんな典型的カースト女子の美保子が、特に気に入っている社員がいる。

 一人は保守の星野誠。そしてもう一人が営業の満島洋人だ。

 二人ともイケメンと言って差し支えのない容姿の持ち主だが、殊、星野誠については比類のない美貌の持ち主で美保子に限らず、社内外の女性の憧れの的になっていた。

 入社直後、社長直々に企業パンフレットのモデルになってくれと声をかけられた話は有名で、誠の写真は今でも制服紹介のページに掲載されている。

 愛想笑いの一つも浮かべない、企業パンフレットのモデルとしてはあるまじき無表情だが、そのクールさがファッション雑誌のモデルみたいでカッコいいだの斬新だのと、男女を問わず支持を得ているという話である。

 当然、美保子の入れ込みっぷりも尋常ではなく、彼女主導の元、社内では誠に対する淑女協定なるものが制定された。協定を結んだ女性は部署も年齢も問わずそこかしこに存在し、誠に近付こうとする女性はすぐさま彼女らによって粛清されてしまう。そんなこんなで入社当初はチラホラ耳にした誠の恋愛話もいつしか消え去り、更には当の本人のやる気のなさも相まって不可侵、孤高の王子様が誕生した。


 一方の満島洋人は、入社四年目の若手営業マンだ。クールビューティーの誠とは対照的に気さくで人懐っこい彼は、入社当初からトップクラスの成績を収めている営業部期待の新星だった。その活躍は目覚ましく、営業部門の長たちは是非我部署に! と洋人を巡り互いをけん制しあっていると聞く。

 真奈美も何度か洋人と仕事で接したことがあるが、とにかく人の懐に入るのが上手い男だった。他愛のないテレビの話から小難しい経済の話までどんな話題を振られてもついていける上に、聞き上手でもあるので、話す方もすぐに打ち解けて心のガードが緩んでしまう。

 美保子にしつこくされて嫌がる社員は数いれど、そんな女史にそうと気付かせぬまま、ひらりひらりと攻撃をかわしている洋人のコミュ能力は、さすがとしか言いようがなかった。

 そんな二人が一昨年コールセンターに異動になった。


「にしても、本当なんですかね? あの二人が付き合ってるって。コールセンターって根も葉もない噂でもすぐに蔓延しちゃうじゃないですか」


 ふわわ、とあくびをする後輩の画面にはチラチラと『誠ロス』という文字が見える。今年一番のビッグニュースは? という質問に対し、実に三割の人間がそう回答してきたのだ。遠慮して書かなかった者、書きたくても書けなかった者も含めたら、この数字はもっと膨れ上がっていただろう。


「ま、そうなんだけど、今回はガセ情報も流れてこないんだよね……。男同士だから敢えて否定するまでもないと思ってんのか……」


 或いはそれを否定する情報が流れないのか……。

 まぁ、あの男だったら何があっても驚きはしないが……。

 真奈美は美貌の同期を思い浮かべる。


 入社当初……否、面接の段階で既に星野誠は有名人だった。その秀麗な姿を目にした瞬間、一体どこの芸能事務所からやってきたのかと採用試験の会場で皆がその場違いっぷりに驚愕した。とんでもないイケメンが面接を受けている、というので女子学生のテンションは爆上がり、面接官ですらも誠の顔に見惚れるという異常事態が発生するほどだった。

 そして晴れて迎えた入社式。誠の姿を見て内心ガッツポーズを作った女性たちは、早速誠と懇意になるべくあの手この手でアプローチを開始した。

 まだ奥枝美保子の包囲網が形成される前、同期という奇跡の共通項でその戦いに挑んだ面々だったが、チョモランマよりも高い誠の前にことごとく惨敗し、晴れてその栄冠を手に入れたはずの真奈美の友人も、その幸せを長く継続することはできなかった。

 まず第一に誠のシフトの問題があった。夜勤があってただでさえ予定を合わせにくいのに、休みであっても誠は当番制で緊急携帯を持たされ、非常時には何をしていようと呼び出しに応じなければならない。

 そして、誠の人間性にも問題があった。

 真奈美は、同期から愚痴を聞かされていたが、甲斐性なし、思いやりなし、相手に対する興味なし、と聞けば聞くほどどうしようもない最低男だった。

 そんなこんなで、誠に対する真奈美の印象は、かなり早い段階で失墜した。もともと星野誠に対してそれほど興味を持っていたわけではないが、その友人も退職した今、真奈美が誠の話を口にすることもなくなった。そこここで噂話題を耳にすることはあっても、真奈美自身がその話題を第三者に提供することもない。

 それは、真奈美が広報課という個人情報に一際うるさい部署に籍を置いていることにも関係している。部署の垣根を超えて活動する広報課には、そこで知り得た情報については他言無用のルールが徹底されていた。広報課の人間は一旦自分の部署の外に出ると、休憩時間であっても酒席であっても、他人の噂話は絶対に口にしない。派手な印象とは裏腹に、口の堅さでは社内随一を誇る部署なのであった。


「小石さんの方にそういう話、入ってきてないんですか? 確か、同期でしたよね?」


「全然。ってゆーか、星野君、同期会とかそういう飲み会来な……」


「うおおっ!」


 真奈美が喋っている真横で、突如池田が声を上げた。あまりにも大きな声だったので、パーティションの向こうにいる情報システム部の社員が何事かとこちらを振り返っている。


「なによ?」


 突然大きな声なんか出して! と真奈美が視線で後輩を諌めると、池田はチョンチョンと画面を指した。

 真奈美が隣の席に身を乗り出して画面をのぞき込むと、渦中の星野誠のアンケート回答があった。


*******

『あなたはどっち派?』


Q1 目玉焼きにかけるなら、ソース派、醤油派?

「ケチャップ派」


Q2 ペットを飼うなら、犬派、猫派?

「金がかかるのでどっちもいらない」


Q3 朝食は、ご飯に味噌汁派、パンに牛乳派?

「パンと味噌汁」


Q4 食べるならどっち? きのこの山派、たけのこの里派?

「すぎのこ村派」


Q5 旅をするなら 温泉派、遊園地派?

「近場の温泉(スーパー銭湯可)」


*******

 

「見事なまでに最低な回答ですね……」


 池田が忖度のない意見を述べる。後輩ながら、なかなか見る目があるな、と真奈美はそれを聞いて感心した。

 これが誠の親衛隊であれば、今晩からでも、目玉焼きにケチャップをかけるような行動に出るに違いない。


 そうなのだ。星野誠とは、こういう人間なのだ。

 人の意図するところを見事に踏み外してくる。そこに悪意があるかないかは定かではないが、世の女性はこんな幼稚な男を祀りあげてキャーキャー騒いでいるのだから、不思議でたまらない。


「ん……?」


 あれ? ちょっと待てよ。

 真奈美は何か引っかかるものを感じて池田のパソコンから体を離した。


「どうしたんですか? 小石さん?」


 突如、何かに取り憑かれたように自分のマウスを動かし始めた先輩社員に、池田は小首を傾げる。


「いや、なんかこれ……」


 真奈美はマウスを動かすのも億劫だと言わんばかりに、画面右端のスクロールバーを上に移動させた。猛烈な勢いで画面が動き、ある程度のところまで行ったところで、再びアンケートの集計画面が表示された。

 そこからまた、画面をスクロールさせた真奈美は、目的の回答を発見して池田を手招きする。


「何か、似たような回答見た気がしたんだよ。あ、ほら、これ」


*******

『あなたはどっち派?』


Q1 目玉焼きにかけるなら、ソース派、醤油派?

「出されたものは基本そのまま頂きますが、強いて言うならケチャップ派です。」


Q2 ペットを飼うなら犬派、猫派?

「スーツに毛が付くのでペットは飼いたくないです。」


Q3 朝はご飯に味噌汁派、パンに牛乳派?

「主食はパンが多いですが、スープは何故かいつも味噌汁です。」


Q4 食べるならどっち? きのこの山派、たけのこの里派

「どちらも甲乙つけ難いくらいに好きですが、忘れられない味は従姉妹から貰ったすぎのこ村かも。」


Q5 旅をするなら 温泉派、遊園地派?

「見た目、遊園地派と思われがちですが、実は温泉派です。休日に一人でこっそりスーパー銭湯に行く、なんてこともあります(笑)」


*******


「丁寧に書いてるだけで、最低な回答に変わりないですね」


 またもや池田が的確な評価を下す。


「でしょ? いや、こういう回答してくる奴がいるだろうな、とは思ってたのよ。星野君といいさ、こんな面白くもなんともない答え、イヤーブックに掲載するわけないだろ、って。ちょっと考えればわかりそうなものだけど」


「いや、普通に答えた結果がこれなんじゃないですか? 回答はあれですけど、星野さんのとは違って、ちょっと楽しそうな雰囲気が伝わってきませんか? ……このカツコ笑い、とか」


「ああ、天邪鬼じゃなくて、こっちは残念な生き物系ってこと? ……なるほど。そうかも」


 歯に絹着せぬ真奈美の言葉に、池田は笑いを噛み殺している。


「それ、誰の回答ですか?」


「えーっと……」


 今回のアンケートは、所属部署のみ必須で、氏名の記載は任意となっている。解答率を評価するために、社員番号はデータとして裏に持っているが、社員名簿を取り寄せない限り、人物を特定することはできない。氏名の記載がない者は、大半は匿名希望か、イニシャルを指定しているようだった。


 問題の回答者は『コールセンターH・M』


「小石さん、これって……」


 おそらく、真奈美と同じことを考えたのだろう、池田が何か言いたそうにこちらを見る。


「二人で申し合わせて回答したんですかね?」


「いや。回答時間見てみ」


 真奈美はそう言って、自分のパソコンを指差す。


「こっちは、リリースした初日。しかも時間は十二時七分。多分、休憩に入る前に回答してる」


 多忙な二人は座席表を引っ張り出して、イニシャルH・Mなる人物が何人いるのか確かめることまではしなかったが、アンケートリリース初日の昼休みに、デスマス調で生真面目に回答を寄越すコールセンター所属のH・Mなど、一人しか思いつかなかった。


「でもってそっちは?」


「えーっと……締切日の前日の朝……九時十五分ですね」


「そうでしょ? 星野君のことだから、くだらねぇ、とか言って放置した挙句、締切間際に上長にお尻叩かれて、やっつけで回答したんだよ。その時間、朝礼終わってすぐぐらいでしょ?」


「さすが同期。なかなかの考察ですね」


 ほう、と二人して深いため息を吐く。


「……やっぱ、あの二人付き合ってるんですかね?」


 すっかり毒気を抜かれた様子の池田は、再び自分のパソコンに向き直った。そして話は周回し、そんな疑問がまた二人の脳裏を横切った。


「まぁ、真相は分からないけど、もし、本当だったとしても……」


 真奈美は冷たくなったコーヒーをぐっと飲み干し、気合を入れなおす。


「……相性だけはばっちりなんじゃない?」


 すぎのこ村ってなんやねん⁉︎

 素直に二択で答えんかい!


 ツッコミたいことは山ほどあるが、残念ながら真奈美も池田もお笑いのセンスまでは持ち合わせていなかった。

 そして、箸にも棒にもかからない二人のアンケート回答は、年鑑誌の完成と共に真奈美と池田の手によって、誰の目にも触れることなく自社サーバーの奥深くに埋葬されたのである。


(完)



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