特別編 魔法が切れる前に
あ、颯君いた。
えーとあっちの出口から降りればいいのね
『――お出口は左側です。お降りの際は電車とホームの間が空いているところがありますので、足下にご注意ください。』
「颯君こんにちは」
「慈枝さん、ようこそ」
颯君、いつもよりかっこいい。やっぱりイブってことで意識してるのかしら。
「もう、初めてじゃないんだから“ようこそ”はおかしいかも。コンサートの開場時刻は14時だっけ?」
「そうです。食事していきませんか?」
「そうね、時間もあるし」
慈枝さんはいつもキレイだけど、今日は特にキレイだな。
正式に付き合って3ヶ月以上経ったけど、いつも迷う。俺は今日何をなすべきかと。
あまり大胆に迫ると引かれてしまうかもしれない。
迫らないと、関心がないと思われるかもしれない。
「ここに予約を入れてるよ」
「Bistro Gascogne(ビストロ ガスコーニュ)、なかなかいい雰囲気のお店ね」
「友達や会社の人に聞いたところ、ここが料理、雰囲気ともに良いということで」
ここが、颯君のいい所よね。
ネットの、どこの誰ともわからない人の口コミを鵜呑みにするんじゃなくて、信頼できる人に当たるところ
『いらっしゃいませ』
「予約しています涼原です」
『はい、お待ちしておりました。お席にご案内します』
…………
「おいしかったー、いいお店を紹介してもらったんだね」
「気に入ってもらえてよかったよ」
よし!気に入ってもらえた!
これで、気に入ってもらえたお店はランチ3,ディナー2、いいぞ。
「ちょうどいい時間になったし、コンサートに行きますか」
「うん」
…………
『いらっしゃいませ。パンフレットをどうぞ』
「フンフン、オーケストラもだけど、指揮者も結構有名な人ね」
「はい、ソプラノ、アルト、テノール、バリトンの各独唱も有名な声楽家ですよ」
「パンフレットもなかなか立派ね…これ、結構高かったんじゃない?」
「えっと、慈枝さんに喜んでもらおうと思って」
バカ…
「颯君、無理してない?」
「だ、大丈夫ですよ」
「私はね、颯君と一緒できるのが一番いいんだからね、あんまり背伸びしないでね」
「うん」
「とはいっても、第九のコンサートは久しぶり。機会をありがとうね」
「喜んでもらえてうれしいです」
「そんなにかしこまらなくていいよ。いきましょ」
♫
Seid umschlungen, Millionen! Diesen Kuss der ganzen Welt!
Brüder, über'm Sternenzelt Muß ein lieber Vater wohnen.
Ihr stürzt nieder, Millionen? Ahnest du den Schöpfer, Welt?
Such' ihn über'm Sternenzelt! Über Sternen muß er wohnen.
「よかったわ~、やっぱり第九はいいわ」
「うん、ベートーベンの魂の力がぶつかって来てるみたいだ」
「颯君、いいこと言うね」
やった、慈枝さんに褒められちゃった。
「An die Freudeは、フリードリッヒ・シラーの詩だけど、ベートーベンは22歳の時にこれを知って、曲をつけようと思ったんだって」
「あれ、ベートーベンって耳が聞こえなくなったんですよね?」
「まだ、この時は大丈夫だったみたい」
「で、第九の作曲は45歳ごろから始まった」
「その時耳は?」
「もう聞こえなくなってた」
「音楽家が耳が聞こえなくなるなんて致命的だと思うんですけど…もう偉大な人としか言いようがないですね」
「だから“楽聖”と呼ばれてるのよ」
颯君、手を出してこないわね……といってもcafeじゃ無理か。
ん-どうしようかな……
あんまり過激に手を出されても困るし……
「ねえ、どこか景色のいい所に連れてって」
「はい、えーと、すぐ着きますよ」
「お願いね」
…………
「はい、着きました」
「ここはどういうところ?」
「なんでも、戦国時代の城というか砦の址だそうです」
他には誰もいない。
「ふーん。石垣とかあるの?」
「いや、石垣はなくて
「ちょっと、外でてみます?」
「寒いから出ないよ……」
……ヨシ!
「あ、あの、慈枝さん……顔が近いです」
「近づけてるんだもん、当り前よ……颯君は私のことが好き?」
「は、はい、俺は慈枝さんが好きです」
「でも、手を出さないわよね。私魅力ない?」
「えっ……あの慈枝さんは魅力的です。でも、引かれてしまうのが怖いんです」
やっぱり。
セクハラだのなんだのとしたり顔で言ってる連中がすべて悪い。
私と颯君の時間を返せ!
「そんなに臆病にならないで。私、イヤなものはイヤというけど、よっぽどのことでない限り、その後の付き合い方を変えたりしない。要は、後を引かない、嫌いにならないということだから安心して」
「は、はい」
「帰りの電車が決まってるんだから、会ってる時間を大切にしましょ」
そう、その日までは……
「私も颯君のことが好きよ。忘れてないでしょ」
「はい。……あの、キスしてもいいですか」
「初めてじゃないんだから、いちいち許可を求めないで……誰もいないんだから、いつもより……ね」
颯君、今まで気が付かなかったけど、腕も胸板もたくましくて…キスもいいけど、ハグされてるだけでもうれしい。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
いつもより、その濃厚な、キスを交わしたからかな、別れがつらい。
いや、特急で2時間だから“別れ”って言うほどのものじゃないけど…
「ねえ、ギュッとして」
「うん」
『――行きが到着します。黄色い点字ブロックまでお下がりください。この列車は10両編成です。足元の特急乗車口1号車から10号車のところでお待ちください。停車駅は――』
「慈枝さん。電車来るよ」
「うん……次は、初詣よ」
体を離す瞬間が一番つらいよな。こーちゃんや
ああ、そうだ、ひいおばあちゃんはどうやって乗り越えたんだろう。
「はい。俺が慈枝さんちに行きます」
「うん、そのまま実家に行って、初詣にいきましょ」
「慈枝さん、もう乗らないと」
「「じゃ、またね」」
電車は見えなくなった。
この時間が一番空虚なんだよな。
あ、
「おばあさん。荷物持ちますよ」
「ああ、ありがとうね……見てたよ、Cinderella expressだね」
?
「なんです? Cinderella expressって」
「Cinderella expressっていうのは――」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ご訪問ありがとうございます。
三人称視点に挑戦してみましたが…どうでしょうか
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます