TOUSHIN

明日出木琴堂

TOUSHIN

このお話は、東洋の何処かの島国で行なわれていた奇妙奇天烈な風習のお話でございます。

その何処かの島は緑深く、自然の恵み豊かな島でございました。その豊かな地に沢山の部落が形成され、沢山の人々が住んでおりました。

いつもは穏やかで静かに暮らしている部落民達も、大昔から伝わる十二年に一度執り行われる部落対抗の奇妙な祭にだけは我を忘れて騒ぎまくるのでございました。

この奇祭…、今ていでご説明すれば、闘犬や闘鶏の類でございます。

部落毎に予選会の様なものが行われ部落の代表者を選出いたします。

その代表者が一堂に会して闘い争う。勝者は子子孫孫、神と崇められ、部落に幸を持って来る英雄と讃えられ、格別の待遇を与えられるのでごさいます。

勝者は地位と名誉の総取り…。と、言ったところでございます。

今日で言うところのスポーツ競技に於ける世界チャンピオンの様なものでございます。

ただ、この奇祭、奇祭と言われるだけあって、本人が直接闘う訳ではございません。

己の意思を宿した闘身(身代わり)に闘っていただくのでございます。 

今も何も知らず、欲と夢だけでこの様なものに身を投じようとする小娘が一人…。


「弟子入り?」と、小娘の目の前にいる老女は不思議そうな顔しておりました。

「けったいなこと言いはるなぁ。なんかの間違いでは…?」老女は惚けます。小娘の言っていることを理解する気はさらさらないようです。

「あんたはんが、嘗てこの部落の闘地神(部落の代表選手)になりはって、その年の闘神祭(本大会)の覇者でありはる闘神(チャンピオン)やったと知った上でのお願いだす。何卒、うちの弟子入りのお許しを…。」小娘は地面にでこをおもいっきり打ち付けました。この時の小娘の声は、老女の立派な大きな屋敷の隅々まで響き渡る程の勢いでした。

「おまはん。なんか、勘違いしてはんのと違いまっか。あてはそないなもんやないで。」と、老女はあくまで惚けます。

「闘神(チャンピオン)、お願いします。どうかうちを弟子に…。」

「しつこいもっさい小娘やなぁ。おまはん、どっから来たんや?」

「山奥深遠村です。」

「えらいド田舎やないか。」

「へぇ。」

「仮の話やけど、あてが嘗て闘神(チャンピオン)やったとして、おまはん、いったい何になりたいんや?」

「うちも闘神(チャンピオン)になりたいんだす。」

「へぇ…。闘神(チャンピオン)にかえ。」

「そないだす。」

「十(10歳)程のおまはんに、勝ち進める技量があるんかえ?」

「それは…。分らしまへん…。」

「見込みも技量ものうて、簡単に勝てるはずあらへんがな。」

「その通り…、だす。」

「せやのに闘神(チャンピオン)になるか?」

「はい…。石に食らいついてでも…。」

「おもろいこと言いはるな。ええ加減、片腹痛いえ。なんでや?なんでそこまで思とるんや?」

「じぇじぇこ(お金)と面目のためだす。うちのおとんも前回の闘神祭(本大会)を目指しましてん。せやけど、おとんはあんなこんまい部落の闘地神(部落の代表選手)にすらなれなんだ。ほんまは厳しい修業の途中で逃げたんや…。おかんが言うてはった。情けない…。」

「ほないか。」

「そのせいで、おかんは…、おかんは…、えげつない目におおた。口では言えん程のえぐい目におおた。ほんで、おかんは…、頭がいってもた。うちもいじめられた。家も落ちぶれた。ほんま…、悔しおす…。」

「ほんで。」

「うちは見返したいんや…。部落の奴らの頭を下げさせたいんや…。あいつ等に復讐したるんや…。うちの全てを賭けてでも…。」

「ようある話やな。…。…。…。ほなこれ。」と、老女は、小娘の目の前に小石程の白い粘土の様なものを投げ捨てました。

「…。」小娘はじっと白い粘土の様なものを観察しております。

「強い恨み辛みでもあらへんと忌まわしい厳しい修行を克服して、闘神祭(本大会)には勝ち切る事は出来まへん。おまはんがこれの目を覚まさせたら、弟子にしてあげます。」

「これは何でしゃろか…?」

「これが闘身(身代わり)やがな。」

「ええ…!?これがですか…?」

「そうや。これがおまはんの代わりに闘こうてくれはる闘身(身代わり)の卵や。」

「ほな…。うちはこれからどないすれば…。」

「今日からここの納戸に、おまはん住まわしたるさかい。あての身の回りの世話、あての言い付ける修行、ほんで闘身(身代わり)のお目覚め…、これらをやりなはれ。」

「おおきに。おおきに。それで、闘身(身代わり)のお目覚めはどないすれば…。」

「今日から闘身(身代わり)を肌見離さず持っといて、手が空いてたら優しゅうこねたるんや。」

「はい。分かりました。」


この日から、小娘は腹に晒を巻いて、その中に闘身(身代わり)を忍ばせるようにいたしました。

闘身(身代わり)は、本当に粘土の様で色々と形を変えられました。そのおかげで、小娘は闘身(身代わり)を薄く伸ばして晒の中に忍ばせる事が出来たのでございます。

この闘身(身代わり)の変形可能の特徴は、暫くの間、老女の身の回りの事するのにも、小娘の修業をすんのにも邪魔はならず大変重宝いたしました。


そして、小娘の一つ目の修業は、背中から後ろにこける事でございました。

背中を丸めて、顎を引いて、後ろにこけても頭を打たないようにする練習でございます。

兎に角、地べたの上でも、草むらの上でも、川砂利の上でも、所かまわずこける。

誰かに押されてこける訳ではなく、小娘の意思でこけとるのですが、これが滅茶苦茶痛い。手加減して転んでも滅法痛い。

三日もすれば小娘の背中の皮は切れだし始めます。継ぎ接ぎだらけのぼろぼろ着物に血が滲みます。

それでもこけるのを続けておりますと、小娘の背中の皮が段々と厚なってきます。血が滲まないようになってまいります。

そして小娘は、修業の合間や、寝る前のひと時に闘身(身代わり)を優しく練っておりました。


住み込み始めてひと月程経ったある日、小娘がふと闘身(身代わり)を見てみると、闘身(身代わり)の白かった色が、小娘の肌の様に薄汚れた日焼けした色になっておりました。

小娘は慌てて変わり果てた闘身(身代わり)を老女ところに持っていきます。

「お師匠様。お師匠様。これ見てくんなまし。」

「なんや。うるさいな。」

「これ。これ。」小娘は老女の前に闘身(身代わり)を震える手で差し出しました。

「へぇ…。おまはん、ここに来てどんぐらい経った?」小娘の手の中のものを見た老女は小娘に質問いたします。

「ひと月過ぎた位です。」

「ほないか…。おまはん、闘身(身代わり)と相性ええんみたいでっせ。」

「そないですか。」

「まだまだ、闘身(身代わり)はお目覚めやないけど、おまはんの事は気にいってはるみたいやな。」

「ほんまに。」

「ほんまや。安心しよし。」

「嬉しおす…。」

「おまはん、お名前は?」

「小枝だす。」

「ええ名、もろとるな。ほな小枝。」

「はい。」

「今日から闘身(身代わり)のお世話を変えますさかいに。」

「はい。」

「今日から寝る前に、髪を櫛でといたあとのおまはんの抜け毛を闘身(身代わり)に練り込むんや。」

「はい。」

「毎晩毎晩だっせ。」

「はい。」

この日から小枝の闘身(身代わり)のお世話と、修業の内容が変更されました。


小枝の二つ目の修業は走ることでございました。何かにつけて走る。時間があったら走る。呼ばれたら全力で走る。兎に角、走る。走るのみでございます。

初めは直ぐに息が上がっておりました。。口の中に血の味がします。足の筋肉がこむら返りを起こします。

何日かして、ぼろ草履が切れてからは裸足で走っておりました。その結果、直ぐに足の裏が裂けます。傷口が腐ります。それでもそのまま走り続けておりますと、足の裏の皮が厚なりました。おかげで小枝の足の裏は裂けないようになりました。

そして、一日の終わりには、老女の言い付け通り、寝る前に櫛でといた髪の抜け毛を一本、闘身(身代わり)に練り込んでおりました。


そんな日々をひと月程過ごしたある日、小枝が闘身(身代わり)を見てみると、小石程だった闘身(身代わり)が握りこぶしぐらいに大きくなっておりました。

小枝は慌てて老女に見せにまいります。

「お師匠様。お師匠様。これ見てくんなまし。」

「小枝。なんや。」

「これ。これ。」小枝は老女の前に両手で持った大きくなった闘身(身代わり)を差し出しました。

「やっぱりおまはん、闘身(身代わり)と相性ええんかもな。」と、言った老女は焼けた肌色の拳大の闘身(身代わり)を両手に取ってお手玉でもする様に空中に何度か投げ上げました。

「そないですか。」

「ほな、今日から闘身(身代わり)のお世話、変えまっせ。」

「はい。」

「おまはん、次は目糞、鼻糞、耳糞、へそのごま、…等々、を闘身(身代わり)に練り込んでみ。」

「えっ…。分かりました。」小枝は『そないなことしてええんか?』と、いう気持ちなりました。

しかし、小枝はその日から老女の言う通りに彼女の体から出た老廃物を闘身(身代わり)に練り込んでまいります。


そんなことをまたひと月程行っておりますと、おかしな事に、握りこぶし大だった闘身(身代わり)が、人の顔程の大きさになりました。

小枝は慌てて老女に報告に行きます。そして、また変わり果てたそれを老女に見せます。

すると老女は「今日からおまはんの体のあちこちを拭いた手拭いで闘身(身代わり)をくるんで、おまはんの寝起きしとる納戸に置いときなはれ。もう持ち歩かんでええさかい。」と、指示をしました。

「はい。」

「毎日、おまはんの体を拭いたきちゃないきちゃない手拭いで包むんやで。」

「はい。」小枝は老女の言い方に羞恥心を覚えます。

そしてこの日から、闘身(身代わり)のお世話と、小枝の修業の内容がまた変わりました。


小枝の三つ目の修業は森の木々を手で叩くことでした。平手でも。拳でも。兎に角、力いっぱい叩く。

その結果、修業開始から直ぐに小枝の手の皮は切れて血だらけとなります。そして小枝の手は考えられない程に腫れ上がります。

手を握り締めることが出来なくなりました。箸も掴むことが出来ません。それでも小枝は木々を叩き続けます。


そんな日々をひと月程過ごしたある日、手拭いを変えようと闘身(身代わり)を触ってみると、粘土の様に柔らかかった闘身(身代わり)が、鋼鉄の様に硬くなっておりました。

小枝は慌てて老女に見せにまいります。

「お師匠様。お師匠様。これ触ってくんなまし。」

「うっさい。小枝。なんや。」

「これ。これ。」小枝は老女の前に硬くなった闘身(身代わり)を恐わ恐わと差し出しました。

「順調でんなぁ。」老女は闘身(身代わり)を曲げた人差し指の関節でコンコンとこつきながら言いました。

「そないですか。」

「ほな、今日から闘身(身代わり)のお世話を変えますえ。」

「はい。」

「今日から納戸に置いとった闘身(身代わり)を庭の平たい置き石の上に置くんや。」

「はい。」

「おまはんは今日から毎日、置き石の上に置いた闘身(身代わり)を蹴とばすんや。」

「そないなことして罰当たりまへんか?」

「大丈夫や。これが今回の闘身(身代わり)のお世話とおまはんの修行やから。」

「はい。」

「そん時にな『闘身(身代わり)どうかお目覚め下さい。』っうて、念じながら蹴とばすんやで。」

「はい。」

「おまはんとほんまに相性良かったら、闘身(身代わり)は応えてくれるよって。」

「分かりました。」


この日から小枝は庭の置き石の上に置いた闘身(身代わり)を蹴とばすことになりました。

老女の言い付け通り、一度蹴とばすたびに『闘身(身代わり)どうかお覚醒め下さい。』と、念じながら蹴っております。

ただ、闘身(身代わり)は、滅茶苦茶硬かったのです。何故か、庭にある置き石に運び終ったあと、闘身(身代わり)は、滅茶苦茶重たくもなったのです。

小枝ごときが蹴とばしたぐらいではうんともすんともなる様な状態ではございません。

余りの硬さ、重たさに、七日目には小枝の足の親指の爪が割れました。それでも一向に小枝は蹴ることを止めません。足の親指以外の爪も次々と割れました。爪だけではなく皮膚も裂けます。足は腫れ上がり血だらけになりました。

小枝は彼女の足から飛び散る血が闘身(身代わり)を汚すことになっても蹴ることを止めません。

嘗ての走り込みの修行で足の皮は厚なったつもりでいた小枝でしたが、闘身(身代わり)の硬さ、重さには歯もたちません。


そんな日々をひと月程過ごしたある日、小枝は知らず知らずのうちに闘身(身代わり)を見ておりました。すると、鋼鉄みたいに硬い闘身様の表面に指が入る程の穴が一つ開いているのを見つけます。

小枝は慌てて老女を呼びに行きます。

「お師匠様。お師匠様。お庭まで来てくんなまし。」

「静かにしよし。小枝。なんや。」

「これっ。これっ。」小枝は闘身(身代わり)に空いた穴を指差します。

「もうぼちやな。」と、老女は聞き取り難い低い声で一言こぼしました。

「…。」

「ほな、今日から闘身(身代わり)のお世話、変えるわ。」

「はい。」

「ええか。これから毎朝。毎朝やで。闘身(身代わり)に開いた穴におまはんの手の指を入れるんや。」

「はい。」

「闘身(身代わり)がお放しになるまで差しとくんやで。」

「はい。」

「それが済んだら、おまはんは闘身(身代わり)の回りに囲いを建てなはれ。」

「はい。」

「それが次の修行だす。」

「はい。」

「ええ木を山から伐って来て、しっかりした囲いを作るんやで。」

「はい。」


次の日の朝から、小枝は老女に言われた通りの事をいたしましす。

朝、闘身(身代わり)に開いた穴に恐る恐る、右手の人差し指を入れてみました。

穴の中は硬くはなく、冷たくもなく、柔らかく、温かいので、小枝はびっくりしてしまいます。

差し込んだ指は、優しく掴まれた様な圧迫感を感じました。

しばらくすると、その圧迫感は無くなり、指先を外側に押される様な感じを受けましす。

これが『指を抜け。』という、闘身(身代わり)からの合図だと判断し、小枝はゆっくりと指を引きました。小枝の右手の人差し指は難無く抜けます。

ただ、人差し指をよくよく見てみると、沢山の針で刺された様な痕がございました。

この後小枝は、山へ木を伐りに行って、庭の置き石の上に置いた闘身(身代わり)の回りに囲いを作ることになります。しかし、この日は頭がふらついて全然修行が出来ません。

次の朝も同じ事をします。ただ、闘身(身代わり)のお世話をした後は気分が悪く、目眩がし、体に力が入いりません。

小枝は、体調を崩したことを老女に相談したところ「今の倍、米、食いなはれ。」と、指示を受けました。

小枝は、この屋敷の納戸に住み込みはじめてからは、老女の世話、闘身(身代わり)のお世話、自分自身の修行で沢山の米を食べるようになっておりました。

それなのに「今の倍…。」は、流石に厳しい。しかし、老女の言い付けは、絶対に守らなければいけません。

この日から小枝は。詰め込む様に米を食べました。そのおかげか、しばらくすると気持ち悪さも目眩も消え、闘身(身代わり)のお世話の後の修行も出来るようになりました。老女の言い付けは間違いなかったのです。


その様な生活をひと月半程送っておりますと、急に闘身(身代わり)の中からコツコツと音がし始めました。

びっくり仰天の小枝は、老女にとり急ぎ報告しに行きます。

「お師匠様。お師匠様。」

「小枝、何事ですか?うるさおすえ。」

「すみません。お師匠様。闘身(身代わり)から…。」

「なんや?闘身(身代わり)がどないした。」

「なんか…、コツコツ音がして…。」

「そうでしたんかいな。それは闘身(身代わり)のお目覚めの合図や。」

「闘身(身代わり)、目覚めはったんですか?」

「もうちょいやけどな。小枝を認めはったっうことや。」

「せやったんですか。」

「ほな、次の段階へいかななぁ…。」

「はい。」

「小枝の修行はこれで終わりや。」

「はい。」

「あとは闘身(身代わり)のお世話に集中しよし。」

「はい。」

「ほんでもって、お世話やけどな…。おまはん、今後は厠使たらあかん。」

「ええっ?!」

「これからは闘身(身代わり)の囲みの中で用を足すのや。」

「ええっ?!」

「小をする時も、大をする時も、闘身(身代わり)を跨いで闘身に向かって用を足すようにしなはれ。」

「ほんまにですか?」

「嘘言わしまへん。出来なんだらそれまでや。」

「…。わ…。分かりました。」

小枝は老女の言い付け通りしました。囲みで誰からも見えることはございません。でも何故か恥ずかしさが沸きます。コツコツ音のする闘身(身代わり)に向かって用を足す不条理さ。

それでも数日もすると、闘身(身代わり)に跨いで用を足す恥ずかしさも消え失せてしまいます。小枝も知らなかった彼女自身の図太さを発見することとなりました。。

小枝は、闘身(身代わり)が、自分の小便や大便をかけられて汚れるものだと思っていましたが、闘身(身代わり)は、小枝の汚物を直ぐに吸収して汚れも臭いもつきませんでした。

それより小枝が驚いたのは、コツコツ音のする闘身(身代わり)がどんどん大きなったことでございます。

元々は小石程だった闘身(身代わり)は、今では小枝の半分位の大きさになっておりました。


そしてこんな生活を三月(みつき)程送っていると、闘身(身代わり)にまた変化が現れるのでございます。

小枝がいつものように用を足そうと囲みの中に入ってみると、何か違和感を感じます。

囲みの中の暗さに小枝の目が慣れてきますと、闘身(身代わり)の回りに沢山の岩の殻の様なものが落ちておりました。

小枝はようよう目を凝らして見てみます。置き石の上の闘身(身代わり)がトクトクと動いています。脈打っておりました。

小枝は驚きで腰が抜け、おもいっきり尻餅をつき、その衝撃で用を足すつもりだった小便を盛大に漏らしてしまいます。

しかし、彼女はそんな恥ずかし姿も忘れ囲みの中から大声で叫びました。

「お師匠様!!!お師匠様!!!」

「朝から騒がしなぁ。なんや!小枝!」

「これ…?!これ…?!」

囲みの中を見た老女は「汚なっ。」と、小枝に向かって言い放ちます。

その後、闘身(身代わり)を見て「お生まれになりはった…。」と、嬉しいそうに笑顔でぽつりと言いました。


老女は小枝に闘身(身代わり)を屋敷に移すように指示いたします。

小便まみれから裏井戸できれいに身支度を済ませた小枝は、置き石の上の闘身(身代わり)をゆっくりと抱え上げました。

その闘身(身代わり)は赤子の様に柔らかく、温かいものでした。強く抱きしめると今にも壊れてしまいそうです。

小枝は落とさないように注意の上に注意を払って闘身(身代わり)を屋敷へ運びます。

老女は目覚めた闘身(身代わり)のために陽当り、風通しの良い南向きの部屋を用意しておりました。そこには真新しいフカフカの分厚い布団が敷かれており、そこに小枝は闘身(身代わり)を静かに置きました。


「小枝。闘身(身代わり)は目を覚ましはった。」

「はい。」

「闘身(身代わり)は数か月のうちに闘えるようになりはる。」

「はい。」

「それまでおまはんは今迄やってきた修行を繰り返しやっときなはれ。」

「はい。」


小枝が闘身(身代わり)を彼女専用の厠から屋敷の清潔な部屋にに安置した後、老女は小枝にこう言いました。

それから小枝は老女から教わった修行を一つ一つなぞるように繰り返していきます。ひと月、ふた月と…。

その間も、闘身(身代わり)は成長を続けております。何時しか大きさは小枝と変わらぬ程の柔い塊になっておりました。

小枝のおさらい修業が三月(みつき)を終える頃、塊だった闘身(身代わり)にひび割れが入り始めました。そしてその割れ目は、人の形の様になりました。

初めは雑な人型だった闘身(身代わり)は、日を追うごとに丸みを帯び、より人らしい姿になりました。

闘身(身代わり)の中でも人型の闘身(身代わり)はとても珍しい存在なのです。大抵の闘身(身代わり)は、八つ足や六つ足や四つ足の人とは非なる形のものが多いのです。動物でも昆虫でも無い不気味な姿をしております。

前の闘神祭(本大会)の闘神(チャンピオン)は人型でございました。嘗て、老女が闘神(チャンピオン)になった時の彼女の闘身(身代わり)も人型だったのです。

何処で知ったか、これも、小枝が老女に弟子入りを願った一因だったようでございます。

小枝の強い恨み辛みは、少しでも勝てる可能性があるのであれば、臆することなくそれに飛び込む勇気を与えていたようでございます。


小枝のおさらい修業が一年を過ぎた頃、老女が小枝を彼女の闘身(身代わり)の部屋へ呼びつけました。

「小枝。これがおまはんの闘身(身代わり)や。」

「…?!」

老女は闘身(身代わり)の寝ております掛け布団を勢いよくはがします。そこに横たわっております闘身(身代わり)は小枝と瓜二つでございました。。

「闘身(身代わり)は、おまはんの考え通りに動いてくれはる。」

「そないなんですか…。」

「闘身(身代わり)を起こしてみなはれ。」

「はい。」小枝は布団に横になっている闘身(身代わり)に『目を開けて。』と、念じてみました。

すると、闘身(身代わり)は、ゆっくりと瞼を開きます。そしてゆっくりと眼を左右に動かしました。

『ほんまに動いた…?!』小枝は心の中で驚愕いたします。小枝が驚きのあまり心を失っておりますと、老女が「いつまで寝かしてはるんでっか。起こしなはれ。」と、声高に催促してきました。

その恫喝の様な催促に忘失していた小枝は飛び上がる程びっくりいたします。

すると、闘身(身代わり)も飛び起きました。この段階で、小枝と闘身(身代わり)は意識だけではなく無意識の反射まで結び付いていたのでございます。


「小枝。今日からおまはんはこの部屋で生活しなはれ。」

「はい。」

「小枝。こっからは闘身(身代わり)を全然意識せんでも動かせるようならなあかん。」

「どないすれば…?」

「四六時中闘身(身代わり)と一緒に生活して、おまはんと全く同じ動きが出来るようするんや。」

「どないすれば闘身(身代わり)は、うちと同じ動きしてくれはるんですか?」

「先ずは念じるんや。おまはんと闘身(身代わり)の意識を通わすんや。」

「えろお難しおす。」

「ぐだぐだ言うとらんと…。もう闘神祭(本大会)は目の前どすえ。そんなことで闘地神(部落の代表)になれんのかいな…。」

「すんまへん。うちが弱気でした。」

強い復讐心はあるとはいえ、たかだか十二~十三歳程の小娘、これ迄の奇妙な体験からか、小枝の気持ちは疲弊し、弱っていたのでございます。迷走して本来の目的を失いつつあったのでございます。

あくまでも、彼女の目指すものは復讐のため、闘神(チャンピオン)になることでございます。闘身(身代わり)の目を覚ます事ではございません。それは目標達成のための第一段階でしかないのでございます。その第一段階のために訳の分からない奇奇怪怪な事を沢山やり遂げてきただけのことだったのです。

この時、小枝は自身に言い聞かせておりました「初心、忘れるべからず。」と。


それからというもの小枝は気持ちを切り替えて、闘身(身代わり)と心通わすことに集中いたします。一日でも早く、闘えるようになるために。

朝、起きてから、夜、寝る迄、小枝の動作が出来るよう闘身(身代わり)に念を送り続けます。

初めは思い通りに動くこともなかった闘身(身代わり)も三月(みつき)を迎える頃には、母親を真似る子供ぐらいには動けるようになっておりました。

次の闘神祭(本大会)まではあと二年と数カ月。それまでにこの部落では敵無しになっていなくては闘神祭(本大会)には参加することが出来ません。

ここで闘地神(部落の代表)になれなければ、また十二年待たなくてはいけません。

小枝はかなり焦っておりました。

「お師匠様。お師匠様。」

「なんですの?小枝。」

「うちの闘身(身代わり)は闘神祭(本大会)に間に合いますでしょうか?」

「そんなことかえ。」

「はい…。」

「ほな、ぼちぼち、外行って、他さんの闘身(身代わり)と闘こうてきよし。」

「えっ?」

「闘かわんことには、自信がつかんやろ。」

「はい…。」

「せやけど、外で闘うっうことは、もう練習やない。」

「はい。」

「負けたら、終わりや。」

「はい。」

「負けたら、もっ回、イチからや。」

「はい。」

「負けたら、次は十二年後や。」

「はい。」

「それが嫌やったら勝ってきなはれ。」

「はい。」

老女の言葉は小枝の迷いを吹き飛ばしました。小枝の覚悟の弱さ、度胸の無さが焦りを生んでおっただけのようです。覚悟も度胸も備わりました。しかし『闘い』と、いうものをどのように始めればよいのかが分かりません。

「お師匠様。お師匠様。」

「まだなんかあんのかいな。小枝。」

「どないしたら他さんの闘身(身代わり)と闘えますんでっしゃろ?」

「おまはんの闘身(身代わり)連れて、外うろうろしてたら相手から挑んできよります。」

「そないですか。」

「せやから、気持ちが固まったら、おまはんの闘身(身代わり)連れて外へ行ってきよし。」

「分かりました。」


老女にこの様に言われて小枝は自分の闘身(身代わり)を連れ立って部落をうろうろし始めます。

程なくして、中年の見るからにむさ苦しい男が小枝に声をかけてまいりました。

「娘。闘う相手探しか?」

「はい。」

「お前の闘身(身代わり)はそれか?」男は小枝の闘身(身代わり)を指差し言います。

「はい。」

「わしで良ければ相手してやるぞ。」

とにかく経験を積みたい小枝。今の小枝にとっては怖いもの無しでございます。相手の闘身(身代わり)をよく見ること無く中年男の申し出を受けました。

ところが、中年の男の闘身(身代わり)は、熊の様に大きい四つ足の闘身(身代わり)でございました。

小枝は見た瞬間に茫然自失、自信喪失。また、小便を漏らしそうになります。

しかし、闘いを受けたからには止めることはできません。負ける訳にもいきません。

なんとか折れそうな気持ちをこらえて、勇気を振り絞り、己を奮い立たせて闘いに望みます。

両者の闘身(身代わり)が見合った刹那、熊の様な闘身(身代わり)は、熊の様なのに猪突猛進で小枝似の闘身(身代わり)に突進してまいります。

それに驚いた小枝、思わず腰が引け、右足を上げてしまいます。小枝似の闘身(身代わり)も小枝と同じ動作で止まってしまいます。そこへ熊の闘身(身代わり)、頭から小枝似の闘身(身代わり)の右の足の裏へ…。思わず小枝はきつく目を瞑ってしまいます。

次の瞬間、ドカっと鈍い音がしたかと思うと、ガラガラガラっと崩れ落ちる音…。小枝、恐る恐る目を開けてみますと、うず高く積もった石ガラの山。その前に右足を高々と上げたままの小枝似の闘身(身代わり)。小枝がビビってとった姿勢は前蹴りの様な態勢だったのです。

中年の男は顔色を真っ青に…。それを見て小枝は自分の闘身様(身代わり)が闘いに勝ったことを悟ります。そしてこの時、自分のお師匠様である老女の指導の正しさを体感したのでございます。

ただ、この負けた中年の男…。この男と男の闘身(身代わり)が弱かった訳ではございません。何故ならば、この男と男の闘身(身代わり)、この部落に於いては向かうところ敵無し、この部落の代表間違い無しと、噂されていた者だったのでございます。

それを小枝と小枝似の闘身(身代わり)は一撃で粉砕…。これ以降、もうこの部落に於いては小枝に闘いを挑む者は現れることはございませんでした。

これにより、この部落の代表者は自然と小枝と小枝似の闘身(身代わり)となったのでございます。


そして数年が経ち、小枝は闘神祭(本大会)をむかえることになります。

部落での一件以来、闘いを行え無かった小枝と小枝似の闘地神(部落の代表)ではございますが、一回戦は難無く突破し、二回戦も辛うじて勝ち残りのました。

しかし、小枝には相手がどんどん強くなっていく不安からまた弱気が芽生えてしまいます。

とにかく次の闘いが始まるまでにどうしても老女から助言をいただきたいと思い始めます。戻って帰って来ることを考えると、屋敷に滞在できるのはせいぜい一刻程でございます。

それでも取るものもとりあえず、急ぎで老女いる部落へ戻ります。


「お師匠様。お師匠様。」

…。何の反応もございません。

「お師匠様。お師匠様。」

…。静まり返った老女の屋敷には、誰もいない雰囲気でございます。

しかし、小枝は諦めがつきません。老女に話を聞いてもらいたい。老女に助言をもらいたい。

『お師匠様、どっかご用で行ったんやろか…。』と、思いつつも、会わずして戻ることは出来ないと強く心に刻みます。

次の闘いまでの時間の無い小枝は焦ります。額に汗を浮かばせながら、老女の大きな屋敷の部屋という部屋を次々と調べてまいります。

「お師匠様。お師匠様。」

…。どれだけ声を張ろうと返事はございません。

無暗矢鱈に屋敷を駆けずり回ります。ひっちゃかめっちゃかに襖を開け放ちます。自分がいったい何処に居るのかも分からなくなってしまいました。

すると、今迄見たこともない頑丈そうな扉の前へ…。

『ん…。なんやここ?見たこと無い扉や…。蔵…、の扉?』


小枝は老女の屋敷の来たこともない場所にある大きなな蔵の前に立ちすくみます。

元々小枝は、老女の屋敷については、彼女が寝泊りしていた納戸、闘身(身代わり)を厠代わりにしていた庭、それに闘身(身代わり)と生活を共にした部屋ぐらいしか知りません。

今日初めて、老女の屋敷全体を駆けずり回り、屋敷の部屋という部屋は一通り覗きました。でも、何処にも老女はいませんでした。

残されているのは見知らぬこの扉の中のだけ…。

老女が居るとすればここしかないだろうと、焦る小枝は勝手に思い込んでしまいます。

兎に角、老女の助言が欲しい。この一念から遠慮なく蔵の重い扉を開けてしまいます。


『暗っ。何も見えへん…。』

『こんなとこにお師匠様、おりはらんわな…。』

『せやけど、残っとるのんここだけやしなぁ…。』

扉を開け放った蔵の入り口に立ち、小枝は自問自答をしておりました。

「誰かいますか?」

「お師匠様。いますか?」

暗闇に向かって細々と声をかけてみます。やはり、返答はございません。

『とりあえず、中に入ってみましょか…。』

『埃っぽいなぁ…。納戸の方がマシでしたわ…。』

意を決して蔵の中へ一歩を踏み出します。


依存心と好奇心が小枝を未知の領域へ押し進めさせます。

蔵の中の暗さに目が慣れてきても辺りははっきりいたしません。

手探りでどうにかこうにか、一歩一歩、奥へ奥へと歩みを進めます。

そういたしますと、奥の奥にある障子の裂け目から、ちらちらとなびく蝋燭の明かりの様なものが目に入ります。

小枝は、あそこに間違いなくお師匠様がいると、勝手に思い込み、一目散に障子に駆け寄り、力まかせに障子を開きます。

障子は音もなく一瞬にして開かれました。

そしてそこには、一つの人影が…。


「お師匠様。お師匠様。お…。」

『えっ?!これは…、闘身(身代わり)…?』

小さな蠟燭の明かりに照らし出されたそこには、老女の姿をしたピクリとも動かぬ者がおりました。

小枝はその者に恐わ恐わ顔を近づけて観察いたします。

そうです。それは小枝に色々と指導してくれたお師匠様だったのです。

『お師匠様…。お師匠様は…、闘身(身代わり)やったの…?』

小枝の中には渦巻く疑問の嵐が…。何が何だかさっぱり分かりません。

『うちは…、闘身(身代わり)に教わってたんかえ…。』

なかなか納得できる答えが導き出せない小枝…。突っ立っているお師匠様の姿をした者に触れます。

生温かい温度が着物の上から感じます。今度は鼻を近づけます。お師匠様のお香の匂いがいたします。

『やっぱり、闘身(身代わり)がお師匠様やったんや…。』小枝は確信いたします。

では、本物のお師匠様はと、小さな蝋燭の明かりに呼び寄せられる虫の様に明かりに向かってノロノロと歩き出します。

足の裏に床板の湿気を感じます。とても気持ち悪い感覚です。それと共に回りのジメっとした空気がまとわりついてきます。

小枝の額が汗ばみます。心臓が高鳴ります。嫌でも体に力が入ります。

目に入るのはゆらゆらと揺れる小さな蠟燭の炎。鼻ににおうのは木や土がカビた臭い。耳に入るのは床板の軋む音。それ以外は真っ暗な果ての分からぬ空間のみ…。


恐る恐る歩を進めた結果、どうにかこうにかもう消えそうなちびた蠟燭まで辿り着けました。

蠟燭が照らす周辺を注意深く観察していきます。すると、蠟燭の光を柔らかく反射するものを見つけます。

そちらへゆっくりと近づきます。

それは、腰位の高さの机の上に置かれた梅酒を造る蓋付きの硝子瓶をふた回り程大きくしたものでした。中は何かの液体で満たされており、海藻の様なものが入っています。

その硝子瓶に手をかけようとした時…。

「小枝。ここで何してまんねや?」と、後ろから老女の声が響きます。

小枝は慌てて後ろを振り返ります。すると、暗闇から蠟燭に照らされて近づく人影…。間違いなく、先程ピクリともしなかった老女の姿をした闘身(身代わり)でございます。小枝は腰が抜けてしまいます。叫びたくとも声が出せません。


「小枝。闘神祭(本大会)はどないしたんえ?」

「…。」

「もう負けてしもたんかえ?」

「…。」

「黙とらんと返事せんかえ。」

「ひッ…。へぇ。」老女の怒気を含む言葉に思わず声が出ます。それと並行して小便も出てしまいます。

「おまはん、闘神祭(本大会)は?」

「お…。お…。お師匠様に相談があって、帰ってきました。」

「まだ、負けとらんのかえ?」

「は…。はい。」

「ほうかぁ。ほんで相談ってなんや?」

「段々、相手が強ようなります。」

「当たり前やな。」

「次、勝てる自信が持てまへん…。」

「ほんで?」

「どないすれば勝てまっか?」

「おまはんの闘身(身代わり)、栄養取ってまんのか?」

「栄養?」

「はぁ~。そないなことも分からんのかえ。」

「へぇ…。」

「おまはんは腹減ったらどないしはるん?」

「飯食います。米食います。」

「せやろ。ほな、おまはんの闘身(身代わり)はどないすんねや。」

「…。」

「闘身(身代わり)も腹が減っては戦は出来まへん。」

「へぇ。」

「あてが闘神になれたあの祭でも、あての闘身(身代わり)はよう腹減らして…。」

「はぁ。」

「あん時はほんまに、腹一杯にしたるんに手こずったもんどす。」

「へぇ。」

「まぁ、闘身(身代わり)が極限まで力出せな、闘神(チャンピオン)なんぞ到底無理。」

「はい。」

「せやから惜しまず与えなあかんのや。」そう言うと、老女の姿をした闘身(身代わり)は硝子瓶の傍に行き、硝子瓶に手を掛けた。

小枝には老女の姿をした闘身(身代わり)が何をやろうとしているのか分かりません。

老女の姿をした闘身(身代わり)は、手を掛けた硝子瓶をゆっくりゆっくり回します。すると中身も少しずつ少しずつ向きを変えていきます。

そして、小枝が海藻だと思っていた硝子瓶の中身と目が合います。その刹那、彼女はまた失禁してしまいました。


その硝子瓶の中身は、ホルマリン漬けの首だけのお師匠様でした。

そのホルマリン漬けのお師匠様は「惜しまず与えな勝てんのや。」と、歪んだ笑顔で言いました。


                

                  終わり 

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TOUSHIN 明日出木琴堂 @lucifershanmmer

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