日常
戦時中とはいえ、学校はいつもどおり。
この戦争は、広い意味での侵略戦争だ。国際的に厳密にどういう定義になるのかはわからないけど、少なくともメディアの報道ではそうなっているし、私たちもみんな侵略だと認識している。
対象は私たちの国ではなくて、近くにある別の島国――それは事実上の国家ではあるが国連には加盟していないという分かりづらい地域なのだけれど、とりあえず国ということにしておく。その国を私たちの国は公式には国家承認していないくてだけど私たちの国には同盟国の基地があって同盟国は侵略された国をやっぱり国家承認はしていないけど事実上の国として扱っていてかつ侵略は許さない立場を明確にしていて軍事力で守ると宣言していて実際すぐに介入したので武力衝突が起きて、とにかくそんなこんなで色々あって、結局私たちの国も攻撃を受けた。
私みたいな高校生には分かりづらくて手に余るほど複雑だ。歴史の授業で戦争の話になるとそうなってる理由が全然わからなかったりするけど、教科書がわかりにくいんじゃなくて、そもそもよくわからないような理由でそうなるものなんだなって思わされる。ほんとうは、周りの大人たちだってちゃんと理解してないんじゃないかと思う。
とにかく私たちの国は戦争に巻き込まれた。それだけわかってれば十分。
私たちの街の近くには自衛隊の基地があるから、ミサイルが飛んできて迎撃されることはあるけど、無差別攻撃があるわけじゃない。戦闘も戦争というよりは紛争という言葉が当てはまりそうな小さい規模だから、生活にも大きな影響はない。空襲で爆弾が降ってきて街が焼け野原になるなんてこともない。
戦争中でも、日常生活は続く。普通に学校に行って、放課後は遊びに行ったりして、普通の日々を送っている。
戦時下の、平穏で普通の日々を送っている。
チャイムが鳴って、授業の終わりを知らせる。
黒板の上にあるスピーカーから流れる音は二種類。平和なチャイムか、空襲警報だ。どちらが鳴っても、授業が終わることは同じ。Nアラートは滅多にない大規模攻撃のときくらいにしか鳴らなくなった。
「じゃあ今日はここまで。号令お願い」
「起立、礼」
頭を下げながら窓の外に目を向ければ、白い国旗がなびくのが見える。小さい頃には運動会のときくらいしか見なかった、だけど今では当たり前となった風景。
号令が終わるやいなや、メイが私のところまで駆け寄ってくる。
「警報鳴らなかったけど、昼休みにミサイル飛んできてんだって! 見たかったなぁ」
その通り。実のところ空襲警報はここのところサボりがちだった。ミサイルが飛んでくるたびに警報を鳴らして避難していたら生活に支障が出るとかで抗議が多かったからだとか。
なんのための警報なんだという話なのだけれど、殆どが迎撃されて被害が出ないのだから仕方がないのかもしれない。
メイは私にとっての唯一の友達で、実際のところメイが私をどう思っているかなんてわからないのだけれど、どう思われていようと私は友達のつもり。
私もメイも、少々特殊な事情を抱えていて、それはこれまではなんともなかったことだったけど、戦争が始まってそれも変わった。
私の周りからは人がいなくなっていった。
メイには人が集まってくるようになった。
一緒にいると、それがよく分かる。たとえばそう、今みたいな状況で。
クラスメートの女子が寄ってくる。話しかけるのはもちろん私じゃなくてメイ。
「メイは今日のカラオケやっぱり来ないの? 男子がLEEの『祖国』歌ってくれってうるさいんだよね」
LEEはシンガーソングライターで、『祖国』は戦争が始まってから発表された曲。クールな雰囲気で売り出していた彼女が愛国心を歌ったことが話題になった、今でも人気の歌だ。
「ごめん! でも今日はやめとく」
メイは客観的には愛国少女だ。お父さんが自衛官で、国を守ってるんだって、それを誇りに思っているらしかった。
はっきり言って、変わり者扱いされていた。こんな状況になるまでは。だってメイは、女の子らしさとかそういったものに一切頓着してなくて、リュックに自衛隊のワッペンをつけているような子だった。
だけどいまではすっかり人気者だ。本人はあまり嬉しくはなさそうだけど。
それもそのはずで、ほんとうのメイは愛国少女といあよりは、ただお父さんが大好きなだけの幼子なんだと私は知っている。ただひたむきに、その純真な好きという気持ちに素直なだけの子だった。
メイは今でも自分をメイと言う。
そんな、実年齢に不相応なほど幼い子。
「メイは行かないけど、かわりに――」
メイが私を見ながら言うから、私は小さく首を横に振る。私は行きたくないし、この子達だって、メイが言えば形だけは誘うかもしれないけど、来てくれないほうがいいと思っている。
でもメイは空気が読めない。だから今でも平気で私の名前を出そうとしてしまう。「敵国人」お断りだってことがわかってない。
「――かわりに次は行くから、ね」
私の意図は汲み取ってくれた。せっかくの善意を無駄にするみたいで少し心が痛むけど、もう慣れたことでもあった。それに、変な空気になるのはメイのせいだけど、その息をするには向かない空気の中で呼吸ができるのは、メイが友達でいてくれるおかげだから。
「絶対来てよね。メイがくると盛り上がるんだから」
「わかってるよぉ。行くって」
「じゃあね」
彼女らは私とは話すどころか顔も向けず目も合わせずに、そのまま去っていく。もともと孤立気味だったけど、今ではすっかり厄介者だ。私が「敵国人」だからというのもあるし、私がそれを気にしすぎているというのもあるだろう。お互いに疲れるのだから、無理に仲良くなんてしないほうがいい。
「――ミサイルの迎撃だけど、私は見たよ。屋上で」
女子たちがいなくなって、私は気分を戻すためにその話題を蒸し返す。別に楽しい話題ではないけれど、メイがそれで喜んでくれるなら、それでいい。
「いいなあ」
「別によくないよ。せっかくの青空が、台無し」
言ってから、余計なことだったと気づいた。
「みんなとうちょっとお国を守ってくれる人に感謝してもいいんじゃないのかなあ」
おどけた言い方をしたメイの心の底に不満が一滴滴り落ちたのがわかって、やっぱり言うべきじゃなかったなと後悔する。せっかく楽しい時間に戻せそうだったのに。
愛国心、なんてわからない。わかりたくもない。私の母に「敵国」への愛国心があったところで、なにかが変わったとも思えない。
校庭のポールでは相変わらず国旗がはためいている。愛国心とはあれのことだろうか。時々街で見かける「愛国的」な人々に問えばそれを条件付きで肯定するだろう。あるいは、ある種の右翼団体ならば、あの旗こそが植民地の奴隷的精神の象徴と唾棄するだろう。
メイが持つ気持ちがその手のものなら、私は簡単に否定して拒絶できていた。
もやもやする。苛々する。純真で捉えようのない、ステンドグラスのような意味はわからないけどだきれいなだけの実際のところおそらく信念と呼べるようなものではない、メイが大事にしているとても綺麗で繊細な気持ちを、私は時々、思い切り殴って割りたくなる。
派手に割れてくれるだろうか。それとも私の拳なんかではびくともせずに、綺麗なままでいられるのだろうか。
――拳に破片が突き刺されば、流れる血は赤いだろうか。
「……ねえ、どうかした?」
思わず考え込んでしまったところで声をかけられて、現実に戻される。
「ごめん、何?」
「怖い顔、してたから」
「なんでもない。気にしないで」
「でも……」
「いいから。それよりさ、この後どっか遊びに行こうよ」
「あー、ごめん。今日はパパ帰ってくるから、パス」
そういえば、メイはさっき誘いを断っていた。私みたいに行きたくないから断るような子じゃないから、用事があるんだってことを当たり前に気づけたはずだった。
「そっか。会えるときに会っとかないとね。じゃあ、私も一緒に帰ろうかな」
「うん。ごめんね」
「いいよ。私と遊ぶなんていつでもできる。お父さんとは、そうじゃないでしょ」
「わからないよ。考えたくないけど、明日ミサイルが落ちてくるかもしれないんだよ。いつでもなんて、ないよ」
メイは持ち前の明るさに似合わない深刻な顔で言う。
「そうかも、ね」
彼女の言う通り、この日常がいつまでも続く保証はどこにもない。自衛隊員をお父さんに持つメイは、その危機感がみんなよりも身近に存在しているんだろう。
▼
帰り道。もう見慣れた件の愛国団体がご苦労なことにビラ配りをしていた。
明らかに、私たちみたいな学校帰りの生徒をターゲットにしている。
昔はあまり見たことがなかった人たち。自衛隊の基地が近いと言っても、一番近い空港ってだけ。別にこの街が自衛隊の街ってわけじゃない。戦闘機が飛んでいるのが見えることはあっても、隊員が街を歩いてるなんてことはない。銃もなければ迷彩服もない、この人たちさえいなければ。
それなのに、戦争が始まる少し前から、この団体が現れた。なにもない平穏だった駅前に。
軍靴の音ってのはこういうことなのかなと思ったりもした。中途半端なコスプレでしかない間抜けな軍靴の音だった。
こんな活動をしたって、ほとんどだれもが気にも留めない。
素通りしていくか、「また来てるよ」なんて言って奇異なものを一瞥するだけ。
どうしてここまで一生懸命なのだろうと考えたときに、この人たちにも、一応の信念があるのかもしれないと、少しだけ思う。それがどれだけ薄っぺらいものだとしても、祖国を思う気持ちはあるのかもしれない。ただ、空回りしているだけで。
『祖国は「敵国」に侵略されています』
『自分たちの国は自分たちで守ろう』
『皆さんの周りにも「敵国人」は入り込んでいます』
『領土を取り返しましょう』
言葉こそ丁寧だけど、何処かで見たことのある短絡的な意見のオンパレード。正直反吐が出る。
奪還なんて、それで戦死者が増えることにはどう思うのだろう。ちっぽけな無人島を取り戻すために死者が増えることを望むんだろうか。ミサイルを撃ち込んで向こうが怒って、もっとたくさんミサイルが飛んでくるようになったら? この人たちの言う国を守るっていうのは、死ぬ人を増やすってことなんだろうか。
メイが言っていることとは、随分違う気がした。国を守るとか、言葉は同じなのに、その裏にある気持ちはぜんぜん違う。
なにより、この人たちの言う「敵国人」には、母も含まれるのだろうか。私は「敵国人」の子なんだろうか。この人たちがそれを知ったら、私たちなんていなくなればいいと思うんだろうか。私たちは何も悪いことなんてしていないのに。
私も母も、この国のことはそれなりに好きなつもりだけど、それだけじゃ足りないのかな。
「そんなの見てないで帰ろ。見ないほうがいいよ」
看板を見ている私にメイが言う。
「メイはあの人たち、どう思う?」
あえて話題に出してみる。
答えは、一言だった。
「嫌い」
心からの軽蔑を隠そうともしない言い方だった。
「ねえメイ、私って「敵国人」かな」
聞いてみた。
「何人とかわからないし、関係ないよ。「敵国人」だったら何なの。あんな人たちの言う事、真に受けないでいいよ」
そうできたら気楽だろうなと思う。
だけど、メイが気にしなくても、気にする人はいっぱいいる。その無神経さに少しだけ腹がたった。
メイはちゃんとこの国の国民で、お父さんが自衛隊員で、模範的な愛国少女。メイにとっては取るに足らないことを私は気にしているのかもしれないけど、だけど社会は「敵国人」を拒絶する。気にしなくていいって言ってくれるのはありがたいけど、メイはそんなことを気にしなくてよくていいよねって言いたくなる自分がいる。
メイの無邪気さは、ときどき私に突き刺さる。
悪意より、善意のほうが痛いんだ。
だから、少し意地悪なことを聞く。
「ねえメイ、さっきあの人たちのこと嫌いって言ってたけど、何が嫌いなの? 自衛隊のこと応援してる人たちじゃん」
メイの足が足を止める。私も少し遅れてメイの前で止まる。
「だって、自衛隊はああ言う事してほしくて戦ってるわけじゃないもん。メイたちみたいな、普通のみんなが普通に暮らしてほしいと思ってる。応援しましょうって言うなら、友だちと遊ぶのが一番の応援。感謝して、普通に遊ぶの」
私は振り返らない。背後から、メイが言葉を投げつけてくる。
「それなのに、「敵国人」は出ていけとか、そんなのおかしいよ。自衛隊の人には感謝して応援するのは大事だけど、あの人たちがやってるのは応援じゃない」
メイは饒舌だった。
彼女が歩き始める。すぐに私を追い抜き、背中が見える。
そして振り返って私を見る。
「だから、忘れてもう帰ろうよ」
笑顔だけど、哀しいような、懇願するような、複雑でずいぶんと大人びた顔だった。
「そうだね」
私はメイの横に並び、一緒に歩み始めた。
帰り道、他愛もない話をたくさんした。大人気の韓国ドラマの話とか、流行りの音楽の話とか、この前一緒に行ったお店のこととか。そんないつもの日常の話をたくさんした。
帰り道は、有限だ。いつもの交差点に着いて、私たちはそれぞれの家への道へ別れた。
▼
「防衛省は、本日正午から午後ニ時にかけて全国十二箇所にミサイルが飛来しましたが、いずれもイージス艦および戦闘機により撃墜したと発表しました。連日続くミサイル攻撃ですが、防衛大臣は『本土到達前に高い精度で撃墜可能であり、国民生活への影響は極めて小さい』と自信を示しています」
家に帰ると母がテレビに見入っていた。母は最近、こんなニュースばかり見ている。知らなくていいとは言わないけれど、熱心に見るようなものじゃないのに。
ニュースで戦況が放送されることには、もう慣れた。センセーショナルな報道も少なくなって、自衛隊の戦死者も、ただの数字として発表されるだけ。最初に戦死者が出たときは大騒ぎだったのに。
すべて、日常になった。
これからどうなるんだろうと、思うこともある。もしもっと戦争がひどくなって、身近な人が死んでしまったら。メイはそれをもっと、リアルに感じているのかもしれない。みんな、考えてないわけじゃない。ただ、自分の国が戦争をしていようと自分の生活は変わらず続くし、そっちのほうが大事なだけだ。台風や地震のときと同じで、自分の身の回りに被害が出ないと、実感がわかないんだ。
いつかは終わる、身近にはそれほど影響もない戦争に、多くの人は人生を費やしてのめり込んだりはできない。たとえ領土とやらを獲られて終わったとしても、自分の街が関係ないなら、変わらない日常が続くだけ。あの島は昔は日本だったんだって、それだけ。私の街は、変わらない。
それでも母は、そんなものにのめり込んでいる。
キッチンに目を向けると、何ヶ月か前に冷蔵庫に貼られた写真が嫌でも目に入る。燃えながら沈みかけている「敵国」軍艦の写真だ。
その代わり、前は見える場所に張ってあった、私が母にあげた「敵国語」で書かれたメッセージのプレゼントは、知らないうちになくなっていた。
理由は、別に知りたくない。きっと知らない方がいい。
だから私は知らないフリをする。
こんなことを始めた「敵国」なんて大嫌いだ。あれもこれも、全部もともとは「敵国」のせい。私や母が「敵国人」扱いされて嫌われるのもそうだ。母がどう思っているかはわからないけど、私にとってはあの国ははっきりと「敵国」だった。
そう思わないと、私が私であることに耐えられなくなる気がした。
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