第38話 大食い辛口男参上

──ふん。この職場は、ほんとくだらねえな。


 一週間前に派遣社員としてやってきた伊藤洋一は、洋菓子係のあまりの体たらくぶりに辟易へきえきとしていた。


──派遣社員は使えない奴ばかりだし、正社員にしても班長の井上は特定の社員だけえこひいきしてるし、係長の高橋に至っては社員が作業してるのを、ただボケっと見てるだけだ。こんな所で、あと一ケ月あまりも働かなくちゃいけないのは憂鬱だが、まあ仕方ない。こうなったらもう、飯でもたらふく食ってやるか。


 昔、フードファイターになることを本気で目指していた伊藤は、今でも普通の人間の軽く三倍はごはんを平らげる。

 昼休みに食堂へ行くやいなや、伊藤は係の女性に「おばさん、ごはん特盛にしてくれ」と、横柄な態度を見せた。


「うちは特盛なんてできないんだよ。だから大盛で我慢してくれないかね?」


「あ? 特盛も大盛も大して変わらねえだろ。つべこべ言ってないで、早くよそえよ」


「規則だから、できないものはできないんだよ」


「ちっ、ほんと、ここの従業員はどつもこいつも使えねえな。じゃあ大盛で我慢しといてやるよ」


 伊藤はよそってもらった大盛のごはんを強引に奪い取ると、空いてる席はないかと、あたりをぐるっと見回した。


──おっ、あそこに洋菓子係の役立たず共がいるな。ごはんを特盛にできなかった腹いせに、ちょっとからかってやるか。


 伊藤はレオ、坂川、木戸のいる四人席のテーブルに自らのトレイを置いた。


「おう、誰かと思ったら、洋菓子係のボンクラ共じゃねえか。仕事のできないお前らが、一丁前に飯なんか食ってんじゃねえよ」


 伊藤の傍若無人ぶりに、まずは坂川が食ってかかった。


「なんだって! あんた、まだ入ったばかりのくせに、なんて口を利くんだ!」


「入ったばかりだろうがなんだろうが、そんなのは関係ない。重要なのは仕事ができるかできないかだ。お前らは明らかに俺より劣ってるから、こういう口を利いてもいいんだよ」


「いいわけないだろ! 仕事の優劣だけで、人を見下すようなことをしては断じていけないんだ!」


「仕事の優劣だけじゃない。聞くところによると、お前ある女性にストーカー行為をしてたそうだな。そんなことしてる暇があったら、もっと仕事を頑張れよ」


「…………」


 ぐうの音も出ない坂川に、隣のテーブルで様子を見ていた坂本が割って入った。


「それ以上リバーを侮辱すると、俺が黙ってないぞ」


「これはこれは、洋菓子係の派遣社員で、唯一使える坂本さんじゃないですか。確かにあんたは仕事はできるが、こんな奴の相棒ってところが、あんたのダメな点だな。あと、本当は若い女しか興味がねえくせに、おばさんらにも満遍なく話し掛けてるのは、自分が若い者好きだということを隠すためのカムフラージュなんだろ? 俺は、あんたみたいな偽善者が一番嫌いなんだよ」


「おい、あんた! 僕のことは何を言ってもいいが、ブックのことを悪く言うのはやめろ!」


「やめろ、リバー。こいつには、何を言っても無駄だ」


「何がブックにリバーだ。お前ら、いい年してお互いをニックネームで呼び合ってんじゃねえよ」


「伊藤さん、もうそのくらいにしといた方がいいんじゃないですか。これ以上やると、お互い引っ込みがつかなくなりますよ」


 中々ケンカが収まらないのを見兼ねて、レオが仲裁に入った。


「ふん。エロ外人は黙ってろ」


「人が忠告してあげてるのに、そんな言い方はないんじゃないですか?」


「お前みたいなポンコツに、忠告される筋合いはない。お前はその辺のばばあでも追いかけてろ」


「私はばばあに興味はありません! 興味があるのは、坂本さんと同じで若い女性だけです!」


「そんなこと自慢してどうする? お前は結婚してるんだから、ばばあだろうが若い女だろうが、興味を持っちゃいけないんだよ」


「…………」


 返す言葉が見つからず黙り込んでしまったレオを見兼ねて、今度は木戸が横から割って入った。


「伊藤さん、ごはんがまずくなるから、もうそのくらいでやめてもらえませんか?」


「ふん。図体がでかいだけで、ロクに仕事もできないくせに偉そうに言うな。それとお前、人の車を覗く趣味があるんだってな。今日からお前のことを、うどの大木ののぞき魔、略して【うどきま】と呼ばせてもらうよ」


「そんなの、俺は絶対に認めませんからね!」


 騒ぎを聞きつけた井上が、「あんたたち、こんな所で何やってるの!」と、彼らの前に立ちはだかった。


「伊藤さんが、僕らのことを悪く言うんです。井上さん、彼を注意してくださいよ」


「伊藤さん、本当なの?」


「ああ。というか、俺はありのままを言っただけだけどな」


「何て言ったの?」


「『仕事もできないくせに、一丁前に飯なんて食ってんじゃねえよ』だ」


「あなた、なんてこと言うんですか! あなたみたいな人は、うちには必要ありません! 今日限りでクビです!」


「ほう。たかだか班長のあんたに、そんな権限があるとでも思ってるのか?」 


「権限があろうがなかろうが、あなたみたいな人をこれ以上置いておくわけにはいきません」


「じゃあ好きにしろよ。その代わり、この職場の問題点を洗いざらい労働局に報告してやるからな」


「問題点?」


「ああ。例えば、昼休みの時間だ。契約書には一時間と書いているのに、一時間きっかり休憩して職場に戻ると、もうラインは始まっていて周りから白い目で見られる。だから実際は一時間も休憩できない。ひどい時は休憩が終わる十分前にラインが始まることもある。これは明らかに違法だよな?」


「…………」


 痛い所をつかれて黙り込む井上に、伊藤はここぞとばかりに追い打ちをかける。

「聞くところによると、今から三か月前、全国大会の決勝に残った職場の野球チームを応援に行くために、洋菓子係を急遽休みにしたそうだが、その時の休業手当を払ってないんだってな。企業の都合で休む時は最低六割の休業手当を払わないといけないって、法律で決まってるだろ。このことを労働局に報告すると、まずいんじゃないのか?」


「……分かったわ。あなたの望み通り、クビは取り消してあげる。その代わり──」


「その代わり?」


「あなたは明日からずっと洗い場で働いてもらいます」


「…………」


 井上の放った衝撃の言葉に、今度は伊藤が黙り込んでしまった。

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