第41話 憧れのシチュエーション
──ああ、東京へ行ってしまう坂本さんに告白するなら今日しかないわ。
坂本の東京行きが決まり、以前から彼のことが好きだった山本葉子はヤキモキしていた。
──今日は伊藤さんが休みで、坂本さんとずっと二人きりだから話すチャンスはいくらでもあるけど、どう切り出すのかが問題なのよね。
洗い場で坂本と一緒に作業する中、葉子はずっとそのことばかり考えていた。
すると、まるでそのことが分かっているかのように、坂本の方からアプローチしてきた。
「葉子さん、俺、今度東京に行くことになったんだけど、その前に言っておきたいことがあるんだ」
真剣な顔でそう言う坂本に、葉子の胸はものすごい勢いで高鳴った。
「言っておきたいことって……」
「今までここで作業する時は葉子さんに世話になったからさ。そのお礼に、今度食事でもしながら言おうと思って」
「食事って、二人きりで?」
「うん。二人が嫌なら、他の人も誘おうか?」
「ううん。二人でいい」
「じゃあ、決まりだな。で、いつがいい? 来週の土曜日に東京に行くから、できるだけ早い方がいいんだけど」
「じゃあ、今週の土曜日は?」
「いいよ。じゃあ土曜日の夕方、駅前の中華料理店で待ち合わせしよう」
「分かった」
坂本との初デートが決まった葉子は、その後ルンルン気分で作業していた。
土曜日、葉子は逸る気持ちから約束の三十分前に待ち合わせ場所に着いた。
──一度、彼を待っているシチュエーションを思う存分満喫してみたかったのよね。
今まで男性と付き合ったことのない葉子は当然デートなどしたことはなく、デートに遅れてくる彼をいつまでも待つ健気な女性に、昔から憧れを抱いていた。
しかし、このドラマなどでよく見るシチュエーションも奇麗な女優がやれば絵になるが、幽霊顔の葉子がやるとまったく様にならない。
「おい、見ろよ。妖怪みたいな顔した女が、あそこに立ってるぞ」
「あっ、今笑った。気持ち悪っ!」
「あんなのが立ってたら、誰もあの店に寄り付かなくなるぞ」
通りすがりの男性たちの言う通り、葉子が立っている中華料理店には、一人として入店することはなかった。
──そろそろ坂本さんが到着する頃ね。彼は着いた瞬間、きっとこう言うはずだわ。『やあ、待たせたね』。それに対して、私は笑顔で『ううん、ちっとも』って返すの。そしたら彼は『じゃあ入ろうか』と言って、扉を開けるの。その時にさりげなく私の腰に手を回してエスコートしてくれるはずだわ。
そんなことを妄想する葉子だったが、約束の時間になっても坂本が現れることはなかった。
──これは偶然にも彼が時間に遅れてくるシチュエーション通りになったわ。せっかくだからこの雰囲気を満喫しようっと。
かれこれ三十分以上待っている葉子だったが、それにもめげず坂本が到着するのを今か今かと待っていた。
しかし、待てど暮らせど坂本は現れず、約束の時間から一時間が経過した頃、さすがの葉子も変だと気付き始めた。
──遅れるなら遅れるで、なんで連絡してこないんだろう? こっちから連絡するのは筋じゃないと思うけど、仕方ないからラインしてみよう。
しびれを切らして坂本にラインを送った葉子だったが、既読スルーされるという憂き目に遭ってしまった。
──なんで読んでるのに、返信してこないんだろう。こうなっらもう、電話して訊くしかないわね。
そう思って電話した葉子だったが、坂本が電話に出ることはなかった。
──なんで電話に出ないんだろう。もしかして急病かなんかで、電話にすら出られないのかも。
まったく連絡がつかないことで、ネガティブな方向へ考えが行きかけた葉子だったが、そうこうしているうちに、ようやく坂本からラインの返信があった。
『もしかして、まだ待ってる? いつまで待っても、そこには行かないよ』
まさかの内容に葉子は自分の目を疑い、文章を何度も見直した。しかし、当然のことながらいくら見ても結果は同じだった。
葉子はやるせない気持ちで、『それってどういうこと?』と返した。
すると……
『まだ気付かないの? 俺があんたなんかと食事に行くわけないだろ。それと、あんたに言いたいことなんて何もないけど、一つだけアドバイスしてやるとしたら、もっと自分に自信を持てということだ。あんたの顔は唯一無二のものなんだから、その顔をもっと誇りに思った方がいい。そしたら、自然と表情も明るくなって、あんたみたいなものでも好きになる奴が現れるかもしれないからさ。こんなこと言えるのは、もうあんたと会わないからなんだ。この前は東京に行くのは来週の土曜日って言ったけど、本当は明日行くからさ。はははっ!』
──まさか坂本さんがこんなひどいことするなんて……浮気者だってことは知ってたけど、こんなに性格が悪いとは思わなかったわ。
坂本からの辛辣な文を読んだ葉子は醜い顔を一層醜くして、しばらくの間その場に立ち尽くしていた。
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