第34話 またしても車の中を覗く木戸

──あいつ、また覗いてるわ。


 仕事を終えた中村理恵が駐車場に向かっていると、以前自分の車の中を覗いていた木戸が、またも車に覆いかぶさるようにして中を凝視していた。


──あれはもう覗きとかのレベルじゃないわね。前はうまくごまかされたけど、今日こそとっちめてやるから。


 理恵は車のそばまで来ると、木戸の背中に向けて「何やってるのよ、あんた!」と叫んだ。


「何って、車の中を見てるだけだけど」と、平然な顔で答える木戸に、理恵は眉間に皺を寄せながら「だから、なんで見てるのよ!」と捲し立てた。


「なんか動物の影みたいなものが見えたから、何だろうと思ってさ」


「はあ? あんた、前も同じこと言ってたけど、結局何もなかったじゃない」


「でも、今回は本当なんだ。そんなに疑うのなら、中を確かめてみろよ」


「言われなくても、そうするわよ!」


 理恵はそう言うと、車のカギを開け中を確認した。

 すると、後部座席の下に、うずくまっている姿の子猫がいた。


「……あっ、本当にいた」


「だから、言ったろ。それより、その子猫どうしたんだ?」


「どうって、私も知らないわよ」


「じゃあ、知らない間に、その子猫が車の中に入ってたってことか?」


「まあ、そういうことになるわね」


「本当に知らないのか? 今朝、出勤途中に拾って、そのまま忘れてただけじゃないのか?」


「そんなわけないでしょ! もしそうなら、ちゃんと憶えてるわよ」


「まあ、そうだろうな。ところで、その子猫どうするつもりだ?」


「どうって?」


「家に持って帰って飼うのか、それともどこかへ捨てるのかってことだ」


「うーん。すぐには決められないから、とりあえず今日はこのまま連れて帰って、また後で決めるわ」


 理恵はそう言うと、子猫を助手席に移動させ、そのまま車を発進させた。

 木戸は不気味な笑みを浮かべながら、去っていく車を見送っていた。


 


 理恵は家に着くと、連れて帰った子猫を早速両親に見せた。


「まあ、どうしたの、その子猫?」

「どこかで拾ってきたのか?」


「まあ、そんなとこ。で、この子猫、飼ってもいい?」


「私は別にいけど。猫って、手がかからなそうだし」

「俺もいいぞ。先月定年退職してから、ずっと退屈してたからな」


「じゃあ、決まりね。で、この子オスなんだけど、名前はどうしようか?」


「じゃあ、レオなんてどう? なんか勇猛な感じがしていいと思うけど」


「悪くはないけど、職場に同じ名前の人がいるから、それはちょっと……」


「じゃあ、タマはどうだ? 猫といったら、やっぱりタマだろ?」


「お父さん、昭和じゃないんだから、タマはないよ。じゃあ、私が決めてもいい?」


「「うん」」


 理恵は子猫の名前を、自分が推しているアイドルの名前と同じ〈フミヤ〉に決め、その後両親とともに、文字通り猫可愛がりしながら育てた。




 後日、いつものように車で出勤した理恵が駐車場に車を停めると、それを待っていたかのように木戸が声を掛けた。


「この前の子猫、結局飼うことにしたのか?」


「うん。両親もOKしてくれたし、あのまま捨てるのは可哀想だったからね」


「ふーん。で、名前はもう決めたのか?」


「フミヤにした。私の一押しのアイドルと同じ名前なんだよね」


「そうか。俺としては、〈ビッシュ〉にしてほしかったんだけど、今から変更できないか?」


「はあ? なんなの、そのビッシュって」


「俺が昔、実家で飼ってた猫の名前だ。この前見た時、なんか似てるなと思ったんだ」


「ふーん。でも、もうダメよ。フミヤに決めたんだから」


「あの子猫は元々俺が拾ったものだから、俺に名前を決める権利があると思うんだけど」


「えっ! それ、どういうこと?」


「あの日の朝、俺、出勤途中に道に捨てられていた子猫を拾ったんだ。俺の住んでるマンションはペット禁止だから、当然飼えない。じゃあ、どうするかって考えた時に浮かんだのが、誰かに飼ってもらえばいいってことだったんだ」


「事情は分かったけど、どうやってフミヤを私の車の中に入れたの?」


「あの日の朝、お前が駐車場に車を止めてドアを開けた時に、俺が声を掛けただろ? その一瞬のスキをついて子猫を車の中に入れたんだよ」


「なんでわざわざ、そんな手の込んだことしたの?」


「普通に事情を話しただけじゃ、お前が聞いてくれないと思ったんだ。それより、さっきの件だけど、子猫の名前をビッシュに変更してくれよ。そしたら、俺とお前の間に繋がりができて、これからいい付き合いができるからさ」


「……そうね。一応考えておくわ」


 理恵は口ではそう言っていたが、心の中ではフミヤを譲渡会に出そうと決めていた。

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