第31話 百億円の女

──ああ、誰か僕とチューしてくれる女性はいないかな。


 仕事中に独り言をつぶやくことで有名な大川八郎は、その他にもこんな妄想をよくしていた。


──この前は今服さんと岡さんを追い掛け回して失敗したから、今度は自然にチューできる女性を探さないとな。でも、そうなると相手は限られてくるんだよな。まずは、自他ともに認める幽霊顔の山本葉子。あとは、素顔の強烈さでは葉子さんに負けてないと言われている岩本玲子と菊本直美。この妖怪三羽烏くらいしか、僕とチューしてくれる女性はいないだろうな。


 そんなことを思いながら作業している大川に、近くで作業していた岩本玲子が怪訝な顔をしながら声を掛けた。


「大川さん、さっきからずっとボーっとしてるけど、何を考えてるんですか?」

 

「えっ! 別にあなたとチューしようなんて考えてませんよ!」


「はあ? 何を気持ち悪いこと言ってるんですか?」


「気持ち悪いのはあなたの顔でしょ。あなた、自分の顔を鏡で見たことないんですか?」


「なんですって! あなた、女性に対して、なんて失礼なこと言うんですか!」


「僕はただ事実を言っただけですけど、それが何か?」


「今のは完全に大川さんが悪いと思います。岩本さんに謝ってください」


 近くで作業していた菊本直美が、見兼ねて二人の間に割って入った。


「なんで僕が謝らないといけないんですか? というか、岩本さんと同類のあなたに、そんなこと言われたくないんですけど」


「同類ですって! なんで私がこんな醜い人と同類なのよ!」


「醜いとは何よ! あんたなんか、葉子さんよりもっと醜いくせに!」


「なんですって! よりによって、あんな化け物より醜いなんて、あなた言っていいことと悪いことの区別もつかないの!」


「そんな目くそ鼻くその言い争いは聞いていられないので、そろそろやめてもらえませんか?」


「なんですって! 元はと言えば、あんたのせいでこんなことになったのに、なによその言い草は!」


「そうよ! キモオタのあんたに、そんなこと言われたくないわよ!」


「僕はキモオタなんかじゃない! ただのオタクだ!」


「「そんなの、どっちでもいいわよ!」」


 泥仕合の様相を呈してきた三人を見兼ねて、レオが透かさず止めに入った。


「気持ち悪い人が三人も集まって何をしてるんですか? 絵的にとても見ていられないので、そろそろやめてもらえませんか?」


「他の二人はともかく、僕は気持ち悪くなんかない!」


「いいえ。あなたも十分気持ち悪いです。その自覚していないところも含めて、すべてが気持ち悪いです」


「エロポンコツのあんたに、そんなこと言われたくないよ!」


「確かにエロいのは認めるけど、私は決してポンコツなんかじゃありません」


「いや。パレット積みしかできない無能人間のくせに、偉そうに説教しているあんたは、十分ポンコツだよ」


「私はパレット積み以外の仕事もできますよ」


「例えば?」


「洗い場です」


「そんなの、できて当然なんだよ! あの葉子さんでもできるんだからな」


 髪の毛チェックをするため、コロコロ片手に洗い場から出ていた葉子は、自分の名前が出たことに驚いて、思わず「今、私のこと噂してなかった?」と、大川に訊いた。


「……えーと、葉子さんはみんなが嫌がる洗い場の仕事を毎日してて、ほんと凄いなあって、みんなで言ってたんですよ」


「それ、絶対嘘だよね? 本当は洗い場の仕事しかできない私を馬鹿にしてたんでしょ?」


「そ、そんなことないですよ! ねえ、みなさん?」

「そうですよ。さっき大川さんが言った通り、私たちは葉子さんを尊敬してるんですよ」

「私たちも葉子さんみたいになりたいって、いつもみんなで言ってるんですよ」


「ふーん。ということは、顔も私みたいになりたいってことだよね? そんなにこの顔が好きなら、いつでも貸してあげるわよ」


 真顔でそう言う葉子に、大川は「いえ、結構です!」と、思わず本音を漏らした。


「じゃあ、あんたたちはどう?」


「「私たちも結構です!」」


「じゃあ、レオは?」


「たとえ百億円くれると言っても、お断りします」


「それ、普通に失礼だから。ていうか、逆に言えば、この顔は百億円以上の価値があるってことね」


「はははっ! 葉子さん、それ面白い発想ですね」


「でしょ? なんなら、今度キスしてあげようか? そしたらあんたも、百億円の女とキスした男って有名になるわよ」


「せっかくですけど、丁重にお断りします。葉子さんとキスするくらいなら、犬や猫とした方がマシですから」


「じゃあ、あんたはどう? この前、チューさせろって女の子を追い掛け回してたけど、どうせあれから誰ともキスしてないんでしょ?」


 突然葉子に話を振られた大川は、しばらく考えた後、「女性とチューしたいのは山々ですけど、あなたとだけはどうしてもできません」と、涙ながらに訴えた。

 その姿を見て、葉子は先程レオが言った言葉を、痛いほど実感していた。


  


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る